バギオ歴史探訪シリーズ - 6  Historical Walk in Baguio

さて、今日は、戦前のバギオの中でも一番有名だった「ジャパニーズ・バザー」を
見ながら セッション通りを下りていきましょう。

その5で パレードの写真の背景に ジャパニーズ・バザーが出てきました。
しかし看板の文字がはっきりしませんでした。
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これは 郡司忠勝著「思い出はマニラの海に」に掲載されているイラストですが、
これを見ると「ジャパニーズ・バザー」であることが分かります。
このビルは 改装された後の建物で、下の写真が元の建物だったようです。

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これが バギオの歴史上も有名な「ジャパニーズ・バザー」の写真です。
早川氏の経営だと地図にあります。
(手書きの地図は その1 のページに掲載してあります。)

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今のセッション通りの中での位置は、プライムホテルの角からすぐ隣のこのビル、
456という看板のあるビルの辺りだそうです。

この「ジャパニーズ・バザー」の写真は、バギオの歴史を語る本などにもよく掲載
されるほど目にする写真なのですが、その理由はどこにあるのでしょうか。

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ここに経営者・従業員と思われる人たちのスナップがあります。

このお店は当時のバギオの中で どのようなお店だったのか。
そのことは 1935年から終戦の1945年までフィリピンで生活し、
ジャパニーズ・バザーで働き、戦時中の北部ルソン日本人会の会計役でもあった
郡司忠勝氏の著書「思い出はマニラの海に」に詳しく描いてあります。


「バギオ第一を誇るジャパニーズ・バザーは町の中央をゆったりと下る
セッション・ロードの中ほどにあって、四面の大きなショー・ウインドを
もった白壁の建物である。」

「店主の早川豊平さんは山梨県御坂町二の宮の出身で二代目である。
先代の秀雄さんはベンゲット道路工事にたずさわり、完成後はそのまま
当地に残り功を成した人である。
早稲田大学商学部を卒業した豊平さんは、請われて親戚筋にあたる
先代の養子になった由である。」

「(早川豊平さんは)ジャパニーズ・バザーを経営するかたわら、
バギオ日本人会長(後に北部ルソン日本人会となる)として
また当地のロータリ・クラブ会員として広く知られ、・・・・」

「西側はフォート・スタジオで、その下には暗室と作業室があり、
それにつづいて写真部長の古屋正之助さん、副支配人の秋吉さん、
その向いに支配人の宮北悦厳さん、その隣の松浦さんの住宅が
噴水の上がる中庭を中心にして囲むように棟つづきで建っていた。」

「避暑客は一度は必ずといってよいほどジャパニーズ・バザーを
訪れる。 ジャパニーズ・バザーはバギオを代表する店の一つで
ミニ・デパートといった構えで、薬局から自動車部品まで、一般雑貨
からスポーツ用品、楽器、呉服、酒類、貴金属に時計や写真機、
靴それに写真スタジオなどと、食料品と機械類を除いてはほとんど
この店だけで用が足りた。」


以上のように郡司氏の著書に描いてあるジャパニーズ・バザーは
戦前には バギオ随一の「ミニ総合商社」としての機能を果たしており、
「あそこに行けば何でも揃う」というような百貨店であったようです。
今の感覚で言えば、規模はともかく、SMバギオのような役割で
あったのかもしれません。


では、戦前の地図を見ながら、セッション通りをさらに下って行きましょう。
地図には、(支)の文字がついたお店などが並んでいます。
(支)は「支那」、つまりCHINA、中国の意味ですから、中国系の経営だということになります。

ずっと下ると、セッション通りの一番下近くに「パインス・チャーター」と
書いてあります。
これは今の表記にすると「パインズ・シアター」になります。
PINESという映画館ですね。


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ここは セッション通りの一番下。 左側にマハリカ・ビルがあります。
右に登る方がセッション通りですね。

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マハリカ・ビルの前からセッション通りを見ると、このように見えます。
右の角には銀行の新しいビルが出来ました。

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その向こう側のビルに、たて型の看板で「PINES」と読めます。
これが「パインズ・シアター」の場所です。
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この写真が同じ場所のはずなんですが、ちょっと分かり難いですね。

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じゃあ、これだったらどうですか?
PINESの看板が ちゃんとありますね。

当時を知る方によれば、この看板は当時そのままの看板。
建物自体も戦前のものが そのまま残っている稀なケースだとの話です。
建物の内部は、階下に劇場があって、二階席もあったそうですが、今は映画館では
ありません。

当時小学生だったバギオ生まれの方は、
「風と共に去りぬ」、「姿三四郎」、「アヘン戦争」、そして、エノケンの
「孫悟空」などの映画を見たそうです。


ところで、手書きの地図によれば、このパインズ映画館の近くに、
「パインスチャーターノ近クニ 浦田時計店ガアリマシタ」とのことです。

そして、セッション通りのバーンハム・パーク側には以上のような日本人経営の
お店が並んでいたんですが、通りの反対側の並びには、日系のお店はほとんど
なくて、唯一 パインズ映画館の前あたりに 「早川薬局」というのがあるだけです。



その7は こちら です。














 





フィリピン バギオ 戦前 セッションロード ジャパニーズバザー パインズ映画館 マハリカビル
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by janlbaguio | 2011-09-19 14:51 | History バギオの歴史
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