JAPITAC ワークショップは 歴史の勉強


2009年9月3日に JAPITACが上演するのは ケノン・ロード(ベンゲット道路)建設に関わった日本人移民の歴史。 バギオを始めとする周辺の町の発展につくし、繁栄し、そして戦争で全てを失う日本人、日系人の時代の流れを、フィリピン人やアメリカ人との関係の中で、 平和を求め、祈念する演劇へと創りあげます。

ワークショップの参加アーティストの皆さんは、日系人の方から話を伺うことから始めました。
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日本人と言うだけでも大変な時代。 それが「ヤマシタ」と言う事になればなおさら・・・
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ヤマシタさんの父上は サガダで教会などの建設に携わった石工だったそうです。

そして、バギオ・マウンテン州博物館で展示中の歴史写真を見学し、 キャンプ・ジャン・ヘイの「歴史の小道」を歩きます。 
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キャンプ・ジャン・ヘイの スカウト・ヒルや メス・ホール辺りに 1941年12月8日 真珠湾攻撃と同じ日に 日本軍の爆撃があったこと。 ジャン・ヘイが捕虜収容所になったこと・・・
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キャンプ・ジャン・ヘイは 1903年からの歴史を持っています。 おそらくこの家や庭園では 日本人移民の石工、大工、庭師などが腕を振るったことでしょう。

ボタニカル・ガーデンでは、日本軍が掘ったと言われている防空壕を見学。 そしてその後に向ったのは・・
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マンション・ハウスを過ぎ、マインズ・ビュー・パークの下へと ずんずん降りて行くと、山深い谷へと道が続きます。

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50分ほどジプニーで山を下っていくと、 イトゴンの退役軍人のミニ・パークがありました。
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「PFC LUISが 6人のジャップを撃った。」  生々しい記録が ここに残されています。
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この 戦争ミニ・パークを御自宅の庭に作ったのは このカランテス氏。
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この方は その奥様。 85歳だとか。 カランテス氏は入院とのことでお話は伺うことが出来ませんでした。

このカランテスさんの話、詳細については、 環境NGO コーディリエラ・グリーン・ネットワークのサイトでもご覧下さい。
http://cordillera.exblog.jp/9921753/
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次にジプニーで乗り付けたところは、ここ。  ドミニカン・ヒル
最初は 修道院のサナトリウム(末期患者の療養所)として造られた建物。 日本人の石工や大工も関わっていた建物です。 そして、その後 ディプロマット・ホテルとなり、 その後ホテルが営業を止めると廃墟となり、バギオ大地震の被害もありました。
ホテルであった頃から幽霊の噂があり・・・
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地元でも有名な 幽霊の名所ともなっているのです。
詳しくは こちらの JANLメンバーのブログでどうぞ。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2009/03/dominican-and-m.html
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そして 最後に足を運んだところは バギオ市営墓地。 日本人墓地です。
ケノン道路やバギオの建設に関わった日本人の名前が その出身地とともに 記録されています。
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これが この共同墓地の記念碑です。  ケノン道路建設の生き残りであることなどが記されています。
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by janlbaguio | 2009-04-25 23:46 | JAPITAC 日比平和演劇祭
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