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古い資料に見る フィリピン・バギオの歴史


中部大学 青木澄夫教授からいただいた フィリピンの在留邦人団体に関する年鑑のようなものから・・
記事の内容から1935年ころに書かれたものと思われます.



「卅四 (=34)、 高原都市バギオ」 より抜き書き

p385
ベンゲット道路・・・最初の技師は米人ノーマン・ホームス氏であったが、比人労働者
を使用した為工事遅々として進まず、1903年改めて邦人移民千五百名を招き
工事費六百万比を投じケンノン少佐を工事主任として着手されたもので
実に邦人移民が比島に大量渡来した最初のものとして注目されている.

難工事で邦人中人柱となるもの実に七百数十名、血と涙の移民史を出現したのであった.

この道路工事の完成は明治38年1月で・・・

バギオ開発の恩人は動物学者ウスター氏で、・・・・
当時白人中では独逸人オツト・シーラー氏が先住していたと云われている・・・

(ベンゲット道路=ケノン道路、ここには邦人移民だけで完成しているような
 書き方になっていますが、別の資料では多国籍の労働者、技術者が働いた
 となっています)
http://janl.exblog.jp/7076729


p386
1904年には米人技師バーハム氏が都市美化計画を樹て、1909年には市政が
布かれる・・・・

約一千人の在留邦人が盛んに活躍している外 土着人イゴロテの中心市場として
付近の産物を集散している.

(この人数がいつの時点の人数かは不明ですが、この書籍に昭和11年までの
 名簿が掲載されていますので、おそらく昭和初期、1936年ころの人数では
 ないかと思われます.)

山岳避暑地バギオには今や自動車上の安座して登られ、マニラから一時間に
して達しうる航空路さへ設けられるに至っている.

(こんなに早くから飛行機が飛んでいたとは驚きですが、おそらく小型の複葉機
 のようなものだったのでしょう)


バギオ風俗の展覧会の如き観を呈するのは日曜日毎の市場を以てその最たるもの
とされているが、イゴロット土人等xx集して大繁昌している.

又バギオに遊ぶものは米軍駐屯地たるキャンプ・ジョンヘイを見逃してはならない.
米人好みの諸設備完成し、・・・有名なるカントリー・クラブがある.

(ちなみに、バギオ・カントリー・クラブは100年以上の歴史を持つ老舗ゴルフ場です.
 完全な会員制で厳しい審査があります. )
http://bcc.com.ph/#home

p387
自動車で八キロ、山路を上ること七キロにして海抜二千二百五十七米の頂に
達するところ サント・トマスにはホテルの設備もある.


(これには驚きました・・・サント・トマス山の上にホテルがあったなどという
 話は初耳です・・・・ 2257メートルの山頂ですからね・・・・
 初日の出などを拝むには絶好のポイントではありますが・・・ )

近年急進の進展を見せているバギオを廻る各金山への道路は、バギオを中心と
して動脈の如く放射されている. 即ちバギオはあたかも金鉱脈の心臓部
観を呈している.

(バギオの周辺で金が採れるのは事実で、私が日本語を教えた若い女性の
 家族は親子で個人経営の金採掘をやっているとの話でした.
 最近の金価格の上昇で盛り返しているそうです )



「卅五 (=35)、 バギオ日本人会」 の章

p387
バギオ日本人会の創設は大正九年一月で既に十五ヶ年の歳月を閲し、
群島各地の日本人会に比して最も古きを誇っている.

(これによって、この本は 大正9年(=1920年)+15年 = 1935年
 であることが分かりました. なお、日本占領時代には、バギオ日本人会は
 北部ルソン日本人会として改組されているようです.)


・・本会は会員共存共栄を図り、子女の教育陶法の為小学校を経営するを以って
目的とすると明言
してある・・・

現在の会員数は約三百七十余名で会費は一級一ヶ月二十比から 二十級
一比五十仙に至る二十等級に分つているが、一ヶ月最低一比五十仙と云ふ
金額はマニラ及びダヴァオの月五十仙に比較して三倍に当たり、
如何にバギオの在留邦人がよく一致して子女の教育に専念しつつあるかを
如実に現しており、その真摯な態度に対しては自然と頭の下がるを覚える.


バギオ日本人会が小学校を開始したのは大正13年で その当時の会員は
僅かに百二三十名に過ぎなかったとのことである・・・・

バギオ邦人の質実、真摯な気風はその地理的関係に於いて高原都市
としての気品がある上に南国とは思われぬ冷気によって気分を引き締めて
いることに起因すると思われるが・・・・


(この教育熱心というバギオの日本人・日系人コミュニティーの精神は
 シスター海野の献身的な働きにより、
 日本のロータリークラブや国際エンゼル協会などの支援のもと
 今の北ルソン比日基金、通称アボンに受け継がれているように思います.)


p389

このページには 大正9年の創立時から昭和11年までのバギオ日本人会の
会長、副会長、その他役員の指名がリストされています.




「卅六 (=36)、 在外指定バギオ日本人学校」 の章

p391
在外指定バギオ日本人学校は同地日本人会の経営にかかるもので
・・・大正十四年四月一日を以って開校し・・・

創立以来既に十二年を経過し混血児64名、純邦人子弟76名合計140名の
児童を有するに至っている.


p396
開校以来の児童数が表にまとめてありました:

大正14年 尋常科 男 10  女 14  計24
        高等科 男  0  女  0  計 0


昭和11年 尋常科 男 56  女 64  計 120
       高等科 男 9   女 18  計 27

(つまり、昭和11年=1936年の時点で 日本人学校の生徒は 147名になっています)




「卅七 (=37)、 バギオ日本人の発展状態」 の章

比島各地の都市を一瞥すると、商店街の七八十パーセントは支那商人の
勢力に占められているのが普通であるが、バギオの邦商は開発当時より
優勢をたもち現在雑貨商は殆ど日本人がこれを占め
、その多くは食料品店
を兼営している.

一方支那人は食料品店、旅館、レストラン方面に発展している.
其の外ボンベイ人、ペルシャ人等の商人は最近漸く進出して来た有様で
米人の経営する商店は未だ僅かであるが、金鉱会社、銀行、製材、
乗合自動車、タクシー等は殆ど米人の経営である.

(日本人移民は、これらのアメリカ人経営の企業に係る仕事、および建設業で
 成功を収めた人たちが多いようです)

p398
金山方面には現在約百五六十名の邦人大工が働いているが、
何れも優秀な技術と勤勉なる事が認められ、非常に重宝がられて
各会社の頭領株は悉く日本人で絶大な信用をうけている・・・・

ヒールソーミル会社の経営かかる数カ所の製材所は・・・ほとんどこれ等日本人
製材請負業者の手
によって製材される・・・
この下には五六十名の日本人と約六百名の比人が使役されている.



ツリニダード農園の現況
(ツリニダードとは La Trinidad ラ・トリニダッドのことで、バギオの隣町です)

現今ツリニダード農園は比島唯一の野菜生産地となるに至ったが、
その沿革を逆のぼれば約三十年前ベンゲット移民中の数名の日本人に
よって野菜栽培に好適な土地なることが発見せられたのであって、
・・・年に約二千五百トン、価額として約二十五万比の野菜が産出せられる
に至った. 
この内玉葱が80パーセントを占め、ついで白菜、ジャガ芋、芹、ねぎ等である.

(唯一の野菜生産地というのは 温帯野菜という意味でしょう・・・)


p399
これ等の農園は、日、支、比人の内 七割以上を日本人が経営生産している.


(この本は、いささか日本人の肩を持つような感じの表現もありますが、
 全体の中での割合などを数値で書いてところは理解が助けられます.
 バギオの中国系のコミュニティーでは 同じように「中国人が一番貢献した」という
 ような書きぶりです )




・・・・・この後の章に 断片的に興味深いところがありましたので、
それを拾ってみます.


p399

バギオ青年団は昭和4年2月11日建国祭当日の佳節をとして創設された

(講演会、映画大会、修養座談会、武道・相撲大会、演芸会、陸上大運動会、
野球大会などをやったと書いてあります.)


一方、国際親善の立前から米国独立祭等には日本人代表の山車を出し、
バギオ市より度度賞品を獲得している.

(青年団の役員リスト、昭和11年度の中に日本人会の会計役で
 「思い出はマニラの海に」を著した 郡司忠勝氏の名前があり、
 常任顧問及び歴代団長として 写真家の 古屋正之助氏の名前もみえます.)
http://janl.exblog.jp/11940343
http://janl.exblog.jp/18343794/

p401
現在ダヴァオ州には邦人一萬四千、支那人一千五百名居住するが、
キリスト教比人は十萬七千、非キリスト教は八萬余である

(非キリスト教というのはイスラム教のことでしょうか・・・・)


邦人のダヴァオに移住を始めたのは、明治37年(1904)の事で、
ベンゲット道路工事終了と共に激増し、故太田恭三郎氏の先見の明により
麻栽培地として異常の発達を示している



(以上のとおりで、ベンゲット道路建設の後、仕事を求めてダバオへ渡った
 日本人労働者が多かった中で、バギオ市の建設にその後も貢献した
 人たちが戦前は日本人学校の建設にも尽力し、成功したようです)
by janlbaguio | 2013-11-10 21:48 | History バギオの歴史
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