バギオの歴史 :   郡司忠勝著より 最終回(6の6)

「思い出はマニラの海に」郡司忠勝著 三月書房より抜書き

(注:はブログ管理人のコメントです。)


今回は「終戦の後の在留邦人の状況」を読んでみます。

p267
遠くで手投弾の爆発音がした。 私は自分の腰の二つの黒い鉄の塊に
触れてみた。
<戦争は終わったというのに>
・・・・・
一人の兵隊の腰にある拳銃が気になった。 私たちは散発的に
聞こえる自決の銃声を耳にしながら再び歩きはじめた。

p271
兵隊や邦人の姿が多く目につくようになり、人の流れがゆっくり
大きな波となってマゴックに向っていた。 
・・・・
その水辺には、半身を流れに浸したまま死んだ兵隊や邦人の哀れな
姿があった。 水を求めた人たちの最後の姿である。
(注: マゴックは キヤンガンの西北西数キロの地点にあり、
    フンドアンの南のアシン川を渡った辺りにあるようです。)

p273
どうしてこんなに沢山の人たちが倒れているのかと思うほどに、
旱魃で死んだ動物の骸のように草むらや樹の下に転がっていた。
毛布を体に巻き、頭から天幕をかむった邦人の姿が目につく。
・・・・
マゴック村は小さな広場を中心にして四、五軒の木造家屋が並び、
それを取り巻くように萱葺きの家が点々としていた。
集結がはじまった邦人の姿がほとんどで、蝉の抜け殻のように、
また夢遊病者か亡霊のように生気を失い、うつろな目で広場を
歩き、腰を下ろしていた。
数軒並んだ中央の二階建てが領事館とのことなので、世話役が
到着者名簿を持って出向いた。


p282
ホヨ、アンチポロ方面の邦人はフラグダンを経てバクダン道に入り、
またマゴックから中央山系にかけての邦人もバクダン道に入って、
ともに米軍基地やキヤンガンへと流れていた。
(注: ホヨとアンチポロはキヤンガンの南十数キロの地点に
    あり、バクダンと言うのはマゴックとキヤンガンの間に
    あるようです。)

p284
雨水の流れる山道を邦人が途切れずにぽつぽつとキヤンガンへと
歩いていた。 さきに行き会った男の子が死んでいた。
母の後を慕いながらとぼとぼと歩いていた小さな姿が目に浮かんだ。
誰かが寝かせたのであろうか、道端の厚い草の上に横たわり、
手にしていた芋が供えられたように顔のそばで雨に濡れていた。


p298
一度は帰国を決意してマニラに出た身であったが、もし残留が
許されるなれば、このままこの国に住みたいと思った。
故郷の肉親にも逢いたいし、また山河も懐かしく思うのだが、
私のとっての心の安らぎは、やはりバギオの地にあるように思えた。


(注: 現在でも これら山岳地帯の山村では、反日感情が
    残っている所もあり、叉、日本人であることが分かると
    いわゆる山下財宝を探しに来たのではないかと必ず疑われ、
    最近は日本人が引き起こした遺骨盗難問題もあって、
    警戒されます。
    叉、地域によっては新人民軍の影響が残る所もあります。
    戦没者慰霊の為であっても十分な事前調査、現地の
    信頼できる方の協力など注意が必要です
。)


全ての戦没者の皆様に哀悼の意を表し、このシリーズを終わります。

このシリーズの最初のページはこちらです: 
http://janl.exblog.jp/11940343/
 
 


















終戦 敗戦 1945年9月3日 山下奉文大将 降伏文書署名 バギオ市 ジョンヘイ 現アメリカ大使公邸
フィリピン アメリカ 日本軍 
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by janlbaguio | 2011-02-08 23:01 | History バギオの歴史
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