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バギオの航空便 Sky Pasada 情報 - その2


先日御案内した バギオ発着の航空便について 追加情報が入りましたのでご参考になさってください。

先日の案内内容はこちらで:
http://janl.exblog.jp/10686878/

追加情報:

バギオ発の便が悪天候などの理由で飛べない場合には、バギオからパンガシナン州ビナロナンの飛行場まで シャトル便が運行される とのことです。

叉、マニラ発バギオ着の便についても、バギオ周辺の気象状況により着陸が出来ない場合は、同様に ビナロナン空港からバギオまでのシャトル便が運行される模様です。
(片道2時間程度の距離です。)

尚、運行予定の航空便は 16~20人乗りの航空機だとのことです。

さらに、バギオにおけるスカイ・パサダ航空の事務所については 近いうちに設置の予定だとのことです。

以上の情報は、同社のオーナーに近い地元の方からの情報です。

ご利用の際には、同社の事務所、旅行代理店に再確認をお願い致します。
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by janlbaguio | 2010-05-31 14:36 | 生活便利帳inバギオ

バギオの歴史コーナー - 戦時編 <その3>


この「バギオの歴史」コーナーでは、シリーズとして、「続 イフガオの墓標」 (宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)からの抜書きをご紹介しています。

今回は、バギオの目抜き通りであるセッションロードなど町の様子のくだりです。

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p14-19

メーンストリートのセッションロードは勾配の急な坂道で、その両側には二階が歩道にまで張り出したエキゾチックな家並みの店舗がひっそりと立ち並び、人通りもまばらで清掃のゆきとどいた街路には紙切れ一つ落ちていなかった。 セッションロードの坂をおりてゆくと、つきあたりに大きなマーケットがあってバナナ、パパイヤ、マンゴーなど南国の果物が縁台にあふれ、缶詰や食糧品などが山積みとなって、買出しの人達でにぎわっていた。 内地を出発する頃、東京ではジョッキー一杯のビールを飲むのにビヤホールの前に行列をつくっていたが、バギオではビールなどは街にあふれていたし、少尉クラスの安月給(六十円)の吾々にとって、たまに飲む一本四円のホワイトホースは手頃な飲みものであった。

(中略)

朝、六時になると丘の上の教会の鐘が鳴り響いた。 早起きの私はよくローラースケートを持って眼下のスケート場に出かけていった。 (中略) 宿舎の裏から細い小径を下り、アスファルト道を横切って露深い草叢を駆け下ると公園の片隅に出た。 バギオの街は、まだひっそりと深いねむりに沈んでいて人っ子一人歩いていない。
(中略)
1時間ほど滑って帰りは露にぬれたアスファルトの本道を帰ると、マーケットに行くカリトンによくすれちがった。 カリトンというのは小さな低い木製の車で、後に荷物を積む浅い箱がついたものである。 バギオはアスファルトの坂道が多いせいか、郊外の人々は市場の買い出しや野菜、果物の売り込みなどによくこれに乗ってやってくる。 

(中略)

・・・・外出をしては映画を見たりボーリングをやったりした。
セッションロードの坂の上にあったアルハマルチアターのもぎり嬢は美しいミスティサー(混血娘)であり、坂の下りくちにあったパインスチアターのもぎり嬢も色白のミスティサーであった。 またマーケット裏のバギオチアターのもぎり嬢は、・・・・

(中略)

映画が終わって外に出ると宵闇がせまっていた。 高原の都の夕暮れは霧が街角の外燈をぼんやりと包んで、そぞろにロマンチックであった。 街には華僑の経営する大きな中華料理店や日本人経営のレストランがいたるところにあった。
セッションロードの坂の途中から左に入ると小肥りの日本人マダムが経営する松屋食堂があったし、マーケット前の広場に面してアディン(イロカノ語で妹の意)の住み込む日の出食堂があった。 ・・・・出てきたのは年の頃六十くらいアッパッパー姿の日本人の婆さんで、それこそ西部劇に銃でも構えて出てきそうな一くせも二くせもありそうな面構えで吾々を一瞥した。

(中略)

広場の露路を入ると東洋堂ベーカリー、憲兵隊裏にはサツキ食堂、マーケット前の坂道を上るといかにも強者らしい女将の経営する富士食堂など、それぞれに在留邦人が活躍していた。

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これを読んでいると、昭和18,19年ころのバギオの目抜き通りであるセッション・ロードから、シティー・マーケット周辺の雰囲気が活き活きと浮かび上がってくる。
それにしても、その当時から少なくとも3つの映画館(チアター)があったとは驚きである。 当時のことをよく知っている方に聞いた話では、その頃は子供が親と一緒に映画館に行く時などはかなりのお洒落をして外出したという。
今のバギオの街角を歩きながら、これらの映画館や食堂などがどこにあったのかを探し回ってみるのも楽しいかもしれない。
そして、それらの繁栄を全て奪ったのは何だったのか・・・・
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by janlbaguio | 2010-05-30 23:33 | History バギオの歴史

バギオの歴史コーナー - 戦時編 <その2>



この「バギオの歴史」コーナーでは、シリーズとして、「続 イフガオの墓標」 (宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)からの抜書きをご紹介しています。

「第七十四兵站病院」の分院があった 現在のバギオ・コンベンション・センター付近の小高い丘からの様子について、以下のように描写されています。

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p13-14

この邸宅は小高い丘の上にあったので見晴らしがよく、ことに、街に面した私の部屋からの眺めは最高であった。 眼下に見下ろす湖水の向こうには緑の森に包まれた静かな街がねむっていたし、近くの松林の間には赤、青、黄色、と色とりどりの屋根に白い壁のバンガロー風の家々が花壇に咲いた花のように点在していた。 街の南側にブルハムパークと呼ぶ広い公園があった。 湖水はその中ほどに緑の芝生に囲まれて横たわっていたのである。

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(この写真は旧ガバメント・センター、現コンベンション・センターからバーンハム公園方向を撮影したものです。 バギオ100年祭記念の写真集より)


湖畔には公会堂アウディトリウムがあって白亜の美しい影を水に映し、それはまことに一幅の名画を見るようであった。 公園には野外ステージやローラースケート場などがあって、戦前の華やかな頃の状景を想像させた。 松の都といわれていたバギオはその名の如く、市内から郊外にかけて深緑の松一色であった。 しかも、それは内地のものと違ってすべて三葉の松で、その原種はヒマラヤ産で渡り鳥がタネを運んできたものだろうといわれていた。

街の中央の丘の上には赤い屋根、白い壁の大きな教会があって、朝夕の祈りを捧げる鐘の音にさそわれて着飾った善男善女が掃き清められた階段を手をとりあって、お詣りしている姿をよく見かけた。 この町の人たちはマニラ付近のタガログ族と違って、イロカノ族のせいか、あるいは、生活が安定していたせいかみんな温和な人なつっこい性格を持っていた。

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このバギオの情景描写は、戦争がバギオに押し寄せてくる前の様子を物語っています。
まるで映画の一場面を想いおこさせるような美しい描写は、旧き良き時代の「松の都」「フィリピンの軽井沢」バギオの面目躍如と言えるのではないでしょうか。

地元の老婦人たちが、昔のバギオを懐かしむ理由が、ここに十二分に描かれているように思います。

次回<その3>は、さらに目抜き通りのセッション・ロードなどを抜書きしてみます。
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by janlbaguio | 2010-05-27 21:46 | History バギオの歴史

バギオの航空路 復活 SKY PASADAが就航

WCCアビエーション会社のスカイ・パサダ航空が バギオをハブにした航空路線を復活させました。

ルート・マップは こちらでご確認下さい。
http://www.skypasada.com/routeMap.html

これを見ますと、バギオを拠点にマニラ、カティクラン、ツゲガラオ、カウアヤンを結んでいます。
カティクランはビーチ・リゾートで有名なボラカイ島への入り口です。
尚、バギオが天候不順などで閉鎖の場合は、パンガシナン州のビナロナン空港を使用するとただし書きがあります。

マニラーバギオ間の SKY PASADA のスケジュールは、
2010年5月現在は以下のようになっていますが、
こちらのサイトでご確認下さい。

http://www.skypasada.com/flightsched_baguio_manila.html

       バギオ - マニラ  マニラ - バギオ
火曜日   07:30ー08:36 12:18-01:24
木曜日   09:13-10:19 02:01-03:07
土曜日   07:30-08:36 12:18-01:24

バギオからマニラに飛んで、 マニラからバギオに戻るというスケジュールになっています。
バギオの空港の気象は、夏山の気象、雨季の気象、台風の影響などを受けますが、
台風を除き、普通は午後に悪天候になることが多いようです。
その場合に上記の通り、ビナロナン空港を代替地としています。

地元の関係者に聞いてみましたところ、ビナロナン空港は新しい空港で、直接のバス便はないようです。
従いまして、ビナロナン空港に到着した場合は、空港からトライシクルで国道に出て(約1キロ)、国道を通過するビクトリー・ライナーなどのバスに、バギオ行きのバスを手を挙げて止め、途中乗車をすることになりそうです。
尚、ビナロナンは ビクトリー・ライナーなどのバスがトイレ休憩で停車するシソンとマニラ寄りのウルダネタの中間にあります。 空港からシソンまでは約17キロあります。
ビナロナンからバギオまでは バスでおよそ2時間の距離です。

* その後の追加情報で バギオービナロナン間にシャトル便が運行されるとのことです。
  詳しくはこちらで

チケット、料金などは SKY PASADAのオフィスあるいは旅行代理店などでお問合せ下さい。


<ご注意>
飛行機関連の情報は 多々変更されることがありますので、
必ず 航空会社の事務所などで 内容をご確認下さい。
   















 
フィリピン バギオ マニラ 飛行機


  
 
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by janlbaguio | 2010-05-25 23:05 | 生活便利帳inバギオ

環境NGOの植林下見スタディー・ツアー ボントック道をリアスへ


バギオを拠点に山岳地帯(コーディリエラ地方)で環境保護活動などを実施しているCGN(コーディリエラ・グリーン・ネットワーク、反町眞理子代表)が植林の為の下見を行うという目的で、スタディー・ツアーを実施されましたので、JANLからも二名が参加させていただきました。

実施期間は 2010年5月17日から20日までの3泊4日。
行程の全てを CGN所有のジープニーで踏破しました。
行程は バギオ(Baguio) - アトック(Atok) - アバタン(Abatan) 90K - ボントック(Bontoc) - マイニット(Mainit) - マリコン(Maligcong) - バーリッグ(Barlig) - リアス(Lias) - ボントック(Bontoc) - レパント(Lepant, Mankayan) - バギオ でした。
(バギオ市からベンゲット州を抜け、マウンテン州にいたるツアー)

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最初に立ち寄ったところは アトックの戦没者慰霊碑。
静岡県の戦争体験者や遺族の方々が毎年慰霊に来ていらっしゃいますが、ご高齢の為に今後の存廃を検討されているところです。
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この慰霊碑は、バギオとボントックを結ぶ ハルセマ・ハイウエイ(ボントック道)の アトックのT字路、上のような案内板の後ろの個人の敷地内にあります。

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次に休憩をしたのは バギオから90キロ地点のアバタン。
ここは太平洋戦争フィリピン戦が終戦をむかえた折、日本軍の武装解除が行われた辺りといわれています。
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このハルセマ・ハイウエイの十字路を 右に行けば チノック(ティノック)、イフガオ方面。戦争中、日本軍が最後に集結した大和基地地区、キアンガンに至ります。 左に入れば マンカヤン(レパント鉱山)、セルバンテス方面へつながっています。

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そして、ここがボントックの町。 マウンテン州の州都。
マニラからボントックまでは おおむね400キロ。
マニラからバギオまでは 250キロくらいですから、
バギオからボントックまでは およそ150キロくらいの距離ということになります。
ジープニーでの所要時間はおよそ6~7時間。

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ボントックからさらにジープニーで1時間半ほど 山の中に分け入って着いたところがここ。
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第一日目の宿泊所、マイニット温泉郷にあるレスト・ハウス。
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辺り中に 硫黄の臭いと湯煙が立ち昇り、まるで大分・別府温泉の地獄の趣きがあります。

二日目は、
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美しい棚田で有名な マリコン村
マイニット温泉郷からボントック経由で1時間半くらい。
ガイドがいれば、ハイキングで2時間ほどかかります。
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田植えが終わった棚田(ライス・テラス)は、青々と天に向って広がっています。

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そして、そのマリコン村のすぐ近くにある 有機農法による果樹園を経営しているTさんの農園。主にマンダリン・オレンジを栽培しているとのこと。
牛、水牛の糞を肥料として使い、鶏の糞はにわとりが化学肥料を使った餌を食べさせられているので利用していないとの話がありました。

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そして、いよいよ入ってきたところが バーリッグ。
ボントックから東へ 30キロほどの山の中。 
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バーリッグの警察署、役所の前にあるこの宿に一泊。
宿泊するのに 目の前の警察署で台帳に署名するというものものしさ。
ここには携帯電話の電波も届きません。


三日目:

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そして、さらに奥地の リアス地区へ。
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この小さいバランガイは、こじんまりとして、整然と、清潔感のある地区で、高床式で質素な家々ながら、村人の仕事熱心さが伝わってくるようでした。

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村の小学校の脇には記念碑があり、戦争中に日本軍が押し寄せたことが記され、村人は山の中に隠れたとの話でした。

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この温室では、コーヒーの苗木を育てていました。
かなり苗木が大きくなってしまっているのだが、雨が足りないために未だ山に植えることが出来ないのだとか。この苗木をカゴに入れ、人力で山まで運び、植えるのだそうです。
コーヒーの加工やマーケットについての指導も必要とのこと。

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さて、この村に流れる川。 この川の向こうの山肌に果樹などの植林をしたいとの計画があるのです。 この村で有機農法で果樹栽培をやろうとするグループが 環境NGOに支援を依頼し、それに応えて 大阪のあるグループが現地調査にやって来たのです。

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元々 この周辺は この山のように 鬱蒼とした原生林。
このマウンテン州の原生林は 北はカリンガ州、東はイサベラ州への水源になっている貴重な森。
この水系を保護し、地すべりなどを予防し、叉、村の人々にとっても現金収入の道をひらく 果樹やコーヒーなどの植林が出来るかどうかを調査しているのです。

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そして、その夜は マウンテン州のバーリッグ・リアスから ジプニーを飛ばして ベンゲット州ブギアスのバンガオ(ボントック道沿い)の このホテルへ。
なんと到着したのは 真夜中に近い11時15分。
(このホテルに辿り着く30分前に、Mt. DATA ホテルに駆け込んだものの、満室の為 断られてしまいました。 保健省の職員のセミナー会場となっていたからでした。)


そして、四日目、最終日:

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マンカヤンにあるレパント鉱山のカルチャーセンター。
この鉱山は、戦時中には日本軍、日本企業によって接収されていました。
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CGNが主催する 環境教育の為の演劇制作の一環として、日本の舞踏家が振り付けの指導を実施しているところです。
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人体の骨のひとつひとつを手で触って確認しながら、それぞれの骨の役割を理解し、身体の使い方に役立てようとする試み。
指導しているのは 大阪からやってきた舞踏家の純アマントさん。


そして、レパント鉱山に別れを告げて、一路バギオへ。

四日間のスタディー・ツアーは、リアスの村人、おばあちゃん、子供たちの笑顔と、つつましくもしっかりと仕事をしている雰囲気が村のたたずまいに表れて、心に残りました。

果樹やコーヒーなどの植林が、村の人々を潤し、水源を守ることにつながることを願ってやみません。


尚、今回のスタディー・ツアーへの参加は、コーディリエラ地方における植林の実際を学ぶことに加え、JANLのメンバーとして 昨年の台風ペペンの被害がその後どうなっているのか
ハルセマ・ハイウエイ(ボントック道)の道路状況を実際に見ることにありました。

バギオとボントックを結ぶ そのハルセマ・ハイウエイの現状ですが、
結論としては これから本格的な雨季を迎えると かなり危険な状態になるものと考えられます。

バギオからアトックまでの間、特にラ・トリニダッドを過ぎてアトックまでの間の道路には台風によって路肩が崩壊した場所が数箇所以上のこっており、修復の為の材料は一部道路上に準備されているものの、本格的な修復作業が実施されているようには見えず、雨が降り続けばかなり状態が悪化することが考えられます。

叉、ボントックの手前1時間半くらいの地点からボントックまでの間についても、数箇所以上にわたって、路肩の崩壊は少ないものの、道路上への落石や崖崩れの危険性が多々みられる状態になっています。
 
実際に、私たちのジプニーが通りかかったすぐ目の前で崖崩れが発生し、危うく大きな岩の下敷きになるところでした。 経験のある運転手のとっさの機転で急停車し、後退し、崖崩れがおさまるのを待ち、事なきを得ました。

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目の前で発生した崖崩れの岩を取り除く、通りがかりの運転手たち・・・

本格的な雨季をむかえるに当たって、特に雨が降り続いている日は、不要不急のボントック道(ハルセマ・ハイウエイ)の利用は 避けられる方がよろしいのではないかと考えます。
叉、自動車を個人的に利用される場合は、山岳道路の事情に詳しく、経験のある運転手を使われることをお薦めします。












 

 
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by janlbaguio | 2010-05-21 23:54 | Neighbers ご近所情報

バギオの歴史コーナー 「戦時編」 <その1>

 
このコーナーは、このページの右下にある「カテゴリ」の中の「HISTORY バギオの歴史」をクリックしていただければ 歴史関係をまとめてご覧いただけます。

バギオの歴史 - 戦時編 <その1>


この「バギオの歴史」コーナーでは、しばらくの間シリーズとして、
「続 イフガオの墓標」 
(宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)


からの抜書きをご紹介したいと思います。
この本は既に絶版となっているようですが、一部のオンライン書店などで「古書」として取り扱われているようです。
ご興味をお持ちの方は、是非 お買い求め下さい。

この著者である宍倉公郎氏は 大正8年千葉県生まれ。 東京薬学専門学校卒。 昭和17年東部第十二部隊(近衛野砲連隊)に入隊。 昭和18年 陸軍軍医学校卒業。 見習士官(薬剤官)として宇都宮陸軍病院に配属。 その3月、第七十四兵站病院編成要員となる。 終戦後 昭和21年6月に復員、帰国。

フィリピンで所属していた病院が「第七十四兵站病院」であり、その病院の略歴は以下の通り:
昭和18年3月29日 バギオに病院開設
昭和20年4月21日まで バギオ
昭和20年4月19日~21日 バギオからボントック道の90キロ地点、バダヤン、トッカン方面に撤退、トッカンにて終戦。
バギオ駐留の間に、日赤看護婦、朝鮮班、茨城班、東京班、静岡班、滋賀班、福岡班が到着。
昭和18年2月10日宇都宮陸軍病院で編成した折の人員は350名、内将校は36名とされている。

尚、当時バギオには上記「第七十四兵站病院」の他に、「第十二陸軍病院」と「第百二十九兵站病院」が あい前後して運営されていたようです。

第七十四兵站病院は その本院を 現在のバギオ・ティーチャーズ・キャンプに置き、叉 分院を 現在のバギオ・コンベンション・センター辺りに置いていました。
終戦時の位置は、ボントック道の90キロ地点から東におよそ20キロくらいのトッカンとなっています。

(兵站病院の「兵站」とは、戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食糧などの前送・補給にあたり、また、後方連絡線の確保にあたる活動機能とされています。)


その本院と分院の様子は 以下のように書かれています:

== 以下 引用 ==

本院を開設したティチャズキャンプはバギオ市郊外東側の凹地で、あたり一帯は樹令を経た赤松林が鬱蒼としていた。 ここはもと、フィリピン陸軍士官学校であったもので、広いグランドを囲んで、テニスコートや設備の整った広い体育館、三階建ての大きな建造物が二、三棟と、渡り廊下で結ばれた沢山のコテジ(小屋)が松林の中に散在していた。 ここにはマニラ陸軍病院分院が既に開設されておって本院は設備と患者をそのまま引き継いだのである。

分院を開設したガバメントセンターはバギオ市郊外南側の市街を一望に見下ろす小高い丘で、学校のような大きな木造の二階建ての建物が広い中庭を囲んでコの字型に立っていた。 ここは、その地名が示すように夏季、暑いマニラを避けて政府機関が移転してきたところで、分院は空き家となっていたこの建物を利用したものである。

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次回 <その2> は、まだ平和だった当時のバギオの様子を 抜書きしてみます。


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by janlbaguio | 2010-05-15 17:44 | History バギオの歴史

日系人の子供たちが日本語劇WSの発表会


5月8日、バギオの日系人会館であるアボンで、小学生から大学生までの子供たちによる 日本語劇ワークショップの発表会が開かれました。 今年で8年目だそうです。
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出し物は 「桃太郎」「竹取物語」「浦島太郎」の三本。

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日本のゴタイゴの歌や、最後は「マツケンサンバ」まで披露され、盛り上がりました。

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この日本語劇ワークショップを指導しているのは 演出家の吉田智久さん。
毎年5月に滋賀県からバギオを訪れては1週間前後のワークショップを開催し、日系人などの子供たちに日本語を使った演劇をボランティアで教えていらっしゃいます。

北ルソンの日系人の為に中心になってこの日系人会やアボン会館の創設に尽力されたシスター海野さん。 その継承者であった 今は亡き寺岡まりえさん。
吉田智久さんは、その寺岡まりえさんとの約束を守って今までこのワークショップを毎年続けてこられたのだそうです。

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壁には 子供たちが作った かわいい「ひらがな五十音図」 が掲げてありました。
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by janlbaguio | 2010-05-10 02:53 | Neighbers ご近所情報

大阪、埼玉での上映会、朗読劇 有難う御座いました


ご報告が遅くなり申し訳ございませんでした。
JAPITAC(日比国際平和演劇祭実行委員会)からのご報告です。

去る4月3日から4月8日まで大阪・中崎町の天劇キネマトロンでのDVD上映会
及び、
4月21日に埼玉・志木市(柳瀬川)で開催されたDVD上映および朗読劇上演を実施することが出来ました。

ご来場いただきました皆様、関係者の皆様に 心より感謝申し上げます。

尚、埼玉で上演された朗読劇には、朝霞市のラジオ局「すまいるFM」のご協力などもあり、以下の俳優の皆様にご参加いただきました。

上演作品: 「亡霊の彷徨う街」(The Remains)
      (バギオ周辺で繰り広げられた戦争中の物語)

朗読:

吉澤慎吾さん、 高崎千香さん、 石崎まり子さん、小林葉子さん、
小島一洋さん、 赤江謙一さん、 竹内知子さん、 佐世たもつさん


この朗読劇は今泉監督のご好意によりDVDに収録されております。

以上。
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by janlbaguio | 2010-05-06 14:05 | JAPITAC 日比平和演劇祭

アボンで日本語劇ワークショップ開催中 5月8日発表会


以下のとおり、日系人会館アボンで、小学生から大学生までを対象に 日本語劇ワークショップが開催されています。

発表会は5月8日(土)午後2時からです。 是非ご来場、ご観覧ください。

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この日本語劇ワークショップは、日本から舞台演出家の吉田智久さんをむかえて、北ルソン比日友交協会(日系人会)が毎年5月に開催しているものです。

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今年 練習中の出し物は、竹取物語、浦島太郎、桃太郎の三つだそうです。

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どんな日本語劇が出来上がるか 楽しみですね。
皆様も是非 5月8日(土)の発表会には お立ち寄りください。


 
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by janlbaguio | 2010-05-05 19:16 | Neighbers ご近所情報

あなたの故郷はどこですか?  日本のFMラジオを聴こう


時々 日本の故郷が懐かしくなる皆さんへ:

最近は インターネット・ラジオなるもので あなたのふるさとのFMラジオ局の番組を 聴くことが出来るようになっています。

こちらのサイトで、あなたのふるさとのFMラジオ局を探してみてはいかがでしょう。
http://www.simulradio.jp/


北海道から沖縄までの FMラジオ局の放送を あなたのパソコンで聴くことが出来ますよ。

JANLのこのサイトの右下「メンバー・その他 リンク集」の一番下からもリンクしております。
 
 
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by janlbaguio | 2010-05-04 14:02 | Link お役立ちリンク集