バギオの歴史: 110年前の日本人移民と日系人社会

フィリピン・バギオ市は 1901年に始まった ベンゲット道路(現在のケノン・ロード)建設を
皮切りに、アメリカ植民地政府が 「保養地」として開発した計画都市ですが、
その開発に 1903年から日本人労働者が携わっています。

その端緒となった「ベンゲット移民」から 現在に至るまでの 日本人、日系人の
バギオを中心とするルソン島北部山岳地帯での歴史を 九州産業大学の森谷教授が
研究され、その論文が公開されていますので ご紹介します。

http://www.jfe-21st-cf.or.jp/furtherance/pdf_hokoku/2015/a14.pdf#search='日系人会+アボン歴史'

「これらの移民たちは、「移民」と一言でいっても、移住先となった社会でそれぞれに
異なる経験をしているのであって、本研究でとりあげるフィリピンもまた、北米、中南
米の移民とは大きく異なる。こうした多様な国際移民の実情を把握し、それを経済的側
面だけでなく社会的影響と併せて考察することは、海外からの研修生の研修期間延長や
家事労働者の受け入れなども検討されている昨今、グローバル化された世界における日
本の今後の見通しを立てるうえで重要な意味をもつに違いない。」

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また、これとは別に、日本本土からの移民と 沖縄からの移民について、
大変興味深い情報があり、上記の「ベンゲット移民」の中に 一年遅れの1904年に
労働者として参加した沖縄からの360名がいて、ケノン・ロードに 道路建設犠牲者の
慰霊碑があることが分かりました。

「バギオの町はジャケットを着けてもなお寒さを覚えるほどで
す。(中略)この難工事をひきうけた沖縄からの渡航団は西暦1903年はるばる
フィリッピンへ向かったのです。彼らはしんぼう強く働きました。けれどもこの仕事は
なまやさしいものではありませんでした。(中略)やがてこれらの障害に打勝ちバギオ
に通ずるベンゲット道路は見事に沖縄人の力で出来上がりました。今バギオ市
入り口の松林にこの難工事にたおれた沖縄の人々の墓碑が永久にバギオ市を護る
かのようにたっています
。}(『戦後資料沖縄』p31)」

沖縄戦後女性史の証言と発掘」で検索してください。
RN10-008.pdf - Adobe Acrobat Reader DC
長崎国際大学学術機関リポジトリ (NIU-AIR)のサイトです。
細田亜津子 著
沖縄戦後女性史の証言と発掘.
――フィリピンに生きる沖縄ウーマンの移民背景――.
細 田 亜津子. (長崎国際大学 人間社会学部 国際観光学科)


   
    
以下のサイトに沖縄からの「ベンゲット移民」の記事がありますのでご覧ください。

沖縄県の歴史学習 「海外移民」
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~yamauchi/08-fuzoku02.pdf

「(8)幸地伸氏(沖縄フィリピン協会会長)との対話

フィリピンへの沖縄移移民第1号は1904年(明治37年)、ルソン島中部の高原都市バギオと低地を結ぶベンゲット道路の建設工事に雇われ、バシー海峡を渡った出稼ぎ労働者360人。翌年道路の完成にともない、移民らは新天地を求めてミンダナオ島のダバオへ流れ、マニラ麻栽培の開拓に乗り出す。言葉や習慣の違いよる現地人との衝突、マラリア風土病などに戦いながらの開墾であった。」

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さらに、上記の沖縄からの移民に関連して、以下のサイトに当時の本土からの移民と
沖縄からの移民の間にあった歴史に根差した違いがあったことが述べられています:

「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」
http://kousyou.cc/archives/11106

「1944年の部外秘とされた米国海軍省資料の記述が興味深い。・・・・・
『日本人と琉球人(沖縄人)とのあいだの、たいへん近い民族的関係や、言
語の類似性にもかかわらず、琉球人は日本人からは民族的に平等だとはみなされていない。
・・・・ところが一方、琉球人の方は、自分たちが劣っているとは全然感じておらず、
自分たち自身の伝統や、中国との長期にわたる文化的紐帯に誇りをもっている。」

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「ダバオ国」の沖縄人社会再考 -本土日本人、フィリピン人との関係を中心に-」
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/123456789/6447/1/No2p001.pdf

「ダパオに定住する最初の邦人移民のコア集団は,いわゆる「ベンゲット移民」である。ベンゲット移民とは,バギオというルソン島中部の高原の避暑地(夏の首都)に通じる「ベンゲット道路」工事のために導入された日本人建設労働者のことで,1903年から道路が完成する1905年初めまでの間,一説には延べ約2,800人が工事に従事した(東亜経済調査局1936:212)。この中心は,沖縄人と九州人だった(米田1939:31)。沖縄からのベンゲット移民は,本土日本人移民より1年遅れの1904年4月に現地入りした。」

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さらにご興味をお持ちの方は、こちらのサイトをご参照ください:
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/08/post-44c5.html


ケノン・ロードにある 北ルソン比日基金が管理している展望台と記念碑については、
こちらのページでご参照ください:
http://janl.exblog.jp/7076729/

                 

以上、ご参考まで。




                     

                
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by janlbaguio | 2016-08-22 14:58 | History バギオの歴史
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