バギオの歴史 - 日系人 人物録1 オセオ・ハマダ

BAGUIO PRECIOUS MEMORIES
published by Leonides and Aurora Bautista


(published in 2012 ? )


フィリピン・バギオ市のバウティスタ夫妻によって発行された
「バギオ・プレシャス・メモリーズ」という本の中から、
日本人移民の歴史に関係する記事の一部を抜き出して
翻訳してみました。

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Oseo Hamada
by Baboo Mondonedo (n は ~ が付く)
(from interviews with Billy and Charlie Hamada)


オセオ・ハマダ

私がバギオ・ミッドランド新聞社でスタッフとして働いていた何年
もの間ずっと、常にあった広告部門の中の私たちの部屋の向かい側に
一人の男がいました。
彼は分厚いメガネをかけ、大きな拡大鏡越しに書類をじっと見て
いました。
彼はいつも無表情な顔だったのですが、私たちが挨拶をすると笑み
がこぼれました。
私たちはあまり彼と話すこともなかったのですが、編集者であった
セシルおばさんがスタッフの代わりに話をしてくれました
彼はセシルおばさんの依頼には黙って従っていて、ノーと言った
ことはなかったと思います。
新聞社では、彼はビッグ・ボスでした。

オセオ(愛情を込めてオッシーと呼ばれていました)は仕事中毒で、
何かを始めるとそれが終わるまでやめませんでした。
1985年に、バギオ・ミッドランド新聞のビジネス・マネジャーの
仕事を引き継ぎました。バギオ・ミッドランド新聞は1947年に
彼の兄(下記の注記参照)のシナイ・ハマダによって設立されたものでした。
オセオによる経営になってから、会社は赤字から黒字になり、
発展できる企業となりました。

彼は人付き合いが良く、誰とでも友達になり、社交的で、友達には
寛大な人でした。
ですから、彼が引き受けたプロジェクトの資金を集めたりすることは
易しいことでした。例えば、医療支援、建物、歩道橋、奨学金、
図書寄贈など。
 
彼は、様々な立場で、市民のための仕事に関与していました。
バギオ総合医療センターの諮問委員会のメンバーで、経営陣に
たいして市民の要望を伝えました。
彼はまた、フィリピン赤十字バギオ支部、フィリピン精神衛生協会
バギオ支部、フィリピン・ボーイスカウトの全国理事会、
ライオンズクラブ・バギオ市及びベンゲット州、バギオ商工会議所、
バギオ・プレスクラブ、・・・・・。

1970年代に、シスター・テレジア・海野が、北ルソン比日基金
を組織するのに応えて、初代の代表となり、そのご理事長になりました。

オセオ・ハマダは、フィリピン・バギオ市にて1911年5月7日に
生まれました。
彼は、リューキチ・ハマダとジョセファ・カリニョの二男として
生まれました。(下記の注記参照)
父のリューキチ・ハマダは、日本人移民であり、Heald製材会社
の現場監督で、 母のジョセファ・カリニョは、マテオ・カリニョと
バヨサ・オルテガの長女でした。

母のジョセファは、日本人と結婚したために、相続権を奪われました。
彼女が唯一与えられたのは、今現在バギオ・ミッドランド新聞社が
建っている土地だけでした。

オッシーはバギオ・セントラル小学校、マウンテン州ハイスクール、
そしてマニラの学校へ進みました。2年後に、彼は大学の学位を
取ることにもっと興味を持っていた兄のシナイ・ハマダに道を
譲りました。

第二次大戦後、バギオ及びフィリピンに住んでいた日系人は迫害を
受けました。 他の日本人居住者は安全の為に日本へ帰り、事情が
良くなってから後年にフィリピンへ戻りました。
オッシーと兄のシナイはバギオ市に留まりましたが、叔父から
反フィリピンということで非難を受け、さらには市長である
ホセ・カリニョからも告発されました。
彼は、そのことを非常に不愉快に思い、心に哀しみを引きづり
ました。

一方で、イゴロットであることに誇りを持ち、お祭りに招待されると
いつも出かけて行きました。 多くの人々が支援を求めて彼の家に
やってきました。 彼らは多くの近親者と親戚を持ち、一緒に
住んでいました。

戒厳令下に、彼の兄が投獄された間、バギオ・ミッドランド新聞は
発行を続けました。
ニュースはキャンプ・アレンの軍による検閲と承認が必要でした。
検閲は、解散総選挙の後になってようやく緩和されました。

オッシーは、彼の人生の82年間、ずっとバギオに暮しました。
70年代にバギオの山々が家々に埋められてバギオの風景が変わって
いた頃、子供たちにいつも AWANEN(注) を語りました。
彼のハンティングの場所であったピンサオや、庭園を造り、乳牛を
飼っていたキャンプ7での生活について、思い出を語りました。



(注) AWANENとは「消えてしまったもの」「無くなってしまったもの」「失われたもの」
    という意味のイロカノ語だそうです。



== 上記の翻訳文は 原文の一部を抜き出して翻訳したものです ==

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<<注記>>

上記の書籍の中では、オセオ・ハマダは次男であると書かれており、
シナイ・ハマダがその兄であるとされていますが、以下の資料によれば、
オセオは1911年生まれ、シナイは1912年生まれであって、
オセオの方が兄であるようです

オセオ・ハマダ氏と シナイ・ハマダ氏の関係については、こちらのサイトをご参照ください。
http://en.wikipilipinas.org/index.php?title=Sinai_Hamada


上のwikipilipinasからの引用です:

Sinai Hamada (February 1912 – September 1991, Baguio City)
Syne’s biological father died in a sawmill accident when he was still one month old. His stepfather, Teruji Okubo, is also a Japanese national who became a prominent builder in Benguet, as well. His brother is Oseo Hamada, who managed the Baguio Printing and Publishing Company; while his half-sister is Cecile Afable, also a famous journalist in Baguio City.

「 シナイ・ハマダ (1912年2月生まれー1991年9月死亡、バギオ市)
シナイの実父はシナイがあだ一歳の時に製材所の事故で死亡しました。
シナイの継父は テルジ・オオクボで、テルジも日本人であり、同様にベンゲット州での著名な建築業者となりました。 シナイの兄弟であるオセオ・ハマダは、バギオ印刷出版会社を経営しました。
一方、シナイの異父姉妹は セシル・アファブレで、彼女もバギオ市の著名なジャーナリストです。」


又、北ルソン比日基金(通称アボン、日系人会)が出版した
「Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highlands」
の85ページには Bernardo Yoshikazu C. Okubo氏によって
以下のような記載があります。

Papa, my father, was Nanay's second husband.
I had two half-brothers from her first marriage to Ryukitse Hamada,
who died in a sawmill accident in 1912.

Yoshio, the eldest, was given the Christian name Oseo,
and Yoshinai, the younger, was baptized Sinai.
Yoshie, or Cecile, was the first child of Papa and Nanay,
followed by Yoshinobu("Enot") Policarpio, then myself,
Yoshikazu Bernardo.
This was our fmily.

「パパ、私の父、は ママの二人目の夫でした。
私には 二人の異父兄弟がいます。 母の最初の結婚は リューキチ・ハマダとの
結婚でしたが、その父は1912年に製材所の事故で死亡しました。

長男のヨシオは、オセオというクリスチャン・ネームを与えられました、
そして、その弟のヨシナイは、シナイとして洗礼されました


ヨシエ、あるいはセシル、はパパとママの最初の子供で、
その下に ヨシノブ(「エノット」)・ポリカルピオ、そして私自身、ヨシカズ・ベルナロドがいます。
これが私の家族です。」


=== 

以上、「注記」に書きましたとおり、オセオ・ハマダ、シナイ・ハマダの異父兄弟である
ベルナルド氏が書いていますので、こちらの方が正しいものと考えられます。


  
 
 
 
     

 








 





   


     


   





    







   






   



   






 
 
 
 
 
 
 
 
 
      


         
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by janlbaguio | 2013-06-03 00:13 | History バギオの歴史
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