バギオの歴史を学ぶコーナー(8ページ目)


CITY OF PINES 「松の都市」
著者: Robert R. Reed


第四章
バギオの建設初期

開発のデザイン: バーンハム計画



p103
このように、バーンハムはバギオの管理された拡大を求め、又同時に、都市の指定保留地内あるいは周辺における松の森を維持することに心を配るよう求めたのでした。

p111
このバーンハムとの計画作成の結果として、又、その他のおびただしいベンゲットでの調査を含め、フォーブス行政長官は 高原保養地および地域の首都としてバギオが開花するために必要な条件は三つであると結論付けた。 

第一番目は、ベンゲット・ロードを完成することが絶対に必要であること。それは、低地から高地へ到る納得出来る料金での交通機関を保証することであり、さらに、山岳都市の都市保留地内での優れた道路網を開発する為である。 これらの基盤整備計画が終わってこそ、傷病者や、休養をする人々、それにその他の高地への旅行者が、その数に於いて、中核となる高原保養地を維持するに十分なものとなることが出来るのである。

二番目には、フォーブスはバギオに於ける宿舎、食事、リクリエーション施設は、適切な道路がパンガシナンと繋がれたあかつきには、予測される旅行者を受け入れるには全く不十分であるとはっきりと認識していた。 彼はこれらの条件を改善すべく、ホテル、レストラン、クラブ、そして公園などへの投資を、政府内および個人においても喚起した。

最後に、フォーブスは、バギオの完全な成功は、マニラの一時的在住者である西欧人コミュニティー、主要な中核都市のエリートのスペイン系白人、さらにはフィリピン国中に台頭するフィリピン人中産階級の人々が興味を持ち、支持を続けてくれることに掛かっている確信していた。

・・・ 新しい道路が開通した後でさえも、山岳地域への旅はまだ非常な困難を伴うものであった。 遅くて退屈なマニラからダグーパンへの鉄道でのたびの後に、バギオへの巡礼者は高原へ到着する前に 53マイルにも及ぶ馬又はラバでの荒っぽい旅行を強いられたのです。 さらには、六月あるいは七月に南西モンスーンが始まると、常に大きな崖崩れや、橋の流出や、ベンゲット・ロードの間欠的な閉鎖に見舞われたのでした。
[PR]
by janlbaguio | 2008-10-17 23:10 | History バギオの歴史
<< バギオ100年 過去 と 未来... 「ソルヴェイグの歌」 只今連載中!! >>