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JANLの会員と組織について



会員
   会員は原則としてフィリピン・北ルソンに在住する日本人とその家族とする。
   会員は、正会員(世帯単位)と賛助会員に区分する。
   尚、賛助会員はその在住地を問わないものとする。
   又、国籍を問わず、一定の条件を満たす者を特別な会員として認める場合がある。
   (2010年7月改定)


組織
   北ルソン日本人会には 以下の組織を置く。
   - 発起人会(本会設立時に発起人として署名した者・叉はその後任の者)
   - 世話人会(代表・副代表・財務会計・書記)
   - 分科会 (分科会チーフおよびそのメンバー)
   - 総会  (正会員全員による)
   - 監査人 (世話人会は 毎年12月に 会員の中から監査人二名を選任する。)
   - 相談役 (外部相談役: 2010年7月より カルロス寺岡様)
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by janlbaguio | 2007-09-30 00:57 | Org 会の組織

目的は?  方針は?  どんなことをやるの?

「北ルソン日本人会」の目的・方針は以下のとおりです: 

目的: 
フィリピン・北ルソン在住日本人家族の情報交換・相互扶助と、フィリピン国民との友好関係を推進するため、日比交流の歴史を踏まえて、日本の伝統・文化・芸術などを紹介し、フィリピンとのコラボレーションを喚起して一緒に楽しみ、地域に貢献する諸企画を実践する。

方針:

一、フィリピン・北ルソンに在住の日本人に最大限に開かれた、個性を尊重する堅苦しくない日本人の会であること。

二、地元において、対外的に良好な関係をつくり、フィリピンに「住まわせていただいている」という気持ちを忘れない日本人の会であること。

三、フィリピン永住者、リタイヤ滞在者、留学滞在者、長期出張者などの滞在理由を問わず、相互の情報交換、相互の助け合い等が楽しく出来る自由闊達な雰囲気であること。

四、バギオを中心とする北ルソンにおける、各種イベントの企画・参画について、会員の自由な発想、多才な才能、活動への積極性を最大限に尊重し、地元及び日本からの協力を得ながら、日比文化交流・友好推進に前向きであること。

五、日本とフィリピンの歴史をふまえ、フィリピンから学ぶとともに、日比交流図書資料センター設置、戦没慰霊碑の課題、日系人・新日系人への教育支援などについても取り組むこと。

六、「知・労・金・経」
メンバーは、知恵のある人は知恵を、時間のある人は労力を、お金のある人は寄付を、経験のある人は経験を、その状況に応じて無理なく、会の発展のために持てる才能を発揮すること。

七、 本会には 政治、宗教などの活動を持ち込まないこと。 ただし、個人の思想・信条・信仰はこれを尊重すること。














フィリピン バギオ 歴史 日本人 日系人 観光 旅行 退職者 PRA 戦没者
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by janlbaguio | 2007-09-30 00:45 | 会の目的・方針

JANL 第一回(創立)総会 


2007年8月26日に発起人によって設立した北ルソン日本人会(JANL)が 9月29日に 広くメンバーを求めて第一回の創立総会を ABONG(アボン)会館で 開きました。

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会議では、JANLの目的・方針・活動計画、規約、会計方針などが説明され、決定されました。
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会議の後には、昼食会が開かれ、JANLメンバーのお手製の おでん、カレーライス、納豆料理、お寿司などで、日本料理を日頃口にすることが少ないメンバーも大満足。
おまけに、これもメンバーお手製の 饅頭まで並んで 子供達も殺到!
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高知県からのお客様や、日頃は「人と話するのも苦手」とおっしゃる方も・・・
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留学中の大学生、針灸師の先生や、日本語学校の先生・・・
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日系人会館の理事長さんや、スタッフの皆さんもご参加いただき・・・
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皆さんの歓談はいつまで続くのかと心配になるくらい 話が盛り上がって・・・
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代表は いつ片付けに入ろうかと 思案する始末となりましたが、
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名残惜しげに無事閉幕。 余韻が残る人たちは 大雨の中、メンバーのご自宅へと二次会になだれ込みました。

皆様、ご参加いただき 本当に有難う御座いました。
楽しい会、自由闊達な会を みんなで作っていきましょう。



(ここに掲載の写真は 古屋様にご提供いただきました。)
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by janlbaguio | 2007-09-30 00:08 | Activity 活動内容

バギオの歴史を学ぶコーナー


このコーナーは バギオの歴史を書籍から学ぶコーナーです。
JANLの会員の一人である佐世たもつが 暇でしょうがない時に ぽつりぽつりと英語で書かれている書籍から 興味のあるところだけをつまみ喰いしながら 英語の勉強だと思って翻訳をしていきたいと思っています。 気長にお付き合い下さい。
尚、翻訳の間違いにお気付きの方は、是非ご指摘下さい。 

まず最初にご紹介するのは 次の本です:
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CITY OF PINES  
The Origins of Baguio
as a Colonial Hill Station
and Regional Capital
(「松の都市 
  ― 植民地の高原避暑地及び地域の主要都市としてのバギオの起源
」)
著者: Robert R. Reed

初版発行: 1976年3月 
発行者: Center for South and Southeast Asia Studies,
       University of California,
       Berkeley, California, USA
第二版発行: 1999年9月
発行者: A-Seven Publishing
       P.O.Box 274
      2600 Baguio City, Philippines

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<<<ご注意: 翻訳文中< >内の解説は翻訳者の調査による注釈です。>>>


まえがき

xxivページ
二十世紀の夜明けに造られて、バギオはすぐに典型的な高原避暑地となりました。 本当に、このアメリカによる植民定住は、南アジアの山岳地域とオランダ領東インドにおけるイギリスとオランダのリゾート地に直接影響され、それらをモデルとしたように思えます。
実際、バギオの創設者達は、ベンゲットにおける新しい夏の首都を、シムラ<Simla,インド北部>、ボイテンゾルグ<Buitenzorg,現在のインドネシアのボゴール>、ダージリン<Darjeeling,インド東部>やその他の主要な避暑地と比較して、その自然の美しさ、健康によい気候、すばらしいスポーツ施設、投資のチャンス、それに将来の見通しなどについて賞賛したものです。


xxvページ
個人的な手紙や、公式のレポートや、出版された記事などで、アメリカの管理者達は何度も、高原保養地の一般的有用性を訴え、バギオに於ける高くつく基盤整備投資を進めながら、アメリカ人、ヨーロッパ人、そして、マニラや他の低地の都市の裕福なフィリピン人のエリート層の中で、高地でのバケーションの健康上の利点を宣伝しました。

最初はフィリピン人やアメリカ人の反対もありましたが、「松の都市」と言う巧みに付けられた名称が、フィリピンの公式な首都として、第一次世界大戦前の十年以上にわたり役立ちました。 そして、リゾート、行政府、及び商業機能を組み合わせた力強いコミュニティーとなります。

1920年代と1930年代には、バギオは急速に成長し、すぐに 大きな健康・リクリエーション・センター、主要なマーケットの町、教育や宗教活動の拠点、広域の行政複合体、軍事訓練と休暇の舞台、そしてダイナミックな社交センターへと発展を遂げました。

第二次世界大戦の勃発によって、バギオは疑いも無く東南アジアで最高の高原避暑地の地位をしめ、年間に十万人の滞在者を魅了しました。 バギオは叉、交通の要所、医療および教育の複合体、山岳州の州都、軍の宿営地、そして製材業、鉱業、ツーリズム、野菜生産で知られる高地領域の管理本部として貢献することになりました。

そのような機能的多様性に応じるように、都市部人口は、1913年の3,500人から 1940年までには25,000人へと増加したのです。




(コーナーの2ページへ続く)
 
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by janlbaguio | 2007-09-26 12:13 | History バギオの歴史

「バギオ アイ・シャル・リターン物語」    加藤 卓 著



 第2次世界大戦の最中、時のアメリカ軍太平洋方面軍最高司令官マッカーサー将軍が、日本軍の猛攻に耐えかね、フィリピンを脱出したときに発したとされる「アイ・シャル・リターン(私は戻る)」は、日本の教科書にも載っている言葉として有名です。フィリピンでも小学校で勉強します。

 フィリピン人の教育程度は非常に高く、アメリカの庇護下にあったからか、ほとんどの人が英語を話します。
ただ、どこの国でもいますが、子供に普通の教育を受けさせない親もいます。農場で働かせたり、奉公に出したりで、金を稼がせています。そんな子たちが大きくなると、就職の難しいこの国では生活するのもたいへんです。

どこの世界にも夜が来るように、バギオにも夜が来ます。インターネットカフェ、カラオケ、そしてクラブと呼ばれる飲み屋が繁盛しています。
クラブに入ると、若い女の子達が迎えてくれます。みんな、それなりの衣装をまとった女性たちです。一つのクラブには十数人いるでしょうか。踊りをおどる女性もいれば、ただ座っている女性もいます。

お客さんは店に入ると適当な席に座ります。ママさんと呼ばれるちょっと太った女性が女性を連れてきますが、別に「いらない」と言って踊りを見ながら、一人で飲んでいても良いです。料金システムは店によって違いますが、お客が飲むビール1本は約50ペソ(市販価格約40ペソ)ですが、どの店でも、同席した店の女性のビールは1本・約300ペソ以上も取ります。これが店と彼女たちの儲けになります。フィリピンの公定日給は220ペソ程ですから、かなりなものです。ビールの銘柄はサンミゲル・ビアがほとんどです。
この300ペソの内、200が店に、100が彼女たちの取り分になるそうです。そういうことですから、お店にしても彼女たちにしても、となりに座らなければ仕事になりません。

ある日、外国人がクラブにやって来ました。アメリカ人でしょう。席に着くと周りを見渡し、ママさんに遠くに座っている若い女の子を指名しました。
「ほれ、ご指名が来たよ、いきなよ」ママさんは当然、彼女を引っ張っていこうとします。「え~、あたし、英語わかんないよ~」彼女は外国人を見て、困った顔で言いました。
「いいんだよ、相手は酔っぱらっているんだから、適当に相手してりゃあ~」
「え~でも~」
「いいから、とっとと横にお座りな」
もうこうなると力ずくです。仕方なく、彼女は席に着きました。彼女にしても外人の相手は初めてです。すごい緊張感を感じていました。しかし外人はそんなこと気にもとめません。取りあえず、話の接ぎ穂で、名前を聞きました。
「ホワットイズユアネイム?」
彼女の眉毛がハの字になってしまいました。なに言ってんだろ。でもなんか言わなきゃ、と言うことで、答えました。
「サンミゲル・ライト!」
そりゃ~ビールの銘柄だろう、、、。
近くで聞いていた英語の分かる同僚の女性たちが、一斉に吹き出しました。

 そんな彼女たちにも天敵がいます。
 保健所の役人です。突然、やって来ます。店の営業許可や、彼女たちのライセンスを調べます。彼女たちはシティホールと保健所で「エンターティナメント」としてのライセンスを取得していなければなりません。保健所では血液検査やHIV等の検査を定期的に受けなければなりません。許可された人だけが俗に「ピンクカード」と呼ばれ、飲み屋などで働ける「エンターティナメント」の許可証を所持出来ます。ただし、ほとんどの女性が、持っていません。

 保健所の役人が突然やって来ました。「はい、みなさん、お静かに、許可証を見せて下さい」みんな、あちゃ~と顔を見合わせ、ため息をつきました。このお店で持っていたのは一人だけでした。「はい、はい、持っていない女性は、すぐに店から出て行きなさい」役人は容赦しません。「いいじゃないか、みんなでやってんだから」文句の一つも言いたくなります。彼女たちにしても死活問題です。ですが、「ダメ」役人はそっけないです。

 彼女たちは、役人のやり方に憤然としました。この日の稼ぎも全部パーです。自分たちの運の悪さに意気消沈しました。彼女たちだって好きでやっている訳ではありません。その日暮らしの人間にも、誇りはあります。店の出口に向かう階段で、彼女たちの一人が役人に叫びました。
「アイ・シャル・リターン!」
 

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by janlbaguio | 2007-09-24 00:02 | 会員 エッセイ・コーナー

JANL 北ルソン日本人会 の活動報告

 
このコーナーでは、 JANLの主な活動の内容を JANL広報分科会が まとめて 掲載します。

随時アップ致しますので しばらくお待ち下さい。


ml管理人
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by janlbaguio | 2007-09-23 23:58 | Activity 活動内容

生活便利帳 in バギオ

 
このコーナーは 会員が歩いて集めた 生活に密着した情報を 掲載する予定です。

ご期待下さい。

 
 
 
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by janlbaguio | 2007-09-23 23:53 | 生活便利帳inバギオ

「バギオ サヨテ・タップス物語」 その1  加藤 卓 著

 サヨテとは、フィリピンの庶民的な食べ物で、味は、甘くないウリのようです。温かいスープなどに入っていると味が染み込み、それなりに美味しい食べ物です。山間部の斜面を利用して栽培されていますが、日持ちが良いため、野菜などが作れない場所へのおみやげとしても重宝されています。

 蔓性の植物ですが、雨期になるとどんどんわき芽が出ます。そのわき芽も食べます。タップスと呼びます。栄養的にも良い食べ物ですが、しょせんわき芽ですから安いです。
 サヨテが作られるバギオ市やベンゲット州の山間部には、第2次世界大戦で財宝を隠したとされる山下将軍の伝説が今でも残っています。「山下将軍の地図かあるのだが、読んで欲しい」などと言って近づいて来る人が必ずいますが、かなり怪しい。実に怪しい。

その山下将軍はマニラの南にあるモンテンルパ刑務所で処刑されました。大戦後は日本人捕虜収容所になっていたところです。今では、フィリピンの長期刑刑務所になっています。
そのモンテンルパ刑務所に無期懲役刑の兄を持つ妹がいます。兄は服役してすでに12年になりますが、妹は久しぶりに、兄に会いに行くことにしました。しかしルソン島の北に位置するバギオ市からマニラ市南のモンテンルパまで、長距離バスと中距離バス、ジプニーとトライシクルを乗り継いでの長旅です。おいそれと会いに行けるわけでもなく、費用もかかり、多額の借金をして行くことになりました。

妹がモンテンルパ刑務所の兄に会いに行くことが知れたのでしょうか、深夜バスの乗り場に、人が集まって来ました。モンテンルパ刑務所に友人を持つ人、知人を持つ人、息子を持つ人などです。皆、それぞれの友人や知人に託す手紙や品物などを妹に預けました。
その人たちの間に、一人の老婦人がいました。モンテンルパ刑務所に死刑囚の息子がいると言いました。老婦人は両腕に一抱えのサヨテ・タップスを持っていました。老婦人は目に涙を浮かべながら「私も息子に会いたいが、貧しくて行くことは出来ない。どうかこのタップスとお金を息子に渡して欲しい」と言って、一抱えのサヨテ・タップスと、150ペソほどの現金を妹に渡しました。

150ペソは日本円にして約380円ほどでしょうか。彼女にとって、今あるだけのお金でしょう。
妹は老母の境遇がわかりました。サヨテ・タップスとお金を渡されても、言葉が出ませんでした。ただ頭を、コクンコクンとうなずくだけでした。
未だ司法制度の未整備なこの国では、えん罪などがあり得ます。彼が本当に犯罪を起こしたかどうかはわかりませんが、今は大統領令によって死刑の執行が一時的に止められているだけです。いつ何時、執行されるか分かりません。老母はきっとその前に一目息子に会いたいのでしょうが、貧しさ故にそれもかないません。弁護士を雇う余裕などなく、唯々諾々と運命を受け入れるしかありません。

バギオ発の深夜バスは、様々な人の、様々な思いを乗せて出発しました。
モンテンルパ刑務所への持ち込みは比較的緩やかなようです。その中で、頼めば煮炊きも出来るそうです。
老母は、働いている農場で、息子の無実を信じつつタップスを摘みました。
彼が刑務所の中で食べたサヨテ・タップスは、遠くふるさとに住む、なつかしい母の味がしたでしょうか。

ー続くー
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by janlbaguio | 2007-09-16 21:57 | 会員 エッセイ・コーナー

フィリピン・北ルソン・バギオを知る エッセイなど


このコーナーは、多士済々のJANLメンバーが 皆様に贈る エッセイ、北ルソン事情、詩歌、なんでも集まれの いわば 文化・社会部コーナーです。

どんなシリーズになっていくのか 楽しみです。



 
 
 
 
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by janlbaguio | 2007-09-16 21:53 | 会員 エッセイ・コーナー

日本語で フィリピンのニュースを読む


完全な記事ではありませんが、 見出し程度の文で フィリピンのニュースを 日本語で読めるサイトを集めました。


ヤッフー・ニュース フィリピン

まにら新聞 

インサイド・ニュース オブ ザ フィリピン

CNN ワールド・ニュース

日本経済新聞の アジア関連記事

毎日新聞の フィリピン・ニュース

朝日新聞の アジア関連記事

アジア・ニュース・リンク のリンク集

日刊ベリタ  - たまにフィリピンのニュースもあります。
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by janlbaguio | 2007-09-08 20:46 | Link お役立ちリンク集