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Baguio City Market バギオ市場 八百屋編

「生活便利帳 in バギオ」 コーナー
バギオ市場の地図 第三弾!!

バギオと言えば
新鮮!高原野菜

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これが市場全体の図。

左半分を拡大しますと。 
地図の中の文字の説明は下にあります。
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A メインの野菜売り場 色・形の整ったものが多いです ちょっと値段高めです
B 魚屋の前も野菜売り場です ここでは竹の子が買えます
C 奥にいるおばさんと大きな声で交渉、料金は長い柄がついたバスケットでやり取り
D 多忙の人には便利! あらかじめいろんな種類の野菜を切って混ぜて販売しているので便利です

右半分はこちら。
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E 薄暗い建物の中は安い野菜が沢山、横道も勇気を出して入ってみましょう ☆一押しスポット!
F 道路にダダァーといるベンダー 野菜を見る自信のある人はどうぞ
G ココナツ(ニョッグ)を買うならココ

フィリピン人のバギオ訪問の大きなお土産は この新鮮・高原野菜なんですよ。
皆さんも 車でいらっしゃる時には 野菜を積んで帰りましょう。



(2008年7月現在の情報です。)
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by janlbaguio | 2008-07-29 17:20 | 生活便利帳inバギオ

Baguio City Market バギオ市場 花屋編


「生活便利帳 in バギオ」コーナー
バギオ市場の地図 第二弾!!
ならここです。
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A 定番の花屋街 結婚式 葬式 お祝い全部ここで解決
B バギオでは珍しいカーネーションを買いました
C バレンタインデーはここで薔薇でも
D 卒業式用首飾り エバーラスティングといいます

フィリピンの中で高原野菜で有名なバギオは「花」も凄い。
フラワー・フェスティバルで全国的に有名なバギオならではの花がたくさん!
バギオで生産された花もマニラへ出荷されています。

アバナオ・スクエアーの前を入っていけば、すぐに可愛い花たちがあなたを迎えてくれるでしょう。
ちょっと奥に入っていけば、花の卸をやっているお店もありますから、バラを山ほど買いたい時などには絶好ですよ。

ちなみに、バギオには トゲのない薔薇 の品種も売られています。
ご存知ですか?



(この情報は 2008年7月現在のものです。)
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by janlbaguio | 2008-07-29 01:22 | 生活便利帳inバギオ

Baguio City Market バギオ市場の地図


生活便利帳 in バギオ
のコーナー

に 初めての情報掲載です。

バギオに生活する方はもちろん、バギオへ観光に訪れる方にも もっともエキサイティングな場所は きっとここなのかもしれません。

バギオ・シティー・マーケット
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これが全体像です。
左下の角が マハルリカ・ビル。 セッション・ロードを真っ直ぐ下った突き当たりのビルです。
一番下を左右に通っているのが マグサイサイ通り。
一番左側を上下に通っているのは アバナオ通りで、マハルリカ・ビルの上の一角にあるのが アバナオ・スクエアーのビルです。

マハルリカ・ビルはこのビルです。
セッション通りを真っ直ぐ下って正面にあります。
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このマハルリカに向って左側に回り込むと、
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ここがアバナオ通り。
正面のビルがアバナオ・スクエアーで、その手前を右に入っていくと バギオ市場が広がっています。


上の地図は縮小して見づらいので ここに左半分をご覧いただきましょう。
第一弾は さん です。
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A 一番大きな魚市場
B マグロがあったりする
C ここら辺にも魚が売ってます
D ここにはなまずがいっぱい売ってます
E 貝類が多いです 牡蠣も売ってます

左にある アバナオ・スクエアーとマルベイ・ビルの間を入っていくのが 一番分かり易いでしょう。 入り口の右側には花屋さんがずらりとならんでいます。 ここから ヒルトップ通りにいたる上り坂の右側に魚介類の市場が広がっています。

これは 上記の全体地図の右半分です。
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C ここら辺にも魚が売ってます
F 歩道橋の上になぜかアンブクラオ湖産のティラピアが売ってます

この地図の一番下側、マグサイサイ通り沿いには みやげ物屋がずらりと並んでいます。
そのみやげ物屋の中に 両替のおばさんたちもいます。

さて、次回はどんな情報が登場するのか・・・
楽しみです。

(この情報は 2008年7月に作成されました。)
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by janlbaguio | 2008-07-25 22:53 | 生活便利帳inバギオ

これで あなたも バギオ通 !! アメリカとのつながり

これで あなたも バギオの物知り、 免許皆伝!?

バギオに住むこと 既に20年以上という JANLの副代表YSさんが あなたを一気にバギオ通にしてくれます。 元々 アメリカ軍の保養地、避暑地として造られた計画都市バギオ。 まずは、バギオとは切っても切れないアメリカとの関係からご紹介します。

バギオとアメリカの
つながり



1.キャンプ アレン

ヘンリー アレン(Henry Tureman Allen)はフィリピン レイテ州の最初の知事であり、フィリピン国家警察を組織、指揮した人物。 1904年、日本軍のオブサーバーとして日露戦争中の韓国に行った経験を持つ。 
バギオの裁判所の正面、消防署の隣にあるフィリピン国軍所有地の名前はCamp Henry
Allenという。 現在の場所に移る前はここにフィリピン国軍士官学校/フィリピンミリタリーアカデミー(PMA)があった。 

現在のキャンプ アレンは軍人の住宅地?となっている、ナギリアン通りに面している石垣は雨季のたびに壊れ、修理するのが年中行事だったが1990年の大地震の前後にナギリアン通りを広げる工事と同時に本腰をいれ修理され、現在のかたちになった。

狭かったナギリアン通りの名残は道路に残る電柱をきった後で知る事ができる。見つけられた人 いるかな?

2. バーンハム公園

ダニエル バーンハム(Daniel Hudson Burnham)。  バギオではおなじみのバーンハム公園の名前の由来になった人物。 シカゴの超有名設計士 及び都市計画者。ロハス通りを含むマニラの設計、バギオの設計をした。ワシントンDCのユニオン駅、シカゴ市の都市を設計したのも有名。ちなみにバギオは3万人都市として設計されたので、現在の30万人以上の人口はちょっと窮屈。 当時は市役所、公園をはさんで国の役場(現在のSMの正面側辺り)、そこから東がアメリカ人、お金持ちの住宅、その他を一般庶民の住居と住み分けされていた。 知られていないが、清水建設3代目は当時日本になかった鉄骨建築の図面をバーンハムから譲りうけた人物として記録が残っており、日本の高層建築の歴史とも深いかかわりがある。日本橋丸善本店ビルはその設計図を参考に建てられ日本初の帳壁式鉄骨煉瓦造の建物で関東大震災にも耐えた。


3. ハリソン通り

バーンハム公園の横を通っている大通りの名前 フランシス ハリソン(Francis
Burton Harrison)は ハリソン通りの名前の由来になった人物。 アメリカでの下院議員の経験を経て、1913年から21年までフィリピン総督府の総督となる。 レオナルド ウッド氏の前任者。 コモンウェルスのフィリピン人大統領になってから大統領アドバイサーとして呼び戻され以後4代大統領までフィリピンの為に働く。 ちなみに離婚再婚を繰り返し6番目の最後の奥さんはフィリピンの女性 マリア テレサさん、ニュージャーシーで亡くなった後フィリピン マニラに埋葬された。

ハリソン通りにはバギオ パークホテルという4スターホテルがあり、マカティーのインターコンチへの直行便が出ていたこともあり観光客でにぎわっていたが、1990年の地震で崩れてしまった。 また現在のBPI銀行の辺りはダンワバスの停留所がありボントック方面に行く乗客でにぎわっていたそうだ。

4. キャンプ・ジョン・ヘイ

ジョン ヘイ(John Milton Hay) はアメリカの政治家、外交官、作家、ジャーナリストとして活躍。 アブラハム リンカーンの私設秘書を務めた人物。 後に12代目国務長官に任命され1898年から1905年までマッキンリー大統領、ルーズベルト大統領にも仕えた人物。 この名前がつけられたのは基地創設当時の国務長官だったからです。

以前のゲートは現在のパナグベガ パークのところ。 身分証明書があれば誰でも自由に入場することが出来、マノーホテルがある場所はクラブハウスと呼ばれ、両サイドは軍人の宿舎があり 真ん中にバギオで一番美味しいステーキ屋があった。 またその近く(山側)にはハネムーンコテージと言うのがあり、文字通りハネムーンの軍人たちが宿泊した場所があった。

ジョンヘイのなかには19th Teeと言うレストラン、ゴルファーがプレイを終わらせた後一服するところがあり、そこのハンバーガーはまさにアメリカンサイズ、支払いはペソも使えたが基本的にはドルだった。コーラの自動販売機があり中の軍人にペソを50センツに変えてもらいわざわざ自動販売機でコーラを買っていたのは私(著者)です(汗)。


5. ピープルズ パーク ・ マルコム スクエアー

ジョージ マルコム(George A. Malcolm) は1917年、35歳でアメリカ ウィルソン大統領によりフィリピン最高裁判所裁判官に任命された人物。 彼の最大の功績はフィリピン国立大学・法学部の設立、法学部の建物はマルコム ホールと呼ばれる。

現在はピープルズ パークと呼ばれているが 以前はマルコム スクエアーと呼ばれていて、靴磨き、新聞売りとチェスに夢中になっているおじさんたちが共存していた場所であった。 BPIファミリーバンクの隣りに映画館があり、カンフー映画を見るならここ と言う場所だった。


6. レオナルド ウッド通り

レオナルド ウッド(Leonard Wood) は軍人で1903年から1906年までの間、イスラム教の反政府勢力を制圧するのが目的でフィリピン南部のミンダナオ島モロ地区の知事となる。 アッパーセッションからマインズ ビュー パークに行く道の名前。

途中のボタニカルガーデンの奥には日本軍が掘ったとされる洞穴があるので、勇気がある人は懐中電灯を忘れずに。

ちなみにサファリロッジの隣にある家がアロヨ大統領の別荘です。


7. ライト パーク

ルーク ライト(Luke E. Wright) は1904年から1906年までのフィリピン総督。 当時アメリカで一番有名だった設計士バーンハムに フィリピン・バギオを「アメリカ軍人と民間人のレクリエーション施設」というコンセプトを基に都市設計を指示した人物。

フィリピンから日本へ移動1906年から1907年までは駐日大使であった。その後1908年から1909年のアメリカ合衆国陸軍長官(後の国防長官)となる。 なんかバギオってアメリカの偉い人が結構関係してますよね。


8. ガバノール パック通り

ガバノールとは知事のこと、だから日本語だとパック知事通りとなる。この名前はウィリアム パック(William Pack)からつけられた。 彼は1901年ベンゲットの知事として任命され、またマウンテン州の初代知事としても知られる。 この道にはバギオをサマーキャピタル(夏の首都)とした会議(セッション) が行われた場所の跡地がある。
またその会議へ行く途中に使用した道が「会議への道」という意味の「セッション ロード」 です。

ちなみにマウンテン州はフィリピンで唯一の英語名のついた州の名前 って知ってました?


9. メルビン ジョーンズ

メルビン ジョーンズ(Melvin Johns) は子供たちがサッカーをやったり、バギオ市の色々なイベントを行うスタンド付グランド。 実はこの名前は1917年に設立されたライオンズクラブの創立者から取った名前です、シカゴの実業家であったメルビン・ジョーンズの夢は狭い地域に限られたビジネスクラブの活動範囲を、単に事業に関する問題から地域社会や世界全体の福祉の問題にまで拡大するということだった。

このグラウンド、バギオのサッカー少年少女たちの練習場であると共に、バギオでのイベントでは必ず使用されるグラウンドですね。 以前は競馬場もあったことが記録に残っているがはたしてそれはメルビン ジョーンズなのか バーンハムの池の周りなのか? 

ちなみに 日本のライオンズクラブは1952年 フィリピン・マニラのクラブがスポンサーになってあげて認証されたんですよ。先進国フィリピン(遠い昔の話・涙)


10. ブレント通り

インターナショナルスクールであるブレントスクールに行く道は、チャールズ ヘンリー ブレント(Charles Henry Brent)主教からの名前。 ブレント主教は1900年にフィリピンに来 てフィリピン聖公会(Episcopal Church of the Philippines)の初代主教になった人物である。 イギリス国教会としても知られる教会でブレント主教はフィリピンで白人のためのブレントスクール、少数民族のためのイースタースクール(バギオ)を設立し、マニラではセイント ルクス病院(聖路加病院)などを設立した人物。

ちなみにブレントスクール敷地内は電柱がなくすべて地中に埋まっているんですよ、バギオ初 ?

アバナオ通りから移動してきた50’S DINNERは名前の通り50年代のアメリカン イメージ。 ウェイトレスはローラースケートを履き接客する。 古いものが好きな人は近くにある骨董屋さんがお勧め、地下に降りると宝物が見つかるかも・・・。


11. バデン ポウェル イン (Baden Powell Inn)

ロバート バデン ポウェル(Robert Baden-Powell)と言う人物から来た名前ですがご存知ですか?  SMのすぐ下、バスターミナルが続く道、ダグパン バス ターミナルのすぐ近くにあるのがBaden Powell Innです。

名前になじみがないかもしれませんが、彼はボーイスカウトの生みの親でタイトルとはちょっと異なり(汗)ますがイギリス人。 バギオで唯一のイギリス人の名前がつけられた場所かも知れませんね。 上記のバギオをサマーキャピタルとする会議が行われた場所は、この宿にあり、記念碑みたいなのがあります。

バギオでもボーイスカウトは盛んで、よくジョンヘイにキャンプをしに行きました。 皆本格的で インスタント食品は一切使わず、キャンプを張っていきなり地元式ハムつくり(豚肉を保存する)をはじめたのを覚えています。


12. ニードラー通り Kneedler Road.

ニードラー医師は軍医として1900年ごろフィリピンに来た後フィリピンに住みつき、次々と不動産を購入、不動産で富を築いた人物。 1932年ごろはマニラ ベイビュー ホテルのマネージャーをしていた。  バギオ ジョンヘイの近くにあるその道の名がなぜ彼の名前に基づいて命名されたかは不明だが、バギオに住む人にとってもニードラー通りはなじみがないはず。この道はサウスドライブ(ジョンヘイからパクダルに抜ける道)に入り口がある道で、お金持ちの別荘なんかがあるらしい。

13. バギオ・ロアカン空港

1932年3月11日 ロアカン空港に最初の飛行機が着陸した。 このフライトの乗客はアメリカ人のハルセマ バギオ市長。 実はこの空港が出来る前1919年クリスマスの日にアメリカ空軍兵が飛行場ではないバーンハムに着陸している。 同じ日にトリニダッドにも違うパイロットが着陸を試みたが失敗してしまった。 この事故からちゃんとした飛行場建設が必要となり、当初トリニダッドかポロ フィールド(ネイビー ベース)への建設が浮上したが 霧、人口密度の条件により却下された。 バギオからちょっと遠いが天候がよく乾きが速いラウニオン州ロザリオ、もしくはナギリアンへの計画もあったが、結局 当時田んぼだったロアカンを住んでいたイバロイ族から(無理やり)購入し1932年に開港 3月11日に初着陸、これが「アジア初」 民間航空会社(フィリピン エア ライン)によるマニラ-バギオ間のフライトとなった。


バギオの地図へ =>  リンク 1 
                リンク 2 
               リンク 3


(投稿: JANL副代表 YSさん)
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by janlbaguio | 2008-07-12 15:28 | 会員 エッセイ・コーナー

こども達がたくさん集まってくれました - 七夕祭

7月6日(日)、日本よりもひと足はやく、北ルソン日本人会と佐藤国際ラーニング・センターの共催で開かれた 「たなばた祭り」

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こんなにたくさんの子供たちが集まってくれました。

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予定時刻午後1時の30分後には、もうこんな賑わい。
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日本語を勉強中の人たちも、兄弟姉妹を誘って参加。
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お父さんも一所懸命です。
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こちらのお父さんも 張り切ってます。
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お母さんも大忙し。 ちっちゃいこも真剣そのもの。
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このグループは かなり気合が入っています。
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浴衣を着た 女の子たちも 頑張ってます。
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ボランティアのお姉さんを囲んで、折り紙に奮戦中。
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こちらのボランティアの方は 子供達と短冊にお願い事を準備。

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みんな よく頑張りました。 完成ですね。


そして、こんなにたくさんの家族が、一所懸命に作った七夕飾りを それぞれの家庭に持って帰りました。
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こどもたちの 真剣な折り紙、そして 楽しい飾りつけで、会場は超満員。
ボランティアの日本人の若い方がたが 10名以上もかけつけてくださいました。
皆さん英語留学中の方がたです。 SKLCのスタッフの方もいます。
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ご協力をいただき 大変有難う御座いました。
お陰様で、本当に楽しい七夕祭りとなりました。

会場を提供していただき、又、準備、後片付け、ミリエンダの用意もしていただいた 佐藤国際ラーニング・センターのスタッフの方々にも 感謝申し上げます。

皆々様に、心より御礼を申し上げます。
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by janlbaguio | 2008-07-07 18:51 | Activity 活動内容

バギオで アイヌ民族の「イヨマンテ」記録映画上映

International Conference on the relevance of Filipino Psychology and Indigenous in the age of globalization
(グローバル時代におけるフィリピン人の心理と土着に関する国際会議)
というタイトルでの研究者の集まりが イロイロ島の大学で開催されました。
フィリピン各地の先住民関係の研究者等がレクチャーや 先住民の文化の紹介を行いました。

そこに日本からゲストとして招待された 記録映画の監督 姫田忠義氏。
姫田監督は 多くの記録映画の中から、アイヌ民族を選び、そのドキュメントの上映と講演をされたそうです。
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その会議に参加された方々が、バギオ在住の映画監督キドラット・タヒミック氏の要請で、バギオを訪問され、VOCASに於いて 姫田監督作品・記録映画の上映会が開かれました。
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突然の上映会であったため、事前に あじさいネットワークでの御案内が出来ませんでしたが、7月3日(木)に上映されたのは、アイヌ民族の伝統的結婚式と「イヨマンテ」と呼ばれる 熊の神様の儀礼の記録映画でした。
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フィリピンの北部山岳地帯の拠点都市であるバギオで、日本に居てもなかなか見るチャンスのない このような貴重な記録映画を見る機会に恵まれたことを感激とともに有り難く思いました。

最初は、「おお、中学校の視聴覚教室の雰囲気だなあ」などと思って、途中でウトウトしてしまうかと心配していましたが、 映像とその内容に引き込まれ、しっかり2時間 目を覚ましておりました。

7月4日(金)は、沖縄での記録映画が上映されるとの予定です。
 
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by janlbaguio | 2008-07-06 01:05 | AJISAI 文化交流 network

ハポネス写真展 - バギオ・ミッドランド紙の記事

皆様既に御案内の通り、SMバギオにて「ハポネス」写真展が2008年8月下旬までの日程で開催中です。

この写真展について、6月29日のバギオ・ミッドランド新聞に 記事が掲載されておりましたので、ご報告致します。
尚、この記事の中に「北ルソン日本人会(JANL)」も紹介されております。



2008年6月29日(日) バギオ・ミッドランド紙より

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「ハポネス」写真展 SMにて開幕

写真展「ハポネス:20世紀初期のバギオの日本人社会」が SMシティー・バギオの地下二階ギャラリーにて去る6月20日に開幕した。

ハポネスは最初にケソン市のフィリピン大学・バルガス美術館に於いて昨年11月に展示される為に製作された。 その主催者であるフィリピン大学・アジア・センターは その展示を開幕するにあたり、「フィリピンへの日本人移民: 歴史、課題、そして展望」と題したシンポジウムを行った。 

この展示は SMギャラリーに於いてバギオ・ベンゲット・スタディーズが提供する歴史写真展シリーズの第三弾である。

バギオに於けるハポネスは、フィリピン大学アジアセンターが企画した、1900年代初期に日本人移民を歓迎したフィリピンの諸都市でのツアーに、最初の足跡を記すものである。 これらは、原文・写真の調査並びに公文書記録のみならず、コーディリエラ地域と日本在住の日系人等の口述による歴史を元にしている。

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このフィリピン大学アジアセンターによる展示は、国際交流基金マニラ、文化芸術国家委員会、北ルソン比日基金の支援により、バギオ・ベンゲット・スタディーズ、SMシティ・バギオ、北ルソン日本人会、来々軒、及びカラーワールドの協力により開催された。

ハポネスは この展示の元になっている書籍 ジャパニーズ・パイオニア(日本人開拓者)の著者でもある パトリシア・オオクボ・アファブレにより組織された。 展示会のオープニングで 共同運営者である アーリン・ラス・アルカンタラによって代読されたメッセージにおいて、アファブレは次のように述べている。
「この展示に皆様をご招待し、バギオの歴史の中で この市の黎明期に於ける日本人社会が果たした変革的役割についての知識を思い起こしていただくことの一助としたい。」

同女史は、「ハポネスは、当時のバギオの当局者が、これら日本人移民を表して使ったスペイン語であり、又、バギオのイバロイの人々が彼等のことを カフニスと呼んだことを真似たものであった。」と述べている。

「2009年のバギオ百年祭を迎えるにあたり、バギオの歴史に初期の日本人コミュニティーが果たした変革的役割を思い起こしていただく一助として 皆様をこの写真展にご招待するものです。」とアファブレは締めくくった。



(原文は一部のみ写真を掲載しました。 全部が必要な方はお買い求め下さい。)
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by janlbaguio | 2008-07-06 01:02 | Activity 活動内容