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Tanabata Star Festival in Baguio  バギオ七夕祭り


Tanabata Star Festival will be held from August 7(Sat) to 24, 2010, at Baguio Mountain Province Museum as shown in the news paper article below :

8月7日(土)から8月24日まで、バギオ市の博物館で、本場・仙台七夕まつりの時期に合わせ、JANL主催の「バギオ七夕まつり」が開催されます。

主催: 北ルソン日本人会(JANL)
協力: 北ルソン比日友交協会(FJFANL)
    フィリピン大学・バギオ校
    コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)
    バギオ・マウンテン州博物館

会場: バギオ・マウンテン州博物館
    バギオ市ガバナー・パック・ロードとハリソン・ロードの交差点角
    (コーディリエラ大学の斜め向い側、バギオ・シティー・ハイスクールの前)

日程: 

8月6日(金) 1PMより 
市内の小学校、ハイ・スクール生による七夕飾り制作
フィリピン大学・バギオ校美術科の学生による制作

8月7日(土) 2PMより
JANL 及び FJFANLの小学生、ハイ・スクール生による飾りつけ

8月7日(土) 3PM
オープニング・セレモニー


一般公開展示: 8月9日ー8月24日、2010

一般公開中の訪問者の皆様は、是非 短冊に「お願い事」をお書きいただき、竹の小枝に結んで、バギオでの七夕祭りをお楽しみいただきたいと思います。

ご家族、ご友人をお誘いあわせの上 お越し下さい。
尚、期間中のボランティアも 募集中です。
お問合せは JANLまで・・・

(以下の記事は、バギオ・ミッドランド新聞での紹介記事です。)

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by janlbaguio | 2010-07-25 17:58 | Activity 活動内容

バギオの歴史コーナー - 戦時編 <その9>


この「バギオの歴史」コーナーでは、シリーズとして、「続 イフガオの墓標」 (宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)からの抜書きをご紹介しています。

歴史を紐解くことで、地元の方々との交流に 深みが増すことを期待しております。

今回は 同書の中にある 神山信雄著「病院の自活態勢と患者の練成」などの章から、当時のバギオの様子を垣間見てみましょう。

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神山信雄著「病院の自活態勢と患者の練成」の章より

p335
昭和十八年三月第七十四兵站病院がバギオ市に到着、ティチャースカンプに本院を、ガバーメントセンターに分院を開設した頃は、フィリッピンは平和郷であり、森の都バギオは桃源郷そのものであった。
(注:ガバーメントセンターは 今のバギオ・コンベンション・センター付近だったようです。)

p339
分院の裏には五〇米足らずの丘があった。 山の頂上から見渡す、バギオの町は美しく、ボルハンパーク(注:バーンハムパーク)、セッション通り、ハリソン通り、市役所が一望に見える。 この裏山には既に拡大な地下防空壕が構築されていた。

此の山上に神社の建設が開始されていた。 ・・・軽症患者の中より、大工、宮大工、製材者が選び出された。 
(略)
社殿、石垣、柵、表参道、裏参道、一の鳥居から三の鳥居まで建設され、流石の難工事も、昭和十九年三月八日完成した。 同日未明バギオ地区司令官荒木少将列席のもとに鎮座祭が施行された。
当時の模様をマニラ日系新聞は・・・・(略)
バギオ陸軍病院(注勿論兵站病院のこと)の白衣の勇士たちが勤労奉仕によって造営した「神明神社」は・・・・(略)・・・
バギオ市内の邦人も参詣し、勇士達の相撲や演芸なども奉納された。

p340
当時バギオ市及びその周辺には多数の邦人が居った。 市内では大商店を経営し、 トリヌダッドには多数の農業経営者が住んでいた。 日本人学校、日本人墓地はあっても、神社はなかった。


新藤多喜男著 「駿兵団参謀長の追想」の章より

p345
北部ルソン島のバギオという所は・・・(略)
さしたる豪壮な建造物がある訳でもないが、市街至る所に芝生と森や林があって緑滴る中に赤や青色の屋根の家屋が点在している景観は清潔な感じで立派な画題であった。 特に太い松の木が亭々と真直ぐにのびているのは格別我々には印象深いものであったが、それがすべて三本葉の親子松という珍しいものであった。 

(略)
バギオの私の宿舎はキャンプ・ジョンヘイという米軍駐留の跡であったが立派な独立家屋で、バラの垣根、広い庭、庭の先は急な千仞の谷でムクムクと白雲が谷底から昇り上がってくる素晴らしい所。 (略) バギオには山下方面軍直轄の兵器弾薬、自動車、ガソリン、被服食糧、衛生材料等の補給を担当するいわゆる補給諸廠や兵站病院などがあって一応駐屯司令官たる第百三師団(駿兵団)の指揮下にあった。


清水直子著 「比島山中の想い出」の章より

p375
そこには、フィリピンの国花サンパギータを始め、バラ、コスモス、アジサイ、ツツジ、カトレアなど、種々の花が次から次えと年中美しく咲いていた。
私たちの宿舎になった家には、日本趣味の庭園があって、赤い欄干の橋のかかった池には鶴の噴水があり中にあずまやが建てられていた。 その池には日本から持ってきたといわれるドジョウやフナが、フィリピン人にもドジョ、フナとよばれて泳いでいた。
(略)
聞くところによるとこの建物は独逸系親日家が建築したもので、庭園も家も日本より職人を入れて作ったと言う。 特に茶室は日本にあったものを分解この地に再建したそうである。
燈籠も所々にあり、池にはアヒルも遊び、全く日本の家の如くフィリピンにいる事を忘れる程であった。
(注: この家の雰囲気に似た古い大邸宅は かなり朽ち果てながら、今もバギオの某所にひっそりと残っています。)


石塚源助著 「緒戦時バギオ突入の想い出」より

p452
昭和十六年十二月八日未明、ハワイ方面の機動部隊が真珠湾攻撃を仕掛けていた頃、台湾上空には暗雲が垂れ込めていた。 そのため比島空襲を命じられていた第十一航空艦隊は予定の時刻になっても出撃することができなかった。 然し、第五飛行集団のいた佳冬飛行場は霧が薄れてきたので、ここから軽爆撃機二十五機、潮州飛行場から重爆撃機十八機が朝霧をついて比島攻撃の第一陣として午前六時二十分出発した。 この航空部隊はルソン上空に敵影を見ず、午前九時三十分ツゲガラオ飛行場及びバギオ兵営を爆撃した。
(注: この「バギオ兵営」と言うのは、バギオのキャンプ・ジョン・ヘイとされています。)

昭和十六年十二月二十四日、リンガエン湾上陸の一夜をアゴーで明かした私達は翌早朝、バウアンに集結していたビガン上陸部隊の菅野支隊をトラックに乗せていよいよバギオ攻略に向うべくアゴーを出発した。

p453
(略) バウアンに到着して、一個中隊ほどの歩兵を約二十台のトラックに分乗させ、重機関銃を運転台上に固定して敵状の不明なバギオに向って午前十一時頃出発した。

p454
道路破壊が何箇所もあったためナギリアンに二泊して、いよいよバギオを目指して・・・(略)

かくしてようやく二十七日の夕暮、バギオの辻に到着したが、夜目にもわかる松の並木のような処から、この町角が急に明るく見えました。 それは手に手に燈火を持った在留邦人の方々でした。 みんな涙を流して万才、万才と叫んで車のステップにとび乗ってきます。
(略)
一発の弾丸も射たず、叉、部隊は一兵も損せずそして援け出した日本人は五百人とのこと、 夢としか考えられない出来事であった。

p455
米比バギオ防衛司令官が無防備都市を宣言して日本軍入城前にほとんど撤退していたからでバギオは全然戦闘がなかったからであった。

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この回をもちまして、「続イフガオの墓標」からの抜書き、戦争当時のバギオ周辺の模様が描かれた部分の抜書きシリーズを終了致します。

バギオ散策の折にでも、ご参考にしていただき、今までとは違った視点で歴史探訪をしていただければ幸いです。

 
 
 
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by janlbaguio | 2010-07-12 22:19 | History バギオの歴史

定期総会と夕食会 - JANL 北ルソン日本人会


二ヶ月に一回実施されているJANLの定期総会が開かれました。
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懸案事項と今後の活動内容を話し合った後は さっそく夕食会。

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今回は メンバーの奥様の手料理で、会場の近くにお住まいの BSU(ベンゲット州国立大学)の副学長をお招きしての会食となりました。

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夕食会は5時から9時過ぎまで延々と続き、情報交換を行いました。

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メンバーの子供たちは 別室でお楽しみ会でした。
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by janlbaguio | 2010-07-11 00:05 | Activity 活動内容

まだまだ 蕾 ? - バギオの桜 


二日前に 二枝だけに咲いた バギオの桜をご紹介しましたが
今日 もうひとつ つぼみ を発見しました。

皆様にも その可愛い蕾を お目にかけましょう。
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日本であれば、短い期間に いっせいに絢爛たる開花を誇るさくらですが、
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このように ひっそりと ひとつ またひとつと 開いていく桜も ちょっとドキドキして いいもんですね。

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こんなに小さい桜の木。
どこに咲いているのか 探さないといけません。

これが もっと大きく育って、増えていってくれれば 嬉しいですね。
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by janlbaguio | 2010-07-07 20:05 | Neighbers ご近所情報

バギオの外国人退職者たちが 新市長に表敬訪問


7月6日(火)、フィリピンの退職者ビザ(SRRV)を持つバギオ在住の外国人の各国代表者の皆さんが 先の選挙で 市長に返り咲いた ドモガン・バギオ市長を表敬訪問しました。

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この表敬訪問は フィリピン退職庁の肝いりで実施されたもので、バギオでリタイア生活を送る外国人の意見を行政に届けようとの企画。

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早速その場で 意見交換が行われ、外国人在住者から、
「バギオの空気をもっと綺麗にして欲しい。」
「フィリピンの一部の都市で既に実施されている 外国人退職者への優遇策を バギオでも実施して欲しい。」
などの意見が伝えられました。

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バギオの日本人リタイア・グループとして 北ルソン日本人会(JANL)にご指名があり、ドモガン市長とは旧知のゴルフ仲間でもある 副代表の山田氏がご挨拶。

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叉、JANL代表の小国氏も、お祝いのご挨拶をし、
JICAからの研修制度の資料と、昨年JANLが主催した日比国際平和演劇祭のDVDを寄贈し、今後の協力をお願いしました。

尚、JANLのメンバーの中には、数名のSRRV保持者がいらっしゃいます。


 

 
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by janlbaguio | 2010-07-06 22:03 | Neighbers ご近所情報

けなげな、可憐な桜 ひっそりと咲いています。 


やっと この眼で 噂の桜を見ることが出来ました。
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どこに咲いているのかと言いますと、北ルソンの日系人の人たちが集まる会館「アボン」の庭。
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北ルソン比日基金の エスカニオ事務局長にお伺いしましたところ、この桜は1999年に その当時の海外青年協力隊として農業の指導の為にバギオに滞在していた ヨシカワさんと言う方が寄贈されたものだ、とのことでした。

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その桜は やっと2メートルを超える程度の小さいものです。
そして いっせいに咲くのではなく、4月ころから ポツリポツリと 今年の場合は7月になっても その可憐な花を 咲かせているのです。

今、7月5日現在は、二つの枝の先端にだけ やっとの思いで 力いっぱいの花を咲かせています。

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バギオの日系人の会館にお立ち寄りの折には、是非 この ひっそりと咲いている、けなげな桜を 元気づけてあげて下さい。

桜の専門家によれば、日本の本土の桜は気候の関係(低温が一定期間以上続かないといけない等)や地質の関係で フィリピンで咲くことは なかなか難しいのだそうで、 花を立派に咲かせたいのであれば 沖縄から鹿児島にかけて花を咲かせている種類でなければ無理だろうとのこと。

さて、この桜は 日本のどこから来た桜か、この写真からお分かりになる方は いらっしゃいますか?
好奇心の湧いた方は 是非 こちらのサイトの150の写真と見比べてみて下さい。





 
 
 
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by janlbaguio | 2010-07-05 17:05 | Neighbers ご近所情報

バギオの歴史コーナー - 戦時編 <その8>


この「バギオの歴史」コーナーでは、シリーズとして、「続 イフガオの墓標」 (宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)からの抜書きをご紹介しています。

今回は本文の最終回で、日本軍の武装解除、終戦の部分を読んで見ます。

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p285
(1945年)七月に入ると、勤兵団の死守していたキャンガン戦線が急を告げ、七月十日山下軍司令部は遂にフンドアンを引払って複廓陣地のほぼ中央付近の三RH(レスト・ハウス)の対岸に移動してきた。 七月中旬になると敗戦の様相は更に深刻となった。

バギオ当時、収容患者四千数百名を数えた、吾が第七十四兵站病院も、(略) 推定収容患者は二千名前後に減少していた。
(略)
即ち、このトッカンを中心としてブギヤスチノック、など数キロメートルの範囲に軍医一、二名、衛生兵、看護婦、患者が一グループとなって、(略) 分散してただ生活しているだけとなった。

薬品類はバギオ撤退の際、郊外のトリニダッドの橋が爆破され車両輸送が不能となったため、 (略) 三ヶ月も経たないうちに忽ちに欠乏し、治療不能に陥った。

p290
・・それらの屍体に交じって、大腿部の肉が削ぎ取られた屍体も四、五体転がっていた。
腐りかけた死体の顔や手足には大きな蝿がまっ黒にたかり、白い蛆がところかまわず這い回っていたし、死期のせまったものは群がりたかる蝿さえ追う力もなく、その手はいたずらに空間を払うだけで、死臭を嗅ぎつけた小さな赤蟻が鼻や耳の穴に忙しげに出入りしだしていた。

p292
雨がしとしと降る夜などは、瀬降りのある松林のあちこちに不気味に青白い燐が燃えていた。 (略) 異郷に行き倒れた無数の死霊の叫び声が聞こえてくるようであったーー
p303
やがて、一人が意を決したように火の中に投げ込むと、次々とそれは投げ込まれた。
(略) 内地から遥るばる持ってきた着物であろうが、(略) 飢餓と疲労の極限に耐え、食糧の足しにもならないものを、転進に次ぐ転進にこの険しい山の中を持ち歩いていた“女の逞しさ”と“着物に対する執念”に私は改めて驚異の目を見張ったのである。

p308
終戦という言葉を聞いても、それで生きて無事に日本に帰れるという手離しの安堵感は少しも感じられなかったからである。 それは、家畜や田畑を奪われたイフガオ族が、いつ襲撃してくるかわからなかったし、・・・・

p309
「武器を処分し丸腰になって集結せよ」との指示を受け九月十七日朝、吾々は小銃、弾薬、手榴弾類をひとまとめにしてコーヒー園のはずれに筵に包んで埋め、おりからのしのつく雨の中を万感をこめて工作隊を後にしたのである。

(略)

しのつくあめの中をバクロガンの米軍キャンプに向いトッカンを発ったのである。
それは昭和二十年九月十八日の朝であった。

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次回は、同書に収められた他の戦争体験者の文章から、当時のバギオ周辺の様子を窺わせるものをランダムに拾ってみたいと思います。

この本は、今までよんだ様々な戦記の中でも、バギオ周辺の当時の様子を一番詳しく書いてある本でないかと思います。

この抜書きを読んで、ご興味を持たれた方は、是非 同書を古書店などで手に入れられることをお薦めします。
アマゾンなどのインターネット書店の「古書」コーナーでも取り扱っている場合がございます。
(JANLのメンバーの方には 貸し出しを致します。ご連絡下さい。)
 
 
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by janlbaguio | 2010-07-04 22:39 | History バギオの歴史

7月1日千秋楽-内田春菊作・吉田智久演出「エバーさんに続け!」


マニラのフィリピン国立劇場CCPで絶賛上演中の日比合作演劇「エバーさんに続け!」が いよいよ本日7月1日午後8時 千秋楽を迎えます。

フィリピン人看護師が唯一人合格した日本の看護師国家試験。
その合格率1%の難関を突破したエバーさんに続けと奮闘するフィリピン人看護師たちの日々を描くドタバタ・コメディー。

作:内田春菊
演出: 吉田智久

尚、上演は日本語字幕付きです。
もっと詳しくは こちらのサイトでとうぞ。


その演出家・吉田智久さんから、出場俳優のプロフィールと千秋楽への意気込みをいただきました。

以下は吉田智久さんの報告です:

2010,06,30
現在フィリピン国立劇場で開催中の短編演劇フェスティバルで、私が演出している「Sundan natin si Eve-san! (邦題: エバーさんに続け!)」(作:内田春菊) がいよいよ明日、千秋楽を迎える。なんと、先週の初日2公演はチケットが売り切れる大入り! 千秋楽は少しだけチケット余っており今ならまだ間に合うので、マニラへ来ることが出来る方に是非ご宣伝を!

千秋楽公演:7月1日 (木) 8pm~CCP内スタジオシアターBatuteにて! 

今回は芸達者の俳優に恵まれた。というか全員が全員、芸達者なのだ。これは考えてみると初めてである。私は割と「ベテラン・中堅そして若手」、言い換えれば「器用・不器用に2枚目3枚目」と色んなタイプの俳優を混ぜてきたのだなと改めて思う。キャスティングは役への適正よりチーム作りの観点からする傾向が強い私としては当然ともいえるが、今回全て中堅どころ以上の芸達者に固まったのは当初予定していた俳優のキャンセルが出たことに依る偶然。私の意識より、スケジュールと出会いのタイミングが生んだ奇跡である。ともあれ今回は随分大人のチームを率いたなーと千秋楽を迎えて感じている。

私の言葉でどこまで皆様に伝わるのか甚だ疑問ではあるが、今日はその芸達者な俳優たちを紹介してみたいと思う。レディーファーストで……

・看護師「ジョイ」=カット・ロシート(写真1の右から2人目)……フィリピン国立劇場(CCP)の付属劇団(Tanghalang Pilipino)の現役メンバー。私の作品へは今回が初出演。でも実は一昨年から目をつけていて、2年越しのラブコールが実った形。物静かなたたずまいからくる演技にはしっとりした色気がある。今回の役柄では、後二人の個性の強い看護師に振り回されつつも、患者には人一倍やさしく、また秋永先生には熱い視線を送る「静のヒロイン像」を築きあげてくれた。
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(写真1: 稽古風景、撮影:吉田氏)

・看護師「リガヤ」=マイレス・カナピ(写真1の一番左)……以前から私の演出作にはほぼ出演(私のメジャープロダクション9作のうち6作に主演)してくれている。今やマニラではNo.1売れっ子舞台女優。毎年フェスティバルでは10人近いディレクターから出演以来が殺到するが、2作しか出演できない(そういうフェスティバルのルール)内の一つは私の作品に出てくれる。どんな役でも平気でこなすプロ中のプロだが、私の作品では彼女のエネルギーを爆発させるようなダイナミックな演技をしてもらうことが多い。今回の明るい役柄ももちろんエネルギッシュに演じきって作品を引っ張ってくれた。

・看護師「チェ」=ピーウィー・オハラ(写真1の一番右)……テレビ・映画でも活躍する「意地悪おばさん」的なコメディが得意なベテラン女優。3年前のこのフェスティバルで私の作品「洗濯テロリスト」に主演してもらっており、今回が2回目のお仕事。今回もはまり役ではあるとはいえ、台本にある以上に皮肉屋さんを作り上げ、看護師仲間・秋永先生・老患者と共演者全員に食って掛かかり、体を張った演技で観客の爆笑を奪っていく姿には脱帽。でも実際は常にみんなに気を配ってくれるやさしいお母さん。

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(写真2: 稽古風景、 撮影:吉田氏)

・教育担当医「秋永」=ランディー・ビリャラマ(写真2の右)……CCP付属劇団TPでのブレイクをきっかけに舞台のみならずTVでも活躍が目立つようになった中堅俳優。私が舞台監督をした2006年のTPの作品「バケレッタ」(作/演出:鄭義信)に出演していた。演出-俳優としての仕事は初めて。少々不器用なところはあるが、非常に真面目な性格であること知っており大役を任せたが想像以上にやりきってくれた。もちろん日本語の発音などは付け焼刃だが、フィリピン人観客には日本人キャラクターであることを十分納得させる力のこもった演技を披露してくれた。

・老患者「日本太郎」=ジェリー・オハラ(写真1の右から3人目、写真2の左)……大ベテラン。彼の兄である有名映画監督マリオ・オハラを支える技術スタッフとしてキャリアが長かったが、若き日にPETA(フィリピン教育演劇協会)で鍛えた演技で、12年ほど前より俳優としても映画を中心に活躍。彼の妻であるピーウィーや、息子のパオロ(以前私の作品に主演)から私のうわさを聞いて是非出演したいとスケジュールを無理やりこじつけて参加して下さり、今回初めてのご一緒。ボケ老人を可愛く可笑しくすごい存在感で演じてくれたことも圧巻だが、それが繊細なリアクションの積み重ねで構成されていることはフェスティバルディレクターらプロの目も唸らせた。

写真載ってない俳優たち
・下着姿の男=クローム・コシオ……テレビを中心に活躍する芸達者の中堅。マイムなども得意とし、声や体を自在に操って演技する。少ない出番ながら稽古から日々新しいアイデアを出し続け、本番はサプライズまで用意して登場し、役の存在感をしっかり残してくれた。
・師長さん=チェリール・ラモス……国立フィリピン大学の劇団(Dulaang UP)でメイン女優をしていたこともある有名人。当初は登場予定のなかった役を、この芝居にどうしても出たいと道場破りの如く勝手にシーンを作り稽古に入り込んで来てくれた。嬉しい誤算。


明日は最後の45分間をこのメンバーと楽しみます。




以上。
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by janlbaguio | 2010-07-01 08:41 | AJISAI 文化交流 network