バギオ100年 - 今確かめる戦争から平和への道のり


"Forum, Story-Telling & Interaction on the Tragedies on World War II"
the Theme :
"Reconciling our Past, Journeying to a Peaceful Future"

2008年10月27日、バギオ大学には70名前後の人々が集いました。
「第二次世界大戦の悲劇についてのフォーラム、物語り、そして対話」
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この日、Interfaith Center for a Culture of Non Violence (ICCN)(宗教を超えた非暴力文化センター)とBaguio Centennial Commission(バギオ100年祭委員会) 並びに バギオ大学の協力によって 第二次大戦中の悲劇について元日本兵のビデオ・メッセージを元にした平和の集いが開かれました。

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左から、Chito Guerrero氏(ICCN)、神直子氏(Bridge for Peace)、Rey Bautistaバギオ市長、Virgilio Bautistaバギオ100年祭委員会会長、そして退役軍人会代表。
会場には、周辺自治体の町長、退役軍人の皆さん、北ルソン日系人会や北ルソン日本人会の皆さんも参加されました。

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主催者の一人である ICCNの Chito Guerrero氏は フィリピン戦での様々な残虐行為があったこと、又その時の日本軍には弾薬も食料もなくフィリピン国民から奪うことしか道がなかったことなども説明されました。 
又、同時に 日本における教科書について、「過去の悲劇を繰り返さないという視点に欠けているのではないか。」との指摘もありました。

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ビデオ・メッセージを作成したのは 日本のNGO団体Bridge for Peaceの代表 神直子さん。 テーマは Reconciling our Past, Journeying to a Peaceful Future (過去の和解、平和な未来への旅)です。

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ビデオの中の元日本兵の語りで、私の心に残った言葉は 以下のようなものでした:
「当時は誰もが戦争に賛成していた。 だれも平和などと言う言葉は使えなかった。 そんなことを言えば捕まえられた。」
「戦後、フィリピンに慰霊には行った。 しかし、それは一緒に戦った戦友の慰霊の為で、フィリピンの人たちに謝るものではなかった。 それが今も心の傷として残っている。」
「若い人たちには、今のこの平和を未来に向って大切にして欲しい。」

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ビデオを見た後、様々な方からのスピーチがありました。  
日本の兵士達は軍国主義の国から「送られて」しまった人たちだったのだし、フィリピン人にも日本人にも広島や長崎の原爆被害者を含め多くの市民の犠牲者が出たのだから、双方の国民が戦争の犠牲者なのだ。 この元日本兵の人たちの謝罪を受け入れて、一緒に平和を守っていこうじゃないか、との主旨でした。

この中で、バギオのシニア市民協会の会長エスカニオ氏から、9月3日の「山下大将降伏記念日」が バギオ100年となる来年からバギオにおける 「フィリピン・日本友好の日」 としてバギオ市議会で決定された旨の報告があり、会場に拍手が湧き上がりました。 
(この決定にいたる背景については こちらの新聞サイトでご覧下さい。)


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会議室での集いの後、参加者全員が戦争・平和への想いをそれぞれに小さな紙に書きとめ、それを小さな庭園で願いを込めて焼き、平和の鳩と風船を飛ばして和解と平和への誓いを心に刻みました。
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この集いには、バギオ大学に交換留学中の長崎ウエスレヤン大学の学生4名も参加していらっしゃいました。

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来年の2009年、バギオ100年祭の年は、バギオへの道であるベンゲット道(ケノン・ロード)建設に多くの犠牲を払いながら貢献した日本人のベンゲット移民から始まった本格的なフィリピンと日本との人的交流からの100年でもあると言えるでしょう。

そして、太平洋戦争がパール・ハーバーへの奇襲で始まった1941年12月8日、バギオのジョン・ヘイにも日本の航空機による爆撃が始まったのです
(このことはあまり知られていませんが、この会場で私の隣に座った退役軍人の方が、「私の叔父がその時ジョン・ヘイのセキュリティーをやっていたから、これは本当ですよ。」と教えて下さいました。)
そして、もちろん、クラーク空軍基地やダバオなどフィリピン各地への空爆もこの日に始まったのだそうです。

そして、そのフィリピン戦は、奇しくもバギオの同じジョン・ヘイでの山下大将による正式な降伏文書への署名で幕を閉じることになりました。
 
バギオの過去の100年の歴史は、日本とフィリピンの歴史と切っても切れない重い意味合いを含んでいるのです。 
今から100年の日本の未来は、バギオ、フィリピンとどう関わっていくのでしょうか。
 
 

(報告: HO)

 
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by janlbaguio | 2008-10-27 16:14 | AJISAI 文化交流 network
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