バギオの歴史を学ぶコーナー (4ページ目)


CITY OF PINES 「松の都市」
著者: Robert R. Reed


第三章  バギオの起源
      フィリピンの環境についてのアメリカの認識


(続きです。)


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バギオにおける主な保養施設建設のプランを学んだ後、彼はさらに、マニラにおいて政府公文書の体系的な調査を始め、Blancoのベンゲット委員会の膨大な報告書を探し出しました。 Worcester教授は優れた動物学者であり、有能な研究者でもありましたから、この膨大な科学的文献に非常に喜びました。 なぜなら、この文献は多くの疑問にその答を提供してくれたからでした。 地形、降水量、植生、気温、そしてバギオの水の供給、さらには ベンゲットに到る新しい道路あるいは鉄道に最適なルートなどにも及んでいました。
そのような具体的な技術的情報は、もちろん、島国の首都に住んでいる普通の有名な情報提供者からは得られないものでした。

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Worcesterは 意図されたプロジェクトを 誰が最終的に決定するのか探していました。 陸軍長官は、ベンゲットが健康とリクリエーションの有望な地であると思ったようで、フィリピンの行政長官に指示を出し、彼らがマニラに帰り次第 その高原の詳細の調査を始め、もし条件が良ければ アメリカの高原保養地を建設するように命令しました。

Rootの口頭指示に基づいて、タフト・フィリピン委員会は 1990年7月に二人のリーダーを指名します。- Dean C. Worcester(ウォーセスター) と Luke E. Write(ライト) - でした。 この二人は、健康リゾートとして ベンゲットが適しているかどうかを確認するために、ベンゲットの山々を調査する任務を与えられた特別委員会のリーダーとなりました。

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山への短い訪問の間に、ウォーセスター、ライトとその調査団一行は 1896年に現在のバギオの地域に定住したドイツ人学者で農園主の Otto Scheererの家に宿泊します。 この人物はベンゲットに関する彼の知識を教え、ガイドとして協力し、叉 中緯度の果物や野菜がどのように適応するかを 彼自身の農園で実証して見せて、一行の努力に大きな貢献をします。

マニラに戻るとすぐに、 ウォーセスターとライトは 一行の調査と結果について 簡潔かつ確信に満ちた報告書で 次のように結論づけました:
ベンゲット高地の気候は、北ニュージーランドにおける晩春から初夏にかけての気候に非常に近い。 そこでは 白人の婦人や子供達が生活を楽しめると信じることができる多くの理由がある・・・ もしベンゲット州がマニラとの間で迅速な連絡がとれるようになれば、毎年 数千ドルの金額と幾百人もの貴重な生命が 救われることになるであろう。 
バギオは 予備野営地として素晴らしい地点にあり、そこから必要に応じてフィリピン群島のあらゆる地域に軍隊を配置することも可能であるだろう。
叉、新たにフィリピンに来た人々にとっても、気候に順応するための優れた場所であろう。
気候的な条件の悪さから体調を壊した兵士も、実際にひどくなる前にそこへ送って回復させることが可能であろう・・・  このように、傷病兵は最も環境条件の整ったところで回復する機会が与えられる。

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牛にとっての牧草も豊富であり、経験的にこの地域において非常にうまく行われている。 
多くの温帯での果物、野菜、そして穀物を有利に栽培できることも叉確かである。

ダグーパンとバギオを結ぶ良い高速道路の建設を速やかに開始しなければならない。
さらには、ダグーパンあるいはスアルから バギオまでの鉄道が 可及的速やかに完成すべきであるということを 強く進言する。
それが完成したあかつきには、ベンゲットは理想的な健康リゾートとなるであろう。 フィリピン群島の住民 及び 中国の沿海に住む人々にとっても すぐに行くことの出来るリゾートとなるのである。
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by janlbaguio | 2007-11-21 14:23 | History バギオの歴史
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