バギオ市内のあるお婆ちゃまが九十歳の誕生日を迎えられ、北ルソン日本人会(JANL)のメンバーなどがご招待を受け、お祝いにお邪魔しました。
真ん中で、カメラを指差しているお婆ちゃんが、そのご本人です。
この方は、JANLのフィリピン人役員のお一人である女性の母上でいらっしゃいます。
そして、この写真の左から3人目の正装の女性が JANLの役員です。
このバースデー・パーティーには、こんなに大勢のメンバーを抱える楽団も呼ばれていました。
マンドリン?(バンドゥリア?)を中心とした編制で、素晴らしいフィリピン歌曲の演奏が続きます。
そして、快活で澄み切った歌声が広がっていきました。
さらに、こんなフィリピンの伝統的な踊りなども披露されます。
このお婆ちゃまが20才の頃は、まさに戦争の時代でした。
ターラック州の田舎で、彼女の父上は村長の仕事をされたそうです。
日本軍政時代に日本軍によって指名された村長だったと聞いています。
そして、戦争が終わる頃、家族の何人かが抗日ゲリラに連れて行かれ、行方不明に。
ゲリラとして容疑をかけれらたフィリピン人を日本軍が処刑しないよう、いつも努力をしていた父上だったそうです。
戦争中に、あの「バターン死の行進」で捕虜となり、捕虜収容所に入っていたところ、戦前の東洋オリンピック・東京大会の陸上競技メダリストだったことで釈放をされた男性と結婚。
戦後はバギオで家庭を築かれました。
彼女は、八人の子供に恵まれ、ご主人はバギオ市の警察署長へと出世されました。
その子供さんの中から、バギオの市議会議員や国政府の某機関の局長を勤められた弁護士さんもいらっしゃいます。
偶然とは言え、このような歴史をお持ちのご家族の方に、JANLの役員となっていただいたことに感謝を申し上げたいと思います。
バギオ在住の方や、英語留学中の方々、子供達も含めて、およそ20名の日本人の皆さんが お婆ちゃまのお元気な九十歳の誕生日のお祝いに駆けつけ、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
おめでとうございます、お婆ちゃん。
ありがとう、そして、いつまでもお元気で。
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