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バギオ歴史探訪シリーズ- 8(完) Historical Walk in Baguio

マグサイサイ通りにあるメトロバンクの横の坂道。 これがジェネラル・ルナ通りです。
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この道をちょっと登った2~3軒目の右側に戦前は「フジ・ホテル」がありました。
「思い出はマニラの海に」には、この「富士ホテル」のことが次のように書かれています。

「シティ・マーケット広場の東裏通りに富士ホテルがある。
市内の会合に、また山奥で働く木材業者や金山会社の邦人が主に利用していた。
木造の広い建物で入口を入るとすぐ広間で、テーブルや椅子があり、ダンスも踊れるようになっていた。
奥に通ずる廊下に幾つかの小座敷もあって、日本食や日本酒が出た。
月に一、二度山奥の邦人が楽しみに出てきて、すき焼をつつき、日本酒で一晩飲み明かす場所である。」

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当時を知る人の話では、今のビルは当時のものではなく、ほぼこの辺りに狭い入り口があったとのことです。
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これが当時の入り口です。

そして、この写真が富士ホテルでの宴会風景であると言われています。
和室の造作は実に日本国内そのもののように見えます。
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左に掲げられた旗には YOUNGMEN などの英語が書かれています。

さて、手書きの地図を見ると、この坂をマグサイサイ通りに戻って、
角から4軒目くらいのところに「神戸キッチン」というのが描いてあります。
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その上の注釈を読んでみましょう。
「唯一ノ日本人レストラン。開店シテ間モナク宮井氏病没シ、支那人レストラン。 
程ナクシテ ダンワトランコ ノ事ム所トナル。」
とあります。
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一本路地があって、その路地から3軒目のようですので、「神戸キッチン」の場所は、おおよそこの辺りではないかと思われます。 ジョリビーがありますね。


そして、この歴史探訪シリーズの最後の場所、
日本人小学校がバーンハム公園の傍から移転した先であるマグサイサイ通りのロクバン
(LUCBAN)に行ってみましょう。

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バギオ・センター・モールの前の横断歩道橋の交差点を左折して
どんどん道なりにゆっくりと10分間ほど歩きます。
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これもダラダラと下ります。
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ちょっと見えてきたのがイグレシア・ニ・クリストの教会。
これも道なりに下ってください。
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しばらく歩くと、左側にイグレシア・ニ・クリストの教会。

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そして、その先の右側にエピスコパル教会(Episcopal Church)があります。

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その左側、教会の前にビレッジ・イン(VILLAGE INN)があります。

このビレッジ・インは、日本人小学校に隣接していた西本願寺のお寺兼幼稚園で、
この建物の左半分ほどには昔の面影が残っているそうです。
叉、この二階には寄宿舎があったとの話です。
お寺の住職は立花先生で、奥様は幼稚園の先生でした。

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さて、これはなんでしょうか。
ビレッジ・インから少し戻ったところに この門扉があります。
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この門扉に似ていますか ?

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はい、これこそが、昔の日本人小学校の正門だったのです。

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今は、なんと 昔の小学校の正門の上に、ナイト・クラブの看板が掛かっています。

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門の中を覗きこんで見ますと、火災で焼け落ちたような跡がそのままになっています。

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1938年 ? と書かれた日本人小学校の写真。
このような立派な日本人小学校が 戦前のバギオにあったのです。
そして、この小学校も戦争末期の空爆で焼失したとのことです。


皆様、いかがでしたか?
バギオの中心部を Kisad Road, Burnham Park, Harrison Road, Governer
Pack Road, Session Road, そして Magsaysay Road と散策して来ました。

戦前の日本人コミュニティーの繁栄ぶりを感じていただけたでしょうか。
そして、戦争の悲惨な結末にも想いを馳せていただければ望外の喜びです。

このシリーズを書くにあたり、相談に乗っていただき、ご指導をいただきました
古屋英之助様に御礼を申し上げます。


バギオ歴史探訪シリーズ (完)

(一旦シリーズを終了しましたが、その後の追加情報を (9)から再開しています。)

     
このシリーズを1からご覧になりたい方は、
このページの右側の「カテゴリー」の中の「HISTORY バギオの歴史」
クリックしてください。



    









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by janlbaguio | 2011-09-22 20:15 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ - 7  Historical Walk in Baguio

バギオの目抜き通りであるセッション通りを下って、今私たちは このパブリック・マーケットの前にいます。

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戦前のこの場所は 郡司忠勝著「思い出はマニラの海に」の中では
「シティ・マーケットの広場」として 以下のようにその様子が描かれています。

「町中がクリスマスの飾り付けに輝き、聖夜のメロディーがセッション道の商店街を流れる。
イブにはパレードが街を練り歩き、夜は市の主催する野外ダンス・パーティーがシティ・マーケットの広場で催される。
市民で埋まった会場は市長夫妻のダンスで幕が開き、いよいよお祭り騒ぎが最高潮に達する。」

「町の中央のシティ・マーケット広場には、毎日沢山の肉や野菜、果物といった食料品が運び込まれて盛んな自由市場が立つ。 観光土産のイゴロット族の織物やイフガオ族の木彫品なども避暑客相手に沢山露店に並ぶ。」

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現在のこのピープルズ・パークはおそらく このような広場として市民のお祭りの場所になっていたのでしょう。

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そして、このピープルズ・パークの奥の方に、左角に銀行、右側の角に雑貨屋のような店があって、路地を入って行くと、「サガダ・ランチ」という食堂がその路地の奥の正面にあります。

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この「サガダ・ランチ」というのは観光地としても有名なSAGADAの名前を採っている通り、
山岳民族の人たちの多い、「懐かしの味」を出す食堂だそうです。
主に、米、犬、山羊、鶏のピニクピカンの料理が人気だとか。

この場所には戦前は一戸建ての家があって、「東京堂」という和菓子のお店であったとか。
当時日本人小学校の生徒だった方は、この東京堂さんから残り物の餡子をバケツに入れてもらって、小学校で飼っていた豚の餌にしていたそうです。

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そして、この路地を左の方へ抜けると、ここに出て来ます。
シティー・マーケット側から見ると、左側がメトロ・バンクのマグサイサイ通りの支店、右側にフットステップというお店がある場所です。

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この地点を手書きの地図で確認してみますと、
メトロバンクの場所には「岩間商店」、FOOTSTEPとその隣のCURAMED薬局の辺りには 「山本グロセリー」があったと描いてあります。


最終回、その8は こちら です。



   











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by janlbaguio | 2011-09-20 23:41 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ - 6  Historical Walk in Baguio

さて、今日は、戦前のバギオの中でも一番有名だった「ジャパニーズ・バザー」を
見ながら セッション通りを下りていきましょう。

その5で パレードの写真の背景に ジャパニーズ・バザーが出てきました。
しかし看板の文字がはっきりしませんでした。
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これは 郡司忠勝著「思い出はマニラの海に」に掲載されているイラストですが、
これを見ると「ジャパニーズ・バザー」であることが分かります。
このビルは 改装された後の建物で、下の写真が元の建物だったようです。

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これが バギオの歴史上も有名な「ジャパニーズ・バザー」の写真です。
早川氏の経営だと地図にあります。
(手書きの地図は その1 のページに掲載してあります。)

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今のセッション通りの中での位置は、プライムホテルの角からすぐ隣のこのビル、
456という看板のあるビルの辺りだそうです。

この「ジャパニーズ・バザー」の写真は、バギオの歴史を語る本などにもよく掲載
されるほど目にする写真なのですが、その理由はどこにあるのでしょうか。

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ここに経営者・従業員と思われる人たちのスナップがあります。

このお店は当時のバギオの中で どのようなお店だったのか。
そのことは 1935年から終戦の1945年までフィリピンで生活し、
ジャパニーズ・バザーで働き、戦時中の北部ルソン日本人会の会計役でもあった
郡司忠勝氏の著書「思い出はマニラの海に」に詳しく描いてあります。


「バギオ第一を誇るジャパニーズ・バザーは町の中央をゆったりと下る
セッション・ロードの中ほどにあって、四面の大きなショー・ウインドを
もった白壁の建物である。」

「店主の早川豊平さんは山梨県御坂町二の宮の出身で二代目である。
先代の秀雄さんはベンゲット道路工事にたずさわり、完成後はそのまま
当地に残り功を成した人である。
早稲田大学商学部を卒業した豊平さんは、請われて親戚筋にあたる
先代の養子になった由である。」

「(早川豊平さんは)ジャパニーズ・バザーを経営するかたわら、
バギオ日本人会長(後に北部ルソン日本人会となる)として
また当地のロータリ・クラブ会員として広く知られ、・・・・」

「西側はフォート・スタジオで、その下には暗室と作業室があり、
それにつづいて写真部長の古屋正之助さん、副支配人の秋吉さん、
その向いに支配人の宮北悦厳さん、その隣の松浦さんの住宅が
噴水の上がる中庭を中心にして囲むように棟つづきで建っていた。」

「避暑客は一度は必ずといってよいほどジャパニーズ・バザーを
訪れる。 ジャパニーズ・バザーはバギオを代表する店の一つで
ミニ・デパートといった構えで、薬局から自動車部品まで、一般雑貨
からスポーツ用品、楽器、呉服、酒類、貴金属に時計や写真機、
靴それに写真スタジオなどと、食料品と機械類を除いてはほとんど
この店だけで用が足りた。」


以上のように郡司氏の著書に描いてあるジャパニーズ・バザーは
戦前には バギオ随一の「ミニ総合商社」としての機能を果たしており、
「あそこに行けば何でも揃う」というような百貨店であったようです。
今の感覚で言えば、規模はともかく、SMバギオのような役割で
あったのかもしれません。


では、戦前の地図を見ながら、セッション通りをさらに下って行きましょう。
地図には、(支)の文字がついたお店などが並んでいます。
(支)は「支那」、つまりCHINA、中国の意味ですから、中国系の経営だということになります。

ずっと下ると、セッション通りの一番下近くに「パインス・チャーター」と
書いてあります。
これは今の表記にすると「パインズ・シアター」になります。
PINESという映画館ですね。


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ここは セッション通りの一番下。 左側にマハリカ・ビルがあります。
右に登る方がセッション通りですね。

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マハリカ・ビルの前からセッション通りを見ると、このように見えます。
右の角には銀行の新しいビルが出来ました。

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その向こう側のビルに、たて型の看板で「PINES」と読めます。
これが「パインズ・シアター」の場所です。
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この写真が同じ場所のはずなんですが、ちょっと分かり難いですね。

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じゃあ、これだったらどうですか?
PINESの看板が ちゃんとありますね。

当時を知る方によれば、この看板は当時そのままの看板。
建物自体も戦前のものが そのまま残っている稀なケースだとの話です。
建物の内部は、階下に劇場があって、二階席もあったそうですが、今は映画館では
ありません。

当時小学生だったバギオ生まれの方は、
「風と共に去りぬ」、「姿三四郎」、「アヘン戦争」、そして、エノケンの
「孫悟空」などの映画を見たそうです。


ところで、手書きの地図によれば、このパインズ映画館の近くに、
「パインスチャーターノ近クニ 浦田時計店ガアリマシタ」とのことです。

そして、セッション通りのバーンハム・パーク側には以上のような日本人経営の
お店が並んでいたんですが、通りの反対側の並びには、日系のお店はほとんど
なくて、唯一 パインズ映画館の前あたりに 「早川薬局」というのがあるだけです。



その7は こちら です。














 





フィリピン バギオ 戦前 セッションロード ジャパニーズバザー パインズ映画館 マハリカビル
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by janlbaguio | 2011-09-19 14:51 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ - 5  Historical Walk in Baguio

シリーズ5では、セッション通りの一番上から ゆっくり下ってみましょう。

シリーズ1で掲載した手書きの戦前のバギオ地図に、郵便局や通信局が書いてあります。
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バスターミナルからセッション通りを見ると、
この辺りが 戦前の通信局ということになりそうです。
今は 銀行やPLDT(フィリピン長距離電話会社)などがあります。

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そして、セッション通りの向い側には 郵便局が 戦前と変わらずにここにあります。

さて、地図を見ますと、通信局の並びに、日本人経営の床屋、カピタルバザー木下、
さらに下には 山本商店があります。
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これが現在のセッション通りですが、この辺りに上記のお店などがあったことになります。
向こう側に見えているビルが PRIMEホテルです。

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戦前のバギオを知る日本人の方にうかがいましたところ、
このビルの VIDEO ONE と書いた看板のあたりに、
「山本商店」があったそうです。

「山本商店」はパン屋さんで、その右隣りにワシントン・ホテルがあり、
さらにその右側に 映画館があったそうです。

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これは 当時のジャパニーズバザーで販売されていた絵葉書の絵です。
ここにその「ワシントン・ホテル」が描かれています。
そして、その右側のドームのある建物が映画館だとのことです。
地図を読みますと 「アルハマル映画館」とあります。

この映画館では、その当時でも カラーのハリウッド映画が上映されていたそうで、
日本国内よりもかなり進んでいたようです。
叉、当時のバギオの日本人家族は、「よそ行き」の服装で映画を見にいったものだ
というお話でした。

しかし、この立派な映画館も、戦時中の絨毯爆撃で焼失したそうです。
映画館は木造の4階建てだったと聞きました。

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さて、この写真ですが、パレードのスナップのようです。
今でいえば フラワー・フェスティバルのようなものでしょう。

飾られた旗にご注意下さい。
アメリカの旗と日本の旗です。
当時は フィリピンはアメリカが統治していたのですね。

写真の右側の建物は 今のプライム・ホテルのあたりで、左側に見えている
建物は おそらくアルハマル映画館ではないかと思われます。
セッション通りからハリソン通りに抜ける道 CALDERON通りが交わった地点です。
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今現在の地点で言えば、プライム・ホテルのあるこの角のあたりです。

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そして、このパレードの写真。
真ん中にある二つの建物。 たくさんの日章旗が飾ってあります。
このふたつはつながっているようで、全体がジャパニーズ・バザーのようです。
左側の建物の屋根の部分の文字はかろうじてそのように読めます。


この左側に永富氏の経営のマウンテン・バザーがあって、、裏側には
「エンパイア・ホテル」もあったとのことです。
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さて、これがその「エンパイア・ホテル」。 
日本語で言えば「帝国ホテル」ですね。
当時は大日本帝国だったわけです。

この写真の右や下に書いてある記事を読みますと、
俳句の会が このエンパイア・ホテルで開かれたことが分かります。
昭和14年に撮影されています。

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今のプライムホテルの裏にこのような通りがあります。
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この通りの右側に、戦前のエンパイア・ホテルはありました。
ただし、入り口はセッション通りに面していたそうです。


次回の シリーズ 6 では、セッション通りに戻って
ジャッパニーズ・バザーなどを見て行きましょう。

その6は こちら です。













フィリピン 北ルソン バギオ 戦前 地図 セッション通り 
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by janlbaguio | 2011-09-19 12:15 | History バギオの歴史

北ルソンの日系人の皆さんが記念日をお祝いしました。

2011年9月18日(日)に 北ルソンの日系人の団体である
北ルソン比日友交協会が39周年、北ルソン比日基金が24周年の
創立記念日を祝いました。

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会場のアボン会館で朝のミサから始まります。

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シスター海野の写真が飾られ、神父さんのお話に会場から笑いも。

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会場は今年も満員です。

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そして、今年のお祝いには、マニラの日本大使館から 加藤元彦総領事・公使が
来賓として参列されました。

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Abongのホールに入りきれない皆さんも祝賀会の様子をテレビで見ながらの
参加です。

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日比両国の国歌を皆で斉唱。

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そして、北ルソンの日系人の支援に半生を捧げたシスター海野の足跡を
辿るパフォーマンスが 今日の呼び物です。

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日本の幼稚園の園長先生だったシスター海野が フィリピン・マニラから
バギオに到着。 北ルソンの日系人のために「なにか私にできること」を
始められたエピソードから物語は始まりました。


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北ルソンの日系人のつながりは、この4人の人たちがシスターと共に
歩みだしたことに遡ります。
東地ジュリーさん、エスカニオ(寺岡)マリエさん、加藤コンラッドさん、
そして 寺岡カルロスさんの4人です。

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シスター海野の北ルソンの山岳地帯での献身的活動が続きました。

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日本の多くの方々から 日系人を支援する善意が 集まりました。
その善意によって、多くの日系人の若者たちが学校で勉強が出来るようになったのです。

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しかし、1989年12月31日、78歳で癌のために倒れられました。

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そして、今、シスター海野の献身的活動が花を咲かせているのです。

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アボン・ホールに一杯の皆さんは 感動的な話に聞き入っていました。

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今は、日系人の皆さんも 5世、6世の時代を迎えています。
小さい子供たちもパフォーマンスを披露してくれました。

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そして、加藤元彦 日本国総領事・公使のスピーチがありました。
日本とフィリピンの強い二国間関係を強調し、東日本大震災の被災者への
フィリピンからの支援に感謝する内容でした。

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お祝いの最後をしめたのは、イゴロット・ダンスのチームでした。

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くじ引きでの大歓声の後は参加者全員で昼食をいただいて、お開きとなりました。

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内容の濃い、充実した一日となりました。

来年も是非 お会いしましょう。


   
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by janlbaguio | 2011-09-19 00:22 | Neighbers ご近所情報

シネマテック・バギオ 9月17日オープン

Cinematheque Baguio がバギオに初オープンです。
シネマテックとは「映画図書館」とも呼ばれていますが、
映像に関する資料の収集・保管や画像データベースの構築などを
行う組織であると言われています。

http://www.baguionews.net/news2/index.php/features/2462-first-cinematheque-to-be-launched-in-baguio-city

バギオのシネマテックは、SMバギオの前にあるバリオ・フィエスタの横、
Casa Vallejoホテルの中、Hill Stationレストラン や 本屋、
Spaの隣にあります。

上記のサイトの案内を読んでみますと、以下のように説明されています:

フィリピンの夏の首都バギオ市の新たに修復されたカーサ・バリエホ
に75席のシネマテック劇場が完成しました。
2011年9月17日(土)にオープン予定。
フィリピン映画振興協議会(FDCP)が後援しています。

バギオ市の中心に位置し、ランドマークのひとつでもある歴史的遺産で
あるため、カーサ・バリエホがシネマテック劇場の場所として選ばれました。

このフィリピン・シネマテックは古典から現代まで、つまり、
戦前の黄金時代から50年代、60年代、叉、主要大作、
アニメーション、そして現代の独立系映画まで、幅広いフィリピン
映画を上映します。

叉、同時に、映画の監督演出、脚本制作、編集、撮影技術、及び映画製作の
その他の側面についてのワークショップやシンポジュームの会場とも
なります。

以上が上記のサイトからの一部翻訳ですが、
別途チラシを入手しましたので、今後の上映予定を抜書きします:

9月18日(日)ー22日(木)
戦前の5つの国民的名作
Zamboanga (1937年)
Giliw Ko (1939年)
Tunay na Ina (1939年)
Pakiusap (1940年)
Ibong Adaroa (1941年)

9月24日(土)、9月25日(日)
9月29日(木)-10月2日(日)
1978年から2000年までの7つの作品

10月12日(水)-14日(金)
10月23日(日)、10月28日(金)、29日(土)
カンヌやベルリンなどの映画祭での受賞作5作品

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(写真の上でクリックすれば拡大できます。)

詳細なプログラムやスケジュール、料金などについては
シネマテック・バギオでご確認下さい。
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by janlbaguio | 2011-09-17 23:54 | AJISAI 文化交流 network

バギオ歴史探訪シリーズ - 4 Historical walk in Baguio

ハリソン通りを 今のコーディリエラ大学(University of the Cordilleras)の
方へ登って行きましょう。

途中には、ハリソン通りからセッション通りへ ガソリンスタンドから斜めに
登っている道がありますが、それを左に見ながら真直ぐ行きます。

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これは 戦前の「パインズ・ホテル」を バーンハム公園側から見た
当時の絵はがきの写真です。

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これも同じく、戦前のセッション通りを描いた絵はがきの写真です。
この絵の中で、右上に描かれている建物が 「パインズ・ホテル」です。

ちなみに、この絵はがきは、当時のセッション通りにあったジャパニーズ・バザーで
20枚1組で販売されていたものだそうです。

これから判断すると、手書きの地図にあるように、戦前のPines Hotelは
今のコーディリエラ大学やその隣りにある選挙管理委員会(COMELEC)の敷地の
辺りにあったことが分かります。
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「思い出はマニラの海に」という本があります。
この本は当時の北部ルソン日本人会の会計役であった郡司忠勝氏が
書かれた本で、ジャパニーズ・バザーで働いていた時の思い出や、
戦前、戦中、そして敗戦のことなどが詳しく描かれています。

パインズ・ホテルは1920年代にアメリカが建設したそうですが、
この本の中に、以下のような記述があります:

「(セッション通りの一番上から)台湾銀行の前を通って枝道の一本道を
行くとバギオ第一のホテル<パインズ・ホテル>がある。
いまは軍政監部に接収されて<松雲閣>と名を変え、軍関係者の
宿泊施設や兵団の高級将校の夜のクラブとなっていた。」

戦時中のバギオを知る、当時小学生だった日本人の方の話では、
この松雲閣に 宝塚歌劇団か松竹歌劇団の女性たちが軍の慰問に
来たこともあったそうです。


このバギオ一番の高級ホテルも、戦火の中に焼失しました。

そして、戦後に再建されたのですが、その場所は 今のSMバギオのある
場所に移っています。

戦後生まれの地元の人たちの間でさえ、この歴史はあまり知られていないようで、
ほとんどの人たちが 「パインズホテルは 今のSMバギオの場所にあった。」
と言います。

しかし、SMの場所に再建された名門ホテルのパインス・ホテルも
1984年に火災で焼け落ち、多くの宿泊客が犠牲になったとのことです。


この戦前の二つの絵はがきから 戦前のバギオの姿を見ると、
セッション通りの一番上に現在建っているSMバギオの辺りは
一面の松林であったことが分かります。

 
では、次回 その5では、コーディリエラ大学から バス・ターミナルを
抜けて、SMバギオの下の交番辺りから セッション通りを下って行きましょう。


その5は こちら です。

   
  
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by janlbaguio | 2011-09-15 15:50 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ - 3 Historical walk in Baguio

バギオ歴史探訪 その2では 最初の日本人小学校まで歩いてみました。
今日は その地点からバーンハム・パークの外周に沿って ハリソン通りの方へ
向って行きましょう。

サンシャイン・スーパーマートの手前まで歩くと、ガソリンスタンドがあります。
その隣のこのビルです。

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CALTEXのスタンドのすぐ横のビル、今は中古品などのお店が入っているようですが、
戦時中は 「日本軍の憲兵隊」 が接収していたビルだそうです。

元々は商店が入っていたそうですが、憲兵隊のビルになっていた時には
中に留置場などもあったとの話です。

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このビルの左側に見えている木は バーンハムパークの木です。

日本軍は当時、バーンハムパークや今のピープルズ・パーク付近で
抗日ゲリラという容疑をかけられた人たちを 見せしめの為に
公開処刑したという話も残っています。


次は、バーンハム・パークの角 サンシャイン・スーパーマート/ベニス・ホテルの
交差点(向い側はチョンサン・ハリソン)を右に ハリソン通りに入ります。

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このチョンサン・ハリソンの場所ですが、
戦前はここに 「樋口自転車店」、その隣に「塚本床屋」があった、と地図に
あります。

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その1にご紹介した手書きの地図によれば、ハリソン通りから セッション通りの
今の PRIMEホテルの方に抜ける道の角に、「セント・フランシス病院」という
早川専平氏経営の病院があったとされています。

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これが戦前の病院の写真です。
(ご注意: 戦前の写真については無断転載・使用をお断りします。)

地図の中では「セント・フランシス病院」となっていますが、
写真では 「パインズ病院」と読めます。

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今現在の 同じ地点の写真です。
ジョリビーになっています。

この早川氏一族は、セッション通りにあったジャアニーズ・バザーも
経営していたようです。

戦前の日本人が バギオ市建設の時代に いかに大きな貢献をしていたか、
日本人コミュニティーが いかに繁栄していたかが偲ばれます。


   
その4は こちら です。



    
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by janlbaguio | 2011-09-15 14:25 | History バギオの歴史

生活便利帳 - 日本食材店 - SMバギオ

既にご存知の方が多いとは思いますが、念のため。

SMバギオのスーパーマーケットが改装され、9月から少し様子が変わりました。

スーパー・マーケットの横にあった ASIAN FLAVOR が閉鎖され、
日本食材や韓国の食材などは こちらのお店に移っています。

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SMの中のスーパー・マーケットのすぐ前にあります。
ワインなどの酒屋さんですが、このお店に ASIAN FLAVORで
売られていたような日本食材も並んでいます。


(この情報は2011年9月13日現在のものです。)


   
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by janlbaguio | 2011-09-14 19:06 | 生活便利帳inバギオ

毎週火曜日の午前中 粘土だんご をつくりませんか?

<ご近所情報>

みなさん、粘土団子を丸めながら、子供の頃に戻ってみませんか?

今、ベンゲット州国立大学(BSU)のデモ・ファーム(実験農場)で、自然農法
実験のために 
「粘土団子を丸める」 
人たちを歓迎しています。

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このBSUの農学部が、福岡正信氏の「自然農法」を実験的に行うために、
今泉氏と連携して、およそ1ヘクタール弱の農場に 麦を実らようとスタートしました。

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麦畑を作ろうとしている BSUの農地です。
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将来は、是非地元の農家の人たちに麦の無農薬生産を通して生活基盤の安定化を
目指して欲しいとのお考えのようです。

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毎週火曜日の午前中 9時から2時間ほどやっている作業は、
この「粘土だんご」作りです。
この団子の中に 麦の種が入っています。
それを農場にたくさん蒔くだけで 自然にまかせた農業をやるという話です。

雨が強いときは中止の場合もあるそうですが、もし「だんごを丸めるだけならいいか。」
とか、「自然農法ってなんだろう。」と思う方がいらっしゃいましたら
是非ご参加ください。

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場所は、ラ・トリニダッドのBSU大学のこの入り口からお入り下さい。
交番があるところです。
バギオの中心からはタクシーで20分前後で行けます。
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キャンパスに入って、まっすぐに進むと、このような大学のクリニックと
博物館が建っています。 この間の道を右に入ってください。
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その先に このような橋があります。 バリリ川です。
橋を渡ったら、すぐに右に曲がります。
角には学生向けの安いキャンティーンがたくさんあります。
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そして、この道をまっすぐ歩いていきますと、
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右側にこのような オーガニック・デモ・ファームの看板があります。
ここを入って、タンクの手前を右に入ると、
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このような作業小屋があります。
「粘土だんご丸め」作業は ここでやっています。

ご参加いただける方、興味のある方は、自然農法の指導をやっていらっしゃる
今泉光司さんへ直接ご連絡下さい。

連絡先: 今泉さんのメールアドレスは : 
imakoji2(at)tctv.ne.jp です。
*(at)のところには @マークを入れてください。

現場は作業する場所ですので、飲み物も食べ物もなにもありません。
作業時間は 毎週火曜日 9AMから2~3時間ですが、
必要な方は 飲み物持参でお願い致します。

叉、農作業ですので、汚れてもいいような靴と服装でお願い致します。

尚、日本人に限らず、お友達などと一緒にいらしても全く問題ありません。


以上、<ご近所情報> でした。



    
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by janlbaguio | 2011-09-14 14:25 | Neighbers ご近所情報