バギオの歴史を学ぶコーナー


このコーナーは バギオの歴史を書籍から学ぶコーナーです。
JANLの会員の一人である佐世たもつが 暇でしょうがない時に ぽつりぽつりと英語で書かれている書籍から 興味のあるところだけをつまみ喰いしながら 英語の勉強だと思って翻訳をしていきたいと思っています。 気長にお付き合い下さい。
尚、翻訳の間違いにお気付きの方は、是非ご指摘下さい。 

まず最初にご紹介するのは 次の本です:
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CITY OF PINES  
The Origins of Baguio
as a Colonial Hill Station
and Regional Capital
(「松の都市 
  ― 植民地の高原避暑地及び地域の主要都市としてのバギオの起源
」)
著者: Robert R. Reed

初版発行: 1976年3月 
発行者: Center for South and Southeast Asia Studies,
       University of California,
       Berkeley, California, USA
第二版発行: 1999年9月
発行者: A-Seven Publishing
       P.O.Box 274
      2600 Baguio City, Philippines

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<<<ご注意: 翻訳文中< >内の解説は翻訳者の調査による注釈です。>>>


まえがき

xxivページ
二十世紀の夜明けに造られて、バギオはすぐに典型的な高原避暑地となりました。 本当に、このアメリカによる植民定住は、南アジアの山岳地域とオランダ領東インドにおけるイギリスとオランダのリゾート地に直接影響され、それらをモデルとしたように思えます。
実際、バギオの創設者達は、ベンゲットにおける新しい夏の首都を、シムラ<Simla,インド北部>、ボイテンゾルグ<Buitenzorg,現在のインドネシアのボゴール>、ダージリン<Darjeeling,インド東部>やその他の主要な避暑地と比較して、その自然の美しさ、健康によい気候、すばらしいスポーツ施設、投資のチャンス、それに将来の見通しなどについて賞賛したものです。


xxvページ
個人的な手紙や、公式のレポートや、出版された記事などで、アメリカの管理者達は何度も、高原保養地の一般的有用性を訴え、バギオに於ける高くつく基盤整備投資を進めながら、アメリカ人、ヨーロッパ人、そして、マニラや他の低地の都市の裕福なフィリピン人のエリート層の中で、高地でのバケーションの健康上の利点を宣伝しました。

最初はフィリピン人やアメリカ人の反対もありましたが、「松の都市」と言う巧みに付けられた名称が、フィリピンの公式な首都として、第一次世界大戦前の十年以上にわたり役立ちました。 そして、リゾート、行政府、及び商業機能を組み合わせた力強いコミュニティーとなります。

1920年代と1930年代には、バギオは急速に成長し、すぐに 大きな健康・リクリエーション・センター、主要なマーケットの町、教育や宗教活動の拠点、広域の行政複合体、軍事訓練と休暇の舞台、そしてダイナミックな社交センターへと発展を遂げました。

第二次世界大戦の勃発によって、バギオは疑いも無く東南アジアで最高の高原避暑地の地位をしめ、年間に十万人の滞在者を魅了しました。 バギオは叉、交通の要所、医療および教育の複合体、山岳州の州都、軍の宿営地、そして製材業、鉱業、ツーリズム、野菜生産で知られる高地領域の管理本部として貢献することになりました。

そのような機能的多様性に応じるように、都市部人口は、1913年の3,500人から 1940年までには25,000人へと増加したのです。




(コーナーの2ページへ続く)
 
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by janlbaguio | 2007-09-26 12:13 | History バギオの歴史
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