「第一回バギオ歴史遺産フォーラム」が 6月30日に フィリピン大学バギオ校で開催されました。
主催は、フィリピン大学バギオ校の Cordillera Studies Center (コーディリエラ山岳地域研究センター)と Baguio Heritage Foundation (バギオ歴史遺産財団)です。
左の方がフィリピン大学の教授。 右はバギオ歴史遺産財団の理事長です。
プログラムは 上のとおりで、様々な観点から「バギオ歴史遺産」の認定基準に関する意見交換が進められました。
フィリピン大学バギオ校の学長挨拶。
このフォーラムの目的:
ー バギオ歴史遺産認定の基準づくり
ー 文化歴史遺産に関する情報網の確立
ー 歴史遺産の場所の特定
・・のようです。
基調講演のほかに、各分野からの参加者による意見の発表もあり、
バギオ博物館の館員からの提言もありました。
基調講演の中で、バギオ歴史遺産の現状が報告され、
その中で セッション通りの名前の由来となった会議が このBaden-Powellホールで
開催されたことが述べられ、その建物が今は、バス・ターミナルに並ぶ商店の
後ろに隠され、ホテルとなっていることが紹介されました。
また、別の基調講演の中で、バギオ大聖堂の歴史が紹介されたのですが、
「日本によるバギオ市への絨毯爆撃を耐え忍んだ」という一文がありました。
(おそらくこれは間違いであると思われます。 地元の人々の間では、
1945年に、日本軍をバギオ市から追い出す為に、米軍が絨毯爆撃を
実施したと言われています。
2013年に同じくフィリピン大学バギオ校で開講された公開講座で、
同大ディリマン校の リカルド・T・ホセ博士が 米軍による絨毯爆撃で
あったことを述べています。 )
さらには、1990年のバギオ大地震についても 言及がありました。
そして、植民地となる前の、いわゆる原住山岳民族の視点からの指摘と、
誰にとってのバギオなのか、誰にとっての歴史遺産なのか・・というバギオ市の
根源に関わるレクチャーもありました。
会場には、大学やハイスクール関係者が多く、マニラの大学からも参加がありました。
また、政府機関や博物館、聖職者などの姿もありました。
北ルソン日本人会の分科会活動として 「バギオ歴史探訪アート・マップ」制作を
進めていることもあり、1930年代のバギオのアート・マップに携わっている
アーティストにも バギオ歴史遺産財団の理事長と話をしていただきました。
又、参加者の意見交換の中で、この企画を紹介し、資料などの御提供を
お願いしておきました。
バギオ市における歴史遺産の保護活動が進展することを期待したいと思います。