バギオ歴史探訪シリーズ - 2 Historical walk in Baguio

バギオ歴史探訪シリーズの1では、戦前の手書きの地図をご覧いただきましたが、
その地図の右下の辺りから 皆さんと一緒に歩いてみたいと思います。

バギオ市役所の近く、バーンハム・パークの西の角。 
Kisad Road(キサド・ロード)にこんな瀟洒な建物を見かけたことはありませんか?

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ここは 今は Heritage Mansion(ヘリテッジ・マンション)と呼ばれる
ホテルになっています。
改装前は韓国料理店のコリアン・パレスという看板が掛かっていました。

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なぜヘリテッジ(遺産)なのか。
元々この邸宅はドイツ人が建築したものだそうで、金を惜しまずに建てよという
指示だったとか。 そこに日本人の大工 大久保さんが関与したと言われています。
バギオを高原保養地として開発することを決めたアメリカは、
まずその手始めにケノン・ロード(ベンゲット道路)を開きました。
その道路建設に大きな貢献をしたのが日本人移民でした。
そして、道路建設が終わり、バギオ市の建設のために大工、石工、庭師などの
仕事でその日本人移民が活躍の場を求めたのです。
当時のバギオ市の建設には、これらの日本人が様々な分野で力を発揮したのでした。

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その入り口。
この玄関を入ると みごとな螺旋階段があります。
それこそが、大久保さんの手によるものだと 戦前のバギオを知る日本人は
語っています。


そして、キサド通りから、バーンハム・パークの方に入ると、
オーキダリウム(蘭などの植木のお店)の前方にこんな建物があります。
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そして すぐ隣には、
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この場所には、戦前に バギオで初の日本人学校があったのです。
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今の CHOWKING と SIZZLING TOPPINGS の 丁度あいだ辺りに小学校の
入り口があって、向って右側に校舎、左側には庭があったとか。

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さて、この写真は。 ゴルフ場ですね。
左の奥に見えるのが小学校です。

日本人小学校の生徒にとっての運動場は このバーンハム・パークだったのだそうです。


ただし、この場所は 初期だけで、その後 新校舎の完成に伴って、
マグサイサイ通りのLUCBANに移転しました。

(ご注意: このバギオ歴史探訪シリーズに掲載している戦前の写真に
      ついては 無断転載・使用をお断りします。)

   

その3は こちら です。
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by janlbaguio | 2011-09-10 00:58 | History バギオの歴史
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