バギオ歴史探訪シリーズ - 1 Historical walk in Baguio

今年の4月に 「バギオ歴史探訪シリーズ」を始めますといいながら、
もう9月になってしまいました。
http://janl.exblog.jp/12355392/

その際に、「歴史探訪マップ」も作りたいとも書きました。

しばらくの間、仕事の方がお休みになり、時間が出来ましたので、
ゆっくりゆっくり進めていきたいと思います。

このシリーズは 戦前のバギオにおける日本人コミュニティーをご存知で、
バギオ生まれの写真家・古屋英之助さんのご協力をいただきながら、
上記「マップ」作りの準備段階という位置づけにしたいと考えております。

まずは、この手書きの地図をご覧ください。
(二瓶敏子様の手によるものです。)
a0109542_11593390.jpg

(写真の上で クリックすれば 大きい画像になります。)

さて、この地図の範囲ですが、セッション通りを中心にして:
左上は ティーチャーズ・キャンプ(Teachers' Camp)方面
右上は ケノン・ロード(Kennon Road)方面
左下は バギオ・センター・モール(Baguio Center Mall)方面
右下は キサド・ロードのヘリテッジ・マンション(Heritage Mansion)方面

となっています。

この手書きの地図は、バギオの日系人組織である北ルソン比日基金(Filipino-
Japanese Foundation of Northern Luzon, Inc.)からご提供いただいたものです。

この内容は、戦後何年も経ってから、戦前の事を覚えていた二瓶敏子さんが描かれたものです。

では、もう少し、地図のポイントとなるところを見ていきましょう:

まず右上に「総合グラウンド」があります。
これは今も変わりません。 現在のグラウンドは隣にテニスコートもあります。

その下に「公会堂」と書いてありますが、この辺りは今は小さな遊園地になりました。
そして、同じブロックの下に 「ゴルフスタート地点」と書いてあります。
さらにその下に道路を隔てて 「旧日本人小学校」があります。

この「ゴルフ・スタート地点」は、今は オーキダリュームの辺りで、
「旧日本人小学校」の場所には 現在は中華料理系のファースト・フード・
レストランであるチョーキンが入っているビルがあります。

そして その左上は、皆様ご存知の「ボルハム・パーク」、今はバーンハム・
パークと一般的には表示されています。

「池」の下の円形の部分の説明書きには
「この円の中で体操時間を通し、毎年日本人小学校、日本人会合同の
大運動会も行いました。」とあります。

その左側は、今現在は メルビン・ジョーンズと呼ばれているサッカー場などが
ある場所ですね。
その説明書きを読みますと、
「昔カーニバルの最中だけこの場所にたくさんの遊具施設ができましたが、
その後来なくなりました。 昭和10年頃には丸太切りコンテスト等が
行われていました。」
とあります。

その左にある道路が ハリソン・ロードです。
丁度真ん中あたりに「支那人小学校」とありますが、これは今現在の
中国系のバギオ・パトリオット・ハイスクール(Baguio Patriot High School)
と思われます。

そして、そのハリソン・ロードから斜めに坂を登って セッション・ロードに
交差する角のところに、今のプライム・ホテル(Prime Hotel)の辺りに、
「マウンテン・バザー」「ジャパニーズ・バザー」という日本人経営の
商店がありました。

「エンパイア・ホテル」というのも日本人経営だったそうで、
その右側にある「セント・フランシス病院」も日本人経営だったようです。

セッション・ロードの「マウンテン・バザー」から上に登ると、
「アルハマル映画館」、下にくだると「パインズ・チャーター」とありますが、
ここにも「パインズ・シアター」映画館があったそうです。
(おそらく、チャーターと言うのは 今の表記ではシアターではないかと思います。)

セッションをずっと登っていくと、右側には「山本商店」」があって、
説明書きに「(戦時中)北部ルソン日本人会事ム所」が置かれていた旨の
記述があります。

さらにその上の角に、「通信局」とありますが、これはおそらく
今現在のPLDTのビルではないかと思います。

その右上に「バギオ・バス・ステーション」とあるのは、今も同じです。
ただし、上の説明には
「昭和10年頃までのバス・ステーション。 後にアイスプラント近くに移る」
となっています。

この説明書きが書いてある場所に今は SMバギオがあるのですが、
SMが出来る前は「パインズ・ホテル」がありました。

この地図の上では、「バギオ銀行」の右に「パインス・ホテル」と書いて
ありますが、実は戦前のパインズ・ホテルはこの地図の通りの場所にあったのです。

この位置については戦前派と戦後派の人たちの間でふたつの意見に分かれています。
戦前のバギオを知っている日本人の記憶では、この地図の通りですが、
戦後のバギオを知っている地元の皆さんは今のSMの場所だと言います。

この点については地元の情報を調べましたところ、以下のような情報がありました。

「知らない人が多いのですが、パインズホテルは二つありました。
最初のは 今現在 UC(BCF)大学・選挙管理委員会の場所に 1920年代に建てられ、
第二次大戦によって焼失しました。
二番目のものは今のSMの場所に 戦争のすぐ後に建てられ1984の火事で焼失しました。」


バス・ステーションの左に、「郵便局」がありますが、これは今も
この場所ですね。

そして、皆様ご存知の「カトリック大寺院・カテドラル」。
これは今の表記ですと「バギオ大聖堂」です。

大聖堂の裏には、「セントルイス女子校」や「セントルイス男子校」、
その左側には「ノートルダム病院」が今とだいたい同じ場所にあったようです。

「スペイン人」と書いてある辺りに、今はバギオ大学が建っています。

このジェネラル・ルナ・ロードを下っていくと、「フジ・ホテル」という
日本人経営のホテルがあって、その裏側にあたるところに 地図の中では
岩間商店と山本グロセリーの間の路地を入ると 「東京堂」と呼ばれた
和菓子のお店があったそうです。

地図の一番左下に、「神戸キッチン」が書いてあり、その説明書きには
「唯一の日本人レストラン。 開店して間もなく宮井氏病没し、支那人レストラン、
程なくして ダンワトランコの事務所となる。」と記載されています。
(ダンワトランコと言うのは バス会社で、今はバギオ・センター・モールの
裏側にそのバス・ターミナルがあります。)

以上がおおまかな地図の内容ですが、
右下の「聖母マリア像」のところに「83年訪バの際まで現存していて感激!」
との記述がありますので、戦前はバギオ在住で、1983年当時に日本在住の方が
この地図の制作に関わっていらっしゃったものと推測できます。

さて、みなさん、この地図の中に いくつ日本人のお店がありましたか?
数えてみて下さい。


その2は こちら です。


 
    



























































 















[PR]
by janlbaguio | 2011-09-07 12:13 | History バギオの歴史
<< バギオ歴史探訪シリーズ - 2... フィリピン大学バギオ校で公開講... >>