Kennon Road ケノン道路(ベンゲット道路) 展望台

「バギオの歴史」の本を読む中に出てくる ケノン・ロード(ベンゲット道路)。
ここで、ケノン・ロードの キャンプ7 にある 展望台を訪ねてみましょう。
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KENNON ROAD VIEW POINT 又は VIEWING PAVILION です。
この建物には 北ルソン比日基金(北ルソン日系人会・アボン) のサインがあります。

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展望台からは ケノン道路を見下ろすことが出来ます。
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マニラとバギオを結ぶ みっつの大動脈のひとつ。
その中でも 一番険しく、雨季ともなると 今でも崖崩れなどの危険が伴います。

その困難であった道路建設の歴史を物語るものが ここにあります。
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その敷地にある記念碑を読んでみますと、
「2,300名の日本人移民労働者が このケノン・ロードの建設に携わり、その多くが事故や病気で犠牲となったことを追悼する。」
と書かれています。

さらに、この敷地の横にある交番の隣には、ケノン大佐の胸像があります。
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陸軍大佐 LYMAN W. KENNON (ケノン大佐)
アメリカ陸軍 第十歩兵連隊
「ケノン道路の建設者」

この記念碑を読みますと、
「この記念碑は ベンゲット道路の100年祭(1905-2005)をお祝いするものです。 ベンゲット道路は、その建設者の名をとって 後年フィリピン政府により ケノン・ロードと命名されました。 四千人もの多国籍の労働者への尊敬と感謝を捧げます。 アメリカ、フィリピン、日本、中国、カナダ、ハワイ、メキシコ、インド、ヒンズー、チリ、ペルー、スペイン、イタリア、ロシア、ドイツ、フランス、ポルトガル、スエーデン、その他の国々の人々で構成されていました。」
とあります。

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この記念碑は、フィリピン国内の記者クラブの発案で、北ルソン日系人会を含む 様々な市民レベルの支援によって建てられたと記されています。

上記ふたつの記念碑を総合すると、 およそ4千人の建設労働者の内、約2,300人が日本人であったことが分かります。

ただし、この人数については、いろいろの説があるようで、こちらの 展望台建設当時の新聞記事では 違った数字が出ております。
延べ三万人の内 日本人労働者は 約2割、つまり 6,000人くらいということです。
ちなみに、日本人の犠牲者数は 700人とあります。
又、 展望台の場所が キャンプ8 とされていますが、キャンプ7の間違いです。
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by janlbaguio | 2008-05-05 13:35 | History バギオの歴史
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