バギオの歴史コーナー - 戦時編 <その2>



この「バギオの歴史」コーナーでは、シリーズとして、「続 イフガオの墓標」 (宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)からの抜書きをご紹介しています。

「第七十四兵站病院」の分院があった 現在のバギオ・コンベンション・センター付近の小高い丘からの様子について、以下のように描写されています。

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p13-14

この邸宅は小高い丘の上にあったので見晴らしがよく、ことに、街に面した私の部屋からの眺めは最高であった。 眼下に見下ろす湖水の向こうには緑の森に包まれた静かな街がねむっていたし、近くの松林の間には赤、青、黄色、と色とりどりの屋根に白い壁のバンガロー風の家々が花壇に咲いた花のように点在していた。 街の南側にブルハムパークと呼ぶ広い公園があった。 湖水はその中ほどに緑の芝生に囲まれて横たわっていたのである。

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(この写真は旧ガバメント・センター、現コンベンション・センターからバーンハム公園方向を撮影したものです。 バギオ100年祭記念の写真集より)


湖畔には公会堂アウディトリウムがあって白亜の美しい影を水に映し、それはまことに一幅の名画を見るようであった。 公園には野外ステージやローラースケート場などがあって、戦前の華やかな頃の状景を想像させた。 松の都といわれていたバギオはその名の如く、市内から郊外にかけて深緑の松一色であった。 しかも、それは内地のものと違ってすべて三葉の松で、その原種はヒマラヤ産で渡り鳥がタネを運んできたものだろうといわれていた。

街の中央の丘の上には赤い屋根、白い壁の大きな教会があって、朝夕の祈りを捧げる鐘の音にさそわれて着飾った善男善女が掃き清められた階段を手をとりあって、お詣りしている姿をよく見かけた。 この町の人たちはマニラ付近のタガログ族と違って、イロカノ族のせいか、あるいは、生活が安定していたせいかみんな温和な人なつっこい性格を持っていた。

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このバギオの情景描写は、戦争がバギオに押し寄せてくる前の様子を物語っています。
まるで映画の一場面を想いおこさせるような美しい描写は、旧き良き時代の「松の都」「フィリピンの軽井沢」バギオの面目躍如と言えるのではないでしょうか。

地元の老婦人たちが、昔のバギオを懐かしむ理由が、ここに十二分に描かれているように思います。

次回<その3>は、さらに目抜き通りのセッション・ロードなどを抜書きしてみます。
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by janlbaguio | 2010-05-27 21:46 | History バギオの歴史
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