カテゴリ:History バギオの歴史( 80 )

今週のバギオ・シネマテック 「Iliw」 世界遺産ビガンを救った日本軍大尉

今週、2013年6月11日からの バギオ・シネマテック映画館での上映予定です。

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「Iliw」は フィリピン・イロコス地方で自主制作された映画で、
第二次世界大戦中の日本軍がビガンに駐留し、戦争末期に日本人の大尉が
米軍の砲撃などからビガンの町を守るために 上層部からの命令を拒否した
という史実を元につくられた物語です。


ビガンの歴史については、こちらでご覧ください:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AC%E3%83%B3%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%83%BD%E5%B8%82

予告編は こちらの youtubeで どうぞ:
http://www.youtube.com/watch?v=Z8ztyhtgQjA

この映画には 日本人俳優も出演しています。


バギオ・シネマテック映画館は、
SMバギオのすぐ隣、アッパー・セッション通りの 歴史的建物である CASA VALLEJOホテルと同じ建物の中にあります。
HILL STATIONというレストランも同じ建物にあって、その隣です。

バギオ・シネマテックはフィリピン政府が直接運営している映画館ですので、
ほとんどの場合 入場料は無料です。

Iliwは フィリピン語、日本語、英語が使われている映画ですが、
字幕は英語になっています。

どうぞお楽しみください。



  



     



   




    




       


      
     
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by janlbaguio | 2013-06-10 17:44 | History バギオの歴史

バギオの歴史 - 日系人 人物録2 セシル・アファブレ


BAGUIO PRECIOUS MEMORIES
published by Leonides and Aurora Bautista

(published in 2012 ? )


フィリピン・バギオ市のバウティスタ夫妻によって発行された
「バギオ・プレシャス・メモリーズ」という本の中から、
日本人移民の歴史に関係する記事の一部を抜き出して
翻訳してみました。


Cecile Afable :
A woman like no other

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セシル・アファブレはバギオ市の過去100年の中で、
最も教養のあるイゴロットの女性です。

彼女はフィリピン大学に入った最初のイゴロット女性でした。
また、フルブライト奨学生としてアメリカに渡った初めての
イゴロットの女流著述家でもありました。

2007年のフィリピン書籍賞を受賞した Japanese Pioneers
in the Northern Philippine Islands (訳者注: この書籍名は
Islands となっていますが、正しくは Highlands ですので
和訳すれば 「北部フィリピン高地における日本人開拓者たち
ということになります。)の出版を手がけた人でもあります。

彼女は過去25年間に渡ってバギオ・ミッドランド新聞の
編集者でもありました。
その新聞は、傑出した地方紙として様々な賞を受賞しました。

彼女はコーディリエラ(山岳地帯)の人々を連帯させた組織である
BIBAKの主要な創設者でもあります。 さらに、彼女は
バギオのマウンテン州博物館(訳者注:現在のバギオ博物館)を
組織した人でもあり、バギオ市でのガール・スカウト活動をも
組織しました。


テルジ・オオクボ と ジョセファ・カリニョ の娘として生まれました。
彼女の父は、ジグザグ・ロード(訳者注: 建設当時は「ベンゲット・
ロード
」と呼ばれ、その後「ケノン・ロード」と呼ばれている道路)
の建設の仕事で日本からやってきました。
その父は、大工でしたが、その後家屋やビルを建て、イゴロットや
イロカノ族の部下から「マエストロ」(巨匠)とか「カパタス」(親方)
として知られました。

テルジは、マンション・ハウスの仕事をし、カトリック教会のために
修道院や保養所や学校などを建てました。又、バギオ大聖堂の祭壇も
手がけました。
さらに、彼は、バギオ・セントラル・スクール、キャンプ・ジョン・ヘイ
の中のコテッジ、ティーチャーズ・キャンプのいくつかの建物も
建てたのです。

母ジョセファは、イバロイ族として彼女を育てました。
これは、いたる所に精霊がいるという信仰をも含んでいました。

流れている水に唾を吐くのはタブーでした。
小鳥や蛇を殺すことも、木を切ることもタブーでした。
それは、そこに精霊がいるからでした。

彼女はどこにでも精霊がいるということを信じて育ちました。
そして、それが彼女と自然との関係を決めたのです。

彼女の父親は仏教を信じていましたが、宗教での軋轢はありませんでした。


セシルには4人の兄弟がいました。
異父兄弟の オセオとシナイ、そして同じ父親の兄弟 ポリカルピオ
と ベルナルド です。
一人娘であったため、両親から特別扱いされました。
食事に関して言えば、彼女の分だけ別に取り分けてありました。

彼らの家は、バーンハム池の上にあるキサド・ロードの上にあって、
Apdiと呼ばれていました。

彼女はバーンハム池で泳いでから、兄弟と一緒に学校へ歩いていきました。

彼女はバギオ・セントラル・スクールで勉強しました。
若いうちにドーナッツを作ることを学び、注文に応じて作り、
兄弟のバーニーが集金係をしていました。

アメリカ時代の初期のバギオには、イバロイ人、パンガシナン人、
そしてイロカノ人などが住んでいました。

最初に市役所の経営に入ったのは、イロカノ人でした。
彼等はスペイン語を学び、タイピングが出来たので、アメリカ人に
とって役に立ったのです。

彼女は、フィリピン大学で哲学を学び、インド人と英国人の
哲学者には満足していました。
ドイツの哲学者ニーチェの人生哲学は彼女にぴったりでした
ーー 自分に自由であれ。

彼女は、16歳でフィリピン大学を卒業し、教員免許を取得しました。


メディアの仕事に関わる一方で、彼女は バギオ・カレッジ財団
(訳者注: 今のコーディリエラ大学、UCです)の教授陣に加わり、
英文学を教授しました。

彼女は、アメリカで環境を守り、育てることを学びました。

バギオ市の環境が悪化していることを見て、バギオの主要な人物
たちと一緒に、1988年にバギオの緑再生運動を始めました。
それ以来、バギオを苦しめる課題についての効果的なロビー活動
団体となりました。

============


以上の翻訳は、全文の翻訳ではなく、日本人、日系人の歴史に関わる部分を
抜き出して一部の翻訳としております。
ご了承ください。

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(訳者注: 上記にある Japanese Pioneers in the Northern
Philippine Highlands
という本の中では、
      プロジェクト・ディレクターとして
      セシル・アファブレの名があり、
      編集者として娘であるパトリシア・オオクボ・アファブレの
      名前が記されています。 )


こちらのサイトに上記の書籍に関する記事があり、その中に
以下のように紹介してあります。
http://referencematerials.blogspot.com/2004/11/cordillera-crossover-japanese-legacy.html

Patricia's mother, the legendary Baguio journalist Cecile Afable,
serves as the book's project director.


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by janlbaguio | 2013-06-03 23:23 | History バギオの歴史

バギオの歴史 - 日系人 人物録1 オセオ・ハマダ

BAGUIO PRECIOUS MEMORIES
published by Leonides and Aurora Bautista


(published in 2012 ? )


フィリピン・バギオ市のバウティスタ夫妻によって発行された
「バギオ・プレシャス・メモリーズ」という本の中から、
日本人移民の歴史に関係する記事の一部を抜き出して
翻訳してみました。

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Oseo Hamada
by Baboo Mondonedo (n は ~ が付く)
(from interviews with Billy and Charlie Hamada)


オセオ・ハマダ

私がバギオ・ミッドランド新聞社でスタッフとして働いていた何年
もの間ずっと、常にあった広告部門の中の私たちの部屋の向かい側に
一人の男がいました。
彼は分厚いメガネをかけ、大きな拡大鏡越しに書類をじっと見て
いました。
彼はいつも無表情な顔だったのですが、私たちが挨拶をすると笑み
がこぼれました。
私たちはあまり彼と話すこともなかったのですが、編集者であった
セシルおばさんがスタッフの代わりに話をしてくれました
彼はセシルおばさんの依頼には黙って従っていて、ノーと言った
ことはなかったと思います。
新聞社では、彼はビッグ・ボスでした。

オセオ(愛情を込めてオッシーと呼ばれていました)は仕事中毒で、
何かを始めるとそれが終わるまでやめませんでした。
1985年に、バギオ・ミッドランド新聞のビジネス・マネジャーの
仕事を引き継ぎました。バギオ・ミッドランド新聞は1947年に
彼の兄(下記の注記参照)のシナイ・ハマダによって設立されたものでした。
オセオによる経営になってから、会社は赤字から黒字になり、
発展できる企業となりました。

彼は人付き合いが良く、誰とでも友達になり、社交的で、友達には
寛大な人でした。
ですから、彼が引き受けたプロジェクトの資金を集めたりすることは
易しいことでした。例えば、医療支援、建物、歩道橋、奨学金、
図書寄贈など。
 
彼は、様々な立場で、市民のための仕事に関与していました。
バギオ総合医療センターの諮問委員会のメンバーで、経営陣に
たいして市民の要望を伝えました。
彼はまた、フィリピン赤十字バギオ支部、フィリピン精神衛生協会
バギオ支部、フィリピン・ボーイスカウトの全国理事会、
ライオンズクラブ・バギオ市及びベンゲット州、バギオ商工会議所、
バギオ・プレスクラブ、・・・・・。

1970年代に、シスター・テレジア・海野が、北ルソン比日基金
を組織するのに応えて、初代の代表となり、そのご理事長になりました。

オセオ・ハマダは、フィリピン・バギオ市にて1911年5月7日に
生まれました。
彼は、リューキチ・ハマダとジョセファ・カリニョの二男として
生まれました。(下記の注記参照)
父のリューキチ・ハマダは、日本人移民であり、Heald製材会社
の現場監督で、 母のジョセファ・カリニョは、マテオ・カリニョと
バヨサ・オルテガの長女でした。

母のジョセファは、日本人と結婚したために、相続権を奪われました。
彼女が唯一与えられたのは、今現在バギオ・ミッドランド新聞社が
建っている土地だけでした。

オッシーはバギオ・セントラル小学校、マウンテン州ハイスクール、
そしてマニラの学校へ進みました。2年後に、彼は大学の学位を
取ることにもっと興味を持っていた兄のシナイ・ハマダに道を
譲りました。

第二次大戦後、バギオ及びフィリピンに住んでいた日系人は迫害を
受けました。 他の日本人居住者は安全の為に日本へ帰り、事情が
良くなってから後年にフィリピンへ戻りました。
オッシーと兄のシナイはバギオ市に留まりましたが、叔父から
反フィリピンということで非難を受け、さらには市長である
ホセ・カリニョからも告発されました。
彼は、そのことを非常に不愉快に思い、心に哀しみを引きづり
ました。

一方で、イゴロットであることに誇りを持ち、お祭りに招待されると
いつも出かけて行きました。 多くの人々が支援を求めて彼の家に
やってきました。 彼らは多くの近親者と親戚を持ち、一緒に
住んでいました。

戒厳令下に、彼の兄が投獄された間、バギオ・ミッドランド新聞は
発行を続けました。
ニュースはキャンプ・アレンの軍による検閲と承認が必要でした。
検閲は、解散総選挙の後になってようやく緩和されました。

オッシーは、彼の人生の82年間、ずっとバギオに暮しました。
70年代にバギオの山々が家々に埋められてバギオの風景が変わって
いた頃、子供たちにいつも AWANEN(注) を語りました。
彼のハンティングの場所であったピンサオや、庭園を造り、乳牛を
飼っていたキャンプ7での生活について、思い出を語りました。



(注) AWANENとは「消えてしまったもの」「無くなってしまったもの」「失われたもの」
    という意味のイロカノ語だそうです。



== 上記の翻訳文は 原文の一部を抜き出して翻訳したものです ==

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<<注記>>

上記の書籍の中では、オセオ・ハマダは次男であると書かれており、
シナイ・ハマダがその兄であるとされていますが、以下の資料によれば、
オセオは1911年生まれ、シナイは1912年生まれであって、
オセオの方が兄であるようです

オセオ・ハマダ氏と シナイ・ハマダ氏の関係については、こちらのサイトをご参照ください。
http://en.wikipilipinas.org/index.php?title=Sinai_Hamada


上のwikipilipinasからの引用です:

Sinai Hamada (February 1912 – September 1991, Baguio City)
Syne’s biological father died in a sawmill accident when he was still one month old. His stepfather, Teruji Okubo, is also a Japanese national who became a prominent builder in Benguet, as well. His brother is Oseo Hamada, who managed the Baguio Printing and Publishing Company; while his half-sister is Cecile Afable, also a famous journalist in Baguio City.

「 シナイ・ハマダ (1912年2月生まれー1991年9月死亡、バギオ市)
シナイの実父はシナイがあだ一歳の時に製材所の事故で死亡しました。
シナイの継父は テルジ・オオクボで、テルジも日本人であり、同様にベンゲット州での著名な建築業者となりました。 シナイの兄弟であるオセオ・ハマダは、バギオ印刷出版会社を経営しました。
一方、シナイの異父姉妹は セシル・アファブレで、彼女もバギオ市の著名なジャーナリストです。」


又、北ルソン比日基金(通称アボン、日系人会)が出版した
「Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highlands」
の85ページには Bernardo Yoshikazu C. Okubo氏によって
以下のような記載があります。

Papa, my father, was Nanay's second husband.
I had two half-brothers from her first marriage to Ryukitse Hamada,
who died in a sawmill accident in 1912.

Yoshio, the eldest, was given the Christian name Oseo,
and Yoshinai, the younger, was baptized Sinai.
Yoshie, or Cecile, was the first child of Papa and Nanay,
followed by Yoshinobu("Enot") Policarpio, then myself,
Yoshikazu Bernardo.
This was our fmily.

「パパ、私の父、は ママの二人目の夫でした。
私には 二人の異父兄弟がいます。 母の最初の結婚は リューキチ・ハマダとの
結婚でしたが、その父は1912年に製材所の事故で死亡しました。

長男のヨシオは、オセオというクリスチャン・ネームを与えられました、
そして、その弟のヨシナイは、シナイとして洗礼されました


ヨシエ、あるいはセシル、はパパとママの最初の子供で、
その下に ヨシノブ(「エノット」)・ポリカルピオ、そして私自身、ヨシカズ・ベルナロドがいます。
これが私の家族です。」


=== 

以上、「注記」に書きましたとおり、オセオ・ハマダ、シナイ・ハマダの異父兄弟である
ベルナルド氏が書いていますので、こちらの方が正しいものと考えられます。


  
 
 
 
     

 








 





   


     


   





    







   






   



   






 
 
 
 
 
 
 
 
 
      


         
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by janlbaguio | 2013-06-03 00:13 | History バギオの歴史

フィリピン バギオ市 概要・歴史など - 公式サイトからの和訳

バギオ市の概要・歴史、その他の情報

バギオ市の公式サイトから情報の一部を翻訳しています。
(2013年5月現在のサイトに記載された文章から)
http://www.baguio.gov.ph/?q=content/about-baguio-city
(公式サイトの内容が更新された場合は、そちらをご覧ください。)


Overview
バギオの概要


The name Baguio conjures, for both the international and domestic traveler, a highland retreat in the Grand Cordillera in Northern Luzon, with pine trees, crisp cold breezes and low verdant knolls and hillocks. Through the numerous decades Baguio has morphed from what was once a grassy marshland into one of the cleanest and greenest, most highly urbanized cities in the country. It has made its mark as a premiere tourist destination in the Northern part of the Philippines with its cool climate, foggy hills, panoramic views and lovely flowers. Being the ideal convergence zone of neighboring highland places, Baguio is the melting pot of different peoples and cultures and has boosted its ability to provide a center for education for its neighbors. Its rich culture and countless resources have lured numerous investments and business opportunities to the city.

バギオという名前は、海外、国内の旅行者を問わず、ルソン島北部にある壮大な山岳地帯の高原避暑地を思い起こさせ、そこに、松林、爽やかな涼風、そして、低く緑に覆われた丸い丘や小さい丘を連想させます。 何十年もの間にバギオは姿を変え、かつての草に覆われた湿地帯から、フィリピンの中でも最もきれいな、緑の多い、高度に都市派の町のひとつとなりました。 その涼しい気候、霧の丘、雄大な風景、そして愛らしい花々によって、バギオは主要な観光地となったのです。 周辺の高原地域が一点に集まるという理想的な立地によって、バギオは様々な人々と文化のるつぼであり、そしてさらに、周辺地域のための教育の中心地としての能力も強化してきました。 その豊かな文化と無数の資源は、多くの投資とビジネスの機会をバギオ市に引きつけてきました。


History
歴史


The arrival of the Americans in the early 1900s spurred development in the City. The American Governor Luke E. Wright commissioned Architect Daniel H. Burnham, a prominent Urban Planner to develop a plan for a health resort where the American soldiers and civilian employees could find respite from the sweltering lowland heat. This plan, better known as the Burnham Plan greatly altered the original mountain settlement and provided the first physical framework plan for the City. It paved the way for rapid physical development, the undertones of which are still visible up this date.

1900年代初期にアメリカ人がやって来て、バギオ市の開発に拍車がかかりました。
米国総督 ルーク E. ライト は 著名な都市計画設計者である 建築家の ダニエル H. バーンハム を任命し、米国軍人や軍属が うだるような暑さの低地を逃れてほっとできる保養地のための企画立案を指示しました。 この計画は、バーンハム計画としてよく知られているのですが、従来の集落を大いに変容させ、又、バギオ市に初めて具体的な骨格をつくる計画を提供することになりました。 それは急速な物理的開発に道を開き、今に至るまでそのなごりを見ることができます。


The physical framework as embodied in the Burnham Plan integrates a road and park system into one. It envisioned evolving in a compact garden city for 25,000 to 30,000 people. Supporting this development plan was the enactment of a charter approved on September 1, 1909 that provided administrative as well as managerial autonomy for the city. Soon after the city’s charter was enacted, scenic Kennon Road was opened to vehicular traffic.

バーンハム計画の中に具現化されたその具体的骨格は、道路と公園の体系をひとつに統合したものでした。 それは 25,000から30,000人のコンパクトなガーデン・シティーに発展することを思い描いたものでした。 この開発計画を支えたのは1909年9月1日に承認された特別市としての法律の制定で、それによりバギオ市の行政と経営が自立的なものとなりました。 特別市となってすぐに、景色のよいケノン・ロードが自動車向けに開通しました。


This triggered the mining boom in surrounding areas in the early to mid 1930’s. Baguio City was the service and operations center for the mining industry, and hence a direct beneficiary of the economic growth. The events of the Second World War stalled all development, leaving the city in total devastation. Fast placed development however ensued following the war years. Such development trends transformed the city into what it is today, a premier urban center north of Manila, performing a municipality of roles, as an educational, trade, tourism and administrative center.

これが引き金になり、1930年代の初期から中盤までに周辺地域では鉱山ブームとなりました。 バギオ市はその鉱工業の管理運営センターとなり、その経済成長の直接的な恩恵をうけることになりました。 第二次大戦は開発の全てを麻痺させ、バギオ市はすべてが廃墟となりました。 しかしながら、その戦争の後にも、変わらぬ開発が続けられました。 そのような開発の動きは現在のバギオ市のあり方、つまりマニラの北に位置する、いくつもの役割を果たす自治体として、つまり、教育、商業、ツーリズム及び行政のセンターとしての第一級の中核都市へとバギオ市を変貌させることとなりました。


Geography
地理


Baguio City is approximately 250 kilometers north of Manila, situated in the Province of Benguet. The area of the city is 49 square kilometers enclosed in the perimeter of 30 kilometers. The developed portion of the city corresponds to the plateau that rises to an elevation of 1,400 meters. Most of it lies in the northern half of the city. The City is landlocked within the province of Benguet, thus bounding it on all sides by its different municipalities; on the North by the capital town of La Trinidad, on the East by Itogon and to the South and West by Tuba. With City Hall as reference point, it extends 8.2 kilometers from East to West and 7.2 kilometers from North to South. It has a perimeter of 30.98 kilometers. The City has twenty administrative districts among which its barangays are divided.

バギオ市はマニラの北およそ250キロにあり、ベンゲット州の中に位置しています。
広さは49平方キロメートルで、周囲が30キロメートルです。バギオ市の開発された部分は標高1,400メートルの高地にあたります。 そのほとんどは市の北半分にあります。 バギオ市はベンゲット州の内陸にあるため、周りはすべて別の自治体に境界を接しています;  北はベンゲット州の州都であるラ・トリニダッド町、東はイトゴン町、南と西にはツゥバの町があります。バギオ市の市役所を基準点とすると、東西8.2キロ、南北7.2キロに広がっており、周囲は30.98キロメートルです。 市には20の行政地区があり、さらにバランガイという行政単位に区分されています。


Climate
気候


Baguio is 8 degrees cooler on the average than any place in lowlands. When Manila sweats at 35 degrees centigrade or above, Baguio seldom exceeds 26 degrees centigrade at its warmest. Baguio is very wet during the Philippine rainy season, which is from June to October. It gets the biggest amount of rainfall in the country, twice the volume of rainfall in the country as compared to Manila. However from November to May, Baguio becomes a tropical paradise, a refreshing break from the hot and humid Philippine climate. Christmas season is when Baguio glows with the nippy winter air. In the summer month of March, April, May, Baguio lives up to its title as the “”Summer Capital of the Philippines when thousands of visitors from the lowlands and Manila take their annual exodus to the city to cool off. Casual clothing is recommended worn with jackets or sweaters in the late afternoons or evenings.

バギオは低地のどの場所よりも、平均で8度C涼しいところです。 マニラが35度C以上の汗をかくような時でも、バギオは暑くても26度Cを超えることはほとんどありません。 バギオはフィリピンが雨季の間は非常に雨が多く、それは6月から10月までです。
雨量はフィリピン国内でも最も多く、マニラと比較すると二倍にもなります。 しかし、11月から5月までは、暑くてムシムシするフィリピンの気候から抜け出し、爽快に生き返るような、トロピカル・パラダイスになります。 クリスマス・シーズンには、バギオはとても冷たい空気できらきらと輝きます。 そして、3月、4月、5月の夏の時期にもなると、「夏の首都」というその称号に応えるように、低地やマニラからの多くの人々が毎年のように脱出して、避暑のためにバギオにやって来るのです。 カジュアルな服装でしたら、夕方から夜にかけては、ジャケットやセーターを着るようにお薦めします。


Demographics
人口情報


The city’s population as of May 2000 was placed at 250,000 persons. The projected population for the current year 2001 is 254,499 and is expected to further increase to reach 275,472 by 2005 and as little over the three hundred thousand mark, 303,540 by 2010. The city has a very young age structure as 65.5 percent of its total population is below thirty years old. Females comprise 51.3 percent of the population as against 48.7 percent for males. The household population comprises 98 percent of the total population or 245000 persons. With an average of 4.6 members per household, a total of 53,261 household are gleaned. During the peak of the annual tourist influx, particularly during the Lenten period, transients triple the population.

バギオ市の人口は、2000年5月時点で25万人でした。 予測人口は2001年現在で254,499人、又、2005年までには 275,472人、そして 2010年までには30万人を少し超える 303,540人に増加すると見込まれています。
バギオ市は非常に若い人口構成になっており、65.5%が30歳以下となっています。
人口の51.3%は女性であり、一方男性は48.7%です。  総人口の98%つまり245,000人が世帯を構成しています。 世帯あたりの平均は4.6人で、合計53,261世帯から調査票が収集されました。 毎年の旅行客の流入のピーク期間中には、特にキリスト教の四旬節の時期には、一時的滞在者が人口を3倍にも押し上げます。


Socio-Cultural Features
社会文化的特徴


Ilocano is the predominant dialect in the city. The national language, Filipino, is of course spoken by almost everyone. English is widely spoken and understood. It is the medium of instruction in all public and private schools. Most newspaper and magazines are printed in this language and the English-speaking traveler would not encounter any communication problems. Religiosity is a basic socio-cultural characteristic that makes the Filipino character distinct and unique as manifested likewise by Baguio residents. Over the years, the number of religious sects in the City has been increasing. The three most dominant are Roman Catholics to which 80.4 percent of the population belong, followed by the Episcopalian Church with 5.8 percent and the Iglesia ni Cristo with 3.5 percent membership. The remaining 10.3 percent distributed among other religious sects.

イロカノ語がバギオ市の主要な地方語です。 フィリピノ語は、もちろんほとんどの人たちが話します。 英語は、広く話され、理解されます。 英語はすべての公立及び私立学校で教育の手段として使われています。 ほとんどの新聞や雑誌はこの言語で印刷されており、英語を話す旅行者にはコミュニケーションの問題はないでしょう。 
信心深いということが基本的な社会文化的な特色であり、フィリピン人の性格を明確で独自なものにしており、バギオ市民も同様に明らかです。
年を追って、バギオ市での宗派の数は増えています。 最も多いのは、人口の80.4%が所属するローマ・カトリックであり、その次が聖公会の5.8%、そして イグレシア・ニ・クリストの3.5%となっています。 残りの10.3%は、その他の宗教宗派となっています。




<<< 以下に教育の部分も翻訳をしてみましたが、原文の意味が一般の人にはピンとこない内容であり、又、かなり古いデータですので ご了承ください。 >>

Education
教育


The present system of social services delivery in the city is relatively well established considering the prominence as the Center of Education in the North.

現在のバギオ市における社会福祉提供の制度は、北部における教育のセンターとして突出していることを考慮すれば、比較的に確立されたものとなっています。

Summary of enrollment by level - The total enrollees for the city in the school year 2004-2005 were 136,393 students indicating a 2.82 percent increase. Of this total 38.8 percent were enrolled in the public school.

レベル毎の入学のサマリー - 2004-2005学校年度におけるバギオ市での入学者数は 136,393人で、2.82%の増加となっています。 この内38.8%は公立の学校です。


Performance indicators: public elementary & secondary level - Participation rates from the elementary level posted a negative growth of 5.24 percent because they prefer to study in their respective provinces rather in Baguio although they were born here. On the other hand, participation rate for the secondary level slightly increased by 0.26 percent.

成績指標: 公立小学校及び中等レベル - 小学校レベルからの参加率は、バギオで生まれたもののバギオよりもそれぞれの地方で就学することを望んだため、5.24%の減少となりました。 一方で、中等レベルへの参加率は 0.26%と少々増加しました。

Teacher-public/classes ratio - Baguio City public elementary and secondary schools are well provided with both classrooms and teachers, as indicated by its teacher-pupil and teacher-classes ratios of 1:40 and 1:44 for the elementary level and 1:32 and 1:62 for the secondary level for school year 2003-2004.

教員―公立/授業 割合 - バギオ市の公立小学校および中等学校では、教室も教員も十分に供給されており、教員―生徒 及び 教員―授業 の割合は、2003-2004学校年度で、小学校レベルでは 1:40 と 1:44、そして、中等学校レベルでは 1:32 と 1:62 となっています。

Total enrollment by major courses - There was 5.49 percent decline/increase in tertiary enrollment during the period. Most of the enrollees are Medical and Allied where 38.95 percent enrolled, followed by Business Administration and Related with 13.34 percent. Trade, Craft and Industrial had the least with 0.008 percent.

主要なコースの入学合計 - 同期間における大学入学では、5.49%の減少/増加がありました。 入学者の多くは 医学及び同系で、38.95%、続いて経営管理及びその関係が13.34%でした。 商業、技術および産業系は 0.008%と少なくなっています。


Number of graduates by courses - Of the 65,914 enrollees in the city for academic year 2003-2004, only 8,871 students or 13.46 percent finished their chosen courses. Majority or 23.41 percent finish Medical and Allied courses; this is mainly due to the good chances of employment abroad. This also attests that local graduates are highly preferred and thus competitive in the labor market.

コース毎の卒業者数 - 2003-2004学校年度のバギオ市における65,914人の内、ほんの8,871人、13.46%しか学生が選択したコースを修了できませんでした。 大多数、23.41%は医学系のコースを修了しました; これは主に海外での雇用のチャンスがあることによります。 このことは、地元の卒業生は高く評価され、よって労働市場において競争力があることも証明しています。

Non-formal education sector performance - The number of technical-vocational graduates which include school-based program (formal, non-degree and short term courses) posted a two digit decrease of 36.76 and 69.97 percent. However, community-based training program increased by 374.94 percent over the previous year. On the other hand, there were 15 participating companies and 417 graduates for entrepreneur based program.

非正規教育系の業績 - 学校ベースのプログラム(正規、学位無し、短期コース)を含む技能―職業系卒業者数は 36.76及び69.97%と二桁の減少となりました。 しかしながら、地域社会ベースの研修プログラムでは 前年比374.94%と増加しています。一方、企業ベースのプログラムでは、15の参加企業があり、417人が修了しました。

For the number of persons assessed and certified, a total of 829 or 80.61 percent were assessed, out of which 474 or 132.35 percent were certified showing an increase over the previous year.

評価され証明書を受けた人数については、合計829人、80.61%が評価を受け、その内474人、前年より増加して132.35%が証明書を受けました。

For walk-in clients, out of 16 who submitted themselves for assessing, 4 were certified which is down by 69.81 and 87.1 percent respectively.

随時の受講者については、評価のために訪れた16人の内、4名が認定されましたが、 それぞれ 69.81% と 87.1%の減少となりました。

In the conduct of entrepreneurship development training, 161 have successfully finished or 906.25 percent over the previous year.

企業家開発トレーニングの実施においては、161人が無事修了し、これは前年比で 
906.25%でした。


== 以上、翻訳おわり ===

尚、バギオ市在住の日本人の人数については、こちらの日本国大使館のサイトで 以下のように記載があります:

「バギオ市約1.2%(96人)」
http://www.ph.emb-japan.go.jp/pressandspeech/osirase/2012/032912.htm

この邦人数は、大使館に在留届を出している 3か月以上の滞在者をカウントしたものだそうで、「長期滞在者」と「永住者」が含まれているとのことです。

(注)「長期滞在者」とは、3ヶ月以上フィリピンに滞在している邦人で、フィリピンでの生活は一時的なもので、 いずれ本邦に戻るつもりの人々 を指します。
(注)「永住者」とは、フィリピン国より永住権を取得し、 生活の本拠を本邦からフィリピンに移した邦人 を指します。

   
===============


上記の翻訳について、間違いなどお気づきでしたら、ご指摘いただければ幸いです。
このサイトの右側にある 「カテゴリ」 の 「お問い合わせ連絡先」 または、
こちらのページに記載してある Eメール・アドレスまで お願い致します。
http://janl.exblog.jp/6817754/
(担当: HO/JANL)











   




    



    



    



     



  




    



       





   









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by janlbaguio | 2013-05-23 13:52 | History バギオの歴史

フィリピン人のアイデンティティー、バギオ周辺の山岳地域の歴史、言語を学ぶのなら この書店

フィリピンの歴史はスペインとアメリカによる植民地としての歴史が大きな影響を与えているのは勿論なのですが、 フィリピン人のアイデンティティーの話になると スペイン時代から外敵を寄せ付けなかった山岳民族の文化伝統が その拠り所となることが少なからずあるようです。

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そこで フィリピンのこと、ルソン島北部山岳地帯のことをもっと知りたいと関心をお持ちの方にお薦めなのがこの本屋さんです。
この建物は バギオ市の中でも 歴史的な建物のひとつである CASA VALLEJO(カーサ・バリエホ)。

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1909年からあるというこの建物の中にあるのが・・・マウント・クラウド書店です。

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このような看板が入り口に出ています。
この入り口は、バギオ・シネマテック映画館への入り口でもあります。

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階段を下ると、こんなド派手な壁画が・・・・

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営業時間はこの通り。 土曜、日曜もやっているようです。
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中に入ると、小さな本屋さんですが、のんびりと本探しを楽しめる雰囲気です。
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ご覧の通り、この山岳地域の歴史に関するものや・・・
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山岳民族の言語、フィリピンの地方語に関する本などもあり・・・
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さらに日本人として嬉しいことには、JAPANESE PIONEERS IN THE NORTHERN
PHILIPPINE HIGHLANDS (北部フィリピン高地における日本人開拓者たち)と
いう本も置いてあります。
この本は、バギオ周辺における、日本人・日系人の100年の歴史を集大成した
貴重な一冊です。

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この本屋さんには、こんな折鶴があちこちに飾ってあります。
この書店のオーナーは、親日家であるようです。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
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by janlbaguio | 2013-04-28 23:26 | History バギオの歴史

2012年出版 「Baguio Precious Memories」 バギオの歴史を多角的に

フィリピン・バギオ市の歴史を様々な人たちが、様々な視点から語っている本が
出版されていました。

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この本には出版された年月日が明示されていないのですが、
関係者にきいてみたところ 2012年の出版であるとの話でした。

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私が本日手に入れたお店は CASA VALLEJOホテルの建物の中にある
マウント・クラウド書店でしたが、この店には一冊だけ残っていたということ
でしたので、欲しい方は 上記の サウス・ドライブ通りにある イギーズ・イン・パブリッ
シングという出版社でお尋ねください。
(ちなみに、同書店での価格は 800ペソでした。)


目次は以下の通りです:

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内容の一部を少しだけご紹介します:

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バギオの市場を歩く

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花祭りが高原都市の目玉

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バギオ大地震

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オセオ・ハマダ氏 
(北ルソンの日系人団体の初代理事長であり、バギオ・ミッドランド新聞の創設者です。)

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セシル・オオクボ・アファブレ女史
(バギオ・ミッドランド新聞の編集者であり、北ルソンの日系人の歴史を集大成
した Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highlands の著者でもあります。)

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バギオ市へのイフガオの遺産


上記の目次でもお分かりの通り、バギオ市の歴史を バギオの市民以上に知るにはもってこいの書籍です。

バギオ通になりたい方は、是非どうぞ。


   


     
 
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by janlbaguio | 2013-04-05 23:40 | History バギオの歴史

第二次大戦中のフィリピン・ルソン島北部での抗日ゲリラの記録DVD


==お陰様で、この共同購入は注文を終了致しました==

歴史DVD共同購入のご案内:


バギオ近郊の若者たちが、抗日ゲリラとして闘ったお爺ちゃんたち、元兵士たちの証言をもとに制作したDVDが発売されます。

フィリピンの北部ルソン島で太平洋戦争を戦った抗日ゲリラ部隊の歴史を、証言やドラマを交えて映像にまとめているもので、「第六十六歩兵連隊」を扱ったものです。

タイトルは、「Nowhere Yet Everywhere」というもので、
日本語に訳すとすれば 「どこにもない、しかし、どこにでもある(戦争の話)」でしょうか。
今までフィリピンの歴史のひとつとして認識されることもなかった山岳民族ゲリラ兵の歴史上の事実を記録にとどめたいという若者たちの活動の結集です。

DVDは、アメリカが撮影したニュース映像なども含まれています。
英語字幕です。

注文は10枚1ロットで3,000ペソ(DVD1枚300ペソ)となっていますので、
ご興味、関心をお持ちの方がいらっしゃれば、共同で購入したいと思います。

共同購入にご賛同の方は、ogunisan(at)hotmail.com までメールでご連絡ください。
(上記のメルアドの中の (at) は @ に書き換えて送信してください。)

希望者が少ない場合は、購入をあきらめることもありますので、ご了承ください。


下記に、英語での詳しい情報がございます。


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The long wait is over, the DVD copy of
"Nowhere Yet Everywhere: Untold Stories of the 66th Infantry Regiment,
USAFIP NL" is now available.

Start of Release: February 11, 2013
Initial copies produced: 1,000 = 100 orders (1 order = 10 copies)
Cost/1 Order: PhP 3,000 (minimum of 1 order)*
Authorized Distributor: SDS Multimedia Productions
(IB-39-A Betag, La Trinidad, Benguet - 2nd Bldg. inside Abating
Compound beside epiphany Church)

HOW TO ORDER:
1. Make reservations through Facebook comment below or through
Facebook message.
2. We will send you an Order Form through facebook message or
through your email. Accomplish this form and send it back to us.
You may also make reservations through phone call or
SMS: +63 (074) 424-7080; 0919-767-2138 (Dave); 0915-287-2278 (Gladys)
3. You may directly pick up your orders at SDS (see address above).

*The initial copies produced are meant for educational purposes,
thus, sponsorship for schools is highly encouraged. Please request
for the order form if you want to donate for a school/group.
Individual buyers for personal and home use is also welcome.

PROCEEDS FROM THE SALE OF THE DVD WILL BE USED TO COVER REPRODUCTION
COSTS AND TO MAINTAIN AN ACCESSIBLE DATABASE OF THE PROJECT ARCHIVE
(INTERVIEW FILES, MEMOIRS, PHOTOS) FOR THE GENERAL PUBLIC.


上記のとおり、教育用教材として優先的に販売されるようです。


以上、ご案内まで。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     


      
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by janlbaguio | 2013-02-06 15:17 | History バギオの歴史

フィリピン・バギオ -日本人・日系人の歴史: 佐々木靖著

「コルディリエラの日系人」という非常に貴重な資料を
インターネットで見つけましたので、バギオに関心をお持ちの
皆様にご案内いたします。

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tandai32-02.pdf

丁寧に日系2世の皆さんのインタビューをされていて、
バギオの日系人団体である 北ルソン比日基金及び友交協会の
関係者の皆さんの歴史についても詳しく書いてあります。

著者である佐々木靖氏に敬意を表したいと思います。

== 以下 サイトより引用 ==

コルディリェラの日系人
佐々木  靖
目次
はじめに
第1 章 フィリピン日系人の戦後
 ジャーナリストたちの報告
 ミンダナオとビサヤの日系人
  アルツーロ・ハギオ(萩尾行利)のケース
  サルバシオン・モレノ(川上美保子)のケース
 北ルソンの日系人
  ジャニー・ダビット(長岡良男)のケース
  ジュリエッタ・ロカノ(東地初子)のケース
  シスター海野
  カタリナ・プーカイ(大久保さだえ)のケース
  ハマダ兄弟のケース
 まとめ
第2 章 ルソン戦
 ルソン戦まで
 山下司令官着任
 台湾沖航空戦
 レイテ決戦
 捷1 号作戦
 ルソン戦
 リンガエン湾、バギオ、バレテ峠
 キアンガン
コルディリェラの日系人
− 10 −
 降伏
 ルソン戦と在留日本人
 ルソン戦と日系人
  尾辻ヨシのケース
  マリエ・エスカーニョのケース
 まとめ
第3 章 マウンテン州の日系人
 ヒル・ステーション
 ベンゲット・ロード
 戦前のバギオ
 マウンテン州へ
 ボントック
  アポロニア A.オルプレシオのケース
 サガダ
  ドクター・レオンシオ・カルリンのケース
  ヘンリー・ヤマシタのケース
 まとめ
むすび



   
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by janlbaguio | 2013-01-12 14:51 | History バギオの歴史

書籍 「日の丸が島々を席巻した日々 フィリピン人の記憶と査察」

"Under Japanese Rule - Memories & Reflections " (of Filipinos)
Edited & with Introduction by : Renato Constantino
Translated by : Makita Suito
Published by : Daily Manila Shimbun


書籍のご案内です。

本日12月8日は、日本とフィリピンとの間での太平洋戦争が始まった日です。
フィリピン・バギオ市の キャンプ・ジョンヘイに 日本軍の飛行機によって
最初の爆撃が始まりました。

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この書籍は マニラ新聞が発行したものです。

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日本語版の目次は この通りです。
レナト・コンスタンティーノ編、水藤眞樹太訳

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元々は英語版があって、今回日本語訳とともに 一冊の本として出版されています。
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マニラ新聞にてお求めください。
詳しくはこちらのサイトでご確認ください。
http://www13.ocn.ne.jp/~tip/manila-paper-2.pdf
 
 
 
 
 
   
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by janlbaguio | 2012-12-08 09:09 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ (11) 市役所周辺

1903年に ケノン道路建設の為に日本から移民してきた第一陣
中に、三重県出身と思われる加藤さんがいて、子どもに伝えた話という
のがあります。

その話によれば、バギオ市の建設が始まった当初に、加藤さんは
大工のグループの一人として、バギオ・シアターや バーンハム公園から
市役所へ向かう道路沿いのいくつかの建物を作ったとされています。

そのひとつが プロテスタント教会だとされていましたので、
当時をご存じの写真家の古屋さんにお尋ねしたところ、この教会に
案内いただきました。
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これは、バーンハム公園からバギオ市役所を写したものですが、
この右側を見ますと。
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このような教会が建っています。

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この教会の現在の建物は建て替えられたもので、当時の教会の
建物には、大きなステンドグラスの窓があったのだそうです。

さて、上記の加藤さんですが、
その後1930年代に マンカヤンにあるスヨク鉱山やレパント鉱山
の周辺で、鉱山関係の建物や製材所などの建築に、大工グループの
一員として働いたそうです。

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また、同じ加藤さんかどうかは不明ですが、
こちらのサイトに掲載されている サウス・ドライブの道沿いにある小さな鳥居も
加藤さんが作ったものだという話です。
http://baguiotour.exblog.jp/10111008/


ところで、北ルソン比日基金(アボン)が発行した
Japanese Pioneers in the Nothern Philippine Highlands という
写真集の巻末にある日系人リストによれば、
英文でのリストの一世の頁に6名の「Kato」の名前があって、
和文でのリストの「加藤」には4名の名前があるのですが、
和文のリストの出身県欄には この4名が福島県と神奈川県とありますし、
職業欄には 養蚕や農業となっていますので、 大工である加藤さんは
あとの2名のうちの 加藤エイキチ あるいは 加藤ワイチ の
いずれかの話ではないかと思われます。
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by janlbaguio | 2012-09-27 18:01 | History バギオの歴史