<   2013年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

フィリピン・バギオで国際映画祭 7月から-日本映画祭2013も

Film Festival of Mexico, Spain, Germany, Japan, and France,
at Baguio Cinematheque.


バギオ・シネマテックは 7月から8月にかけて、国際映画祭が目白押しとなります。

7月3日のメキシコ映画祭を皮切りに、スペイン映画祭、ドイツ映画祭、日本映画祭、フランス映画祭と続くことになっています。

a0109542_23462649.jpg

これは メキシコ映画祭のポスターです。


日本映画祭は、日本国大使館と国際交流基金の共催で開催されますが、
バギオ周辺の5大学及び バギオ・シネマテックで上映されます。

バギオ・シネマテックでの上映は、7月27日(土)から8月9日(金)までの 2週間となっています。

尚、この日本映画祭の実施については、北ルソン日本人会(JANL)も協力しております。

詳しい日程表は、後日お知らせいたします。
お楽しみに。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    


    

   
philippine-japan friendship month 2013 japanese film festival in baguio city, baguio cinematheque, benguet state university, saint louis university, university of baguio, university of the cordillera, university of the philippines baguio, embassy of japan in the philippines, the japan foundation manila, japanese association in northern luzon
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-28 23:53 | AJISAI 文化交流 network

バギオから植林ツアー : ボランティアはどうでしょう


<ご近所情報>


バギオを拠点に山岳地域で環境教育や植林などを展開している コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)が 植林のためのボランティアを募集しています。


a0109542_1742274.jpg



もっと詳しくは CGNのサイトでご確認ください。

http://cordillera.exblog.jp/20647581/


お問い合わせは直接Cordillera Green Networkまでお願いします。
cordigreen@gmail.com
0999- 937-6221 山本
  




    



     
   
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-27 17:43 | Neighbers ご近所情報

フィリピン・バギオ市での お葬式事情

フィリピン・バギオ市でのお葬式事情をご参考までに掲載します。

北ルソン日本人会(JANL)では、分科会のひとつとして
「極楽往生クラブ」(仮称)調査・研究分科会というのがあります。
  「安心して死ねるJANL」、
  「周りの人たちに迷惑を掛けずにあの世に行く」
  をモットーに、どのような仕組みを作ればよいかを調査・研究しています。
  「ポックリ・コース」 と 「良い酔い・コース」の二つに分けて研究中。

この調査・研究の一環としての情報ですが、様々な形態が考えられますので
JANLからの公式情報としてではなく、個人的なサイトを引用する形で
「フィリピン・バギオ市におけるお葬式事情」とさせていただきます。

以下はJANL会員のサイトです:
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2013/06/post-477d.html

尚、JANL正会員の方へは、別途MLを通じて、随時「極楽往生クラブ」の
調査資料などをご提供致します。


  
ちなみに、バギオ市にある斎場は 以下のふたつです:

BAGUIO MEMORIAL CHAPEL
http://baguiomemorialchapels.com/gallery.php
この斎場はバギオ市に古くからあるローカルの斎場だそうです。
上記のサイトの中にパッケージでの最低料金も掲載してあります。

Baguio Memorial Chapels
No. 45 naguillian road, Baguio City
24 Hour Hotlines
Tel: 074 442 3369
074 442 7192
Telefax: 074 300 2019
Mobile: 0921 3280 682


LA FUNERARIA PAZ
http://paz-inc.com/branches.php
この斎場は、フィリピン国内に数カ所の支店があります。

La Funeraria Paz - Baguio City
# 79 Naguilian Road
Baguio City
Tel Nos. (074) 443-3337
Tel/Fax No. (074) 442-3117


上記ふたつの斎場は、同じナギリアン・ロードの入り口付近にあって
50メートルくらい離れて同じ並びにあります。


  


   

     

   




    



    









   


    

   


          
     
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-16 17:54 | 生活便利帳inバギオ

今週のバギオ・シネマテック 「Iliw」 世界遺産ビガンを救った日本軍大尉

今週、2013年6月11日からの バギオ・シネマテック映画館での上映予定です。

a0109542_17372227.jpg


「Iliw」は フィリピン・イロコス地方で自主制作された映画で、
第二次世界大戦中の日本軍がビガンに駐留し、戦争末期に日本人の大尉が
米軍の砲撃などからビガンの町を守るために 上層部からの命令を拒否した
という史実を元につくられた物語です。


ビガンの歴史については、こちらでご覧ください:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AC%E3%83%B3%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%83%BD%E5%B8%82

予告編は こちらの youtubeで どうぞ:
http://www.youtube.com/watch?v=Z8ztyhtgQjA

この映画には 日本人俳優も出演しています。


バギオ・シネマテック映画館は、
SMバギオのすぐ隣、アッパー・セッション通りの 歴史的建物である CASA VALLEJOホテルと同じ建物の中にあります。
HILL STATIONというレストランも同じ建物にあって、その隣です。

バギオ・シネマテックはフィリピン政府が直接運営している映画館ですので、
ほとんどの場合 入場料は無料です。

Iliwは フィリピン語、日本語、英語が使われている映画ですが、
字幕は英語になっています。

どうぞお楽しみください。



  



     



   




    




       


      
     
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-10 17:44 | History バギオの歴史

バギオの歴史 - 日系人 人物録2 セシル・アファブレ


BAGUIO PRECIOUS MEMORIES
published by Leonides and Aurora Bautista

(published in 2012 ? )


フィリピン・バギオ市のバウティスタ夫妻によって発行された
「バギオ・プレシャス・メモリーズ」という本の中から、
日本人移民の歴史に関係する記事の一部を抜き出して
翻訳してみました。


Cecile Afable :
A woman like no other

a0109542_2328066.jpg


セシル・アファブレはバギオ市の過去100年の中で、
最も教養のあるイゴロットの女性です。

彼女はフィリピン大学に入った最初のイゴロット女性でした。
また、フルブライト奨学生としてアメリカに渡った初めての
イゴロットの女流著述家でもありました。

2007年のフィリピン書籍賞を受賞した Japanese Pioneers
in the Northern Philippine Islands (訳者注: この書籍名は
Islands となっていますが、正しくは Highlands ですので
和訳すれば 「北部フィリピン高地における日本人開拓者たち
ということになります。)の出版を手がけた人でもあります。

彼女は過去25年間に渡ってバギオ・ミッドランド新聞の
編集者でもありました。
その新聞は、傑出した地方紙として様々な賞を受賞しました。

彼女はコーディリエラ(山岳地帯)の人々を連帯させた組織である
BIBAKの主要な創設者でもあります。 さらに、彼女は
バギオのマウンテン州博物館(訳者注:現在のバギオ博物館)を
組織した人でもあり、バギオ市でのガール・スカウト活動をも
組織しました。


テルジ・オオクボ と ジョセファ・カリニョ の娘として生まれました。
彼女の父は、ジグザグ・ロード(訳者注: 建設当時は「ベンゲット・
ロード
」と呼ばれ、その後「ケノン・ロード」と呼ばれている道路)
の建設の仕事で日本からやってきました。
その父は、大工でしたが、その後家屋やビルを建て、イゴロットや
イロカノ族の部下から「マエストロ」(巨匠)とか「カパタス」(親方)
として知られました。

テルジは、マンション・ハウスの仕事をし、カトリック教会のために
修道院や保養所や学校などを建てました。又、バギオ大聖堂の祭壇も
手がけました。
さらに、彼は、バギオ・セントラル・スクール、キャンプ・ジョン・ヘイ
の中のコテッジ、ティーチャーズ・キャンプのいくつかの建物も
建てたのです。

母ジョセファは、イバロイ族として彼女を育てました。
これは、いたる所に精霊がいるという信仰をも含んでいました。

流れている水に唾を吐くのはタブーでした。
小鳥や蛇を殺すことも、木を切ることもタブーでした。
それは、そこに精霊がいるからでした。

彼女はどこにでも精霊がいるということを信じて育ちました。
そして、それが彼女と自然との関係を決めたのです。

彼女の父親は仏教を信じていましたが、宗教での軋轢はありませんでした。


セシルには4人の兄弟がいました。
異父兄弟の オセオとシナイ、そして同じ父親の兄弟 ポリカルピオ
と ベルナルド です。
一人娘であったため、両親から特別扱いされました。
食事に関して言えば、彼女の分だけ別に取り分けてありました。

彼らの家は、バーンハム池の上にあるキサド・ロードの上にあって、
Apdiと呼ばれていました。

彼女はバーンハム池で泳いでから、兄弟と一緒に学校へ歩いていきました。

彼女はバギオ・セントラル・スクールで勉強しました。
若いうちにドーナッツを作ることを学び、注文に応じて作り、
兄弟のバーニーが集金係をしていました。

アメリカ時代の初期のバギオには、イバロイ人、パンガシナン人、
そしてイロカノ人などが住んでいました。

最初に市役所の経営に入ったのは、イロカノ人でした。
彼等はスペイン語を学び、タイピングが出来たので、アメリカ人に
とって役に立ったのです。

彼女は、フィリピン大学で哲学を学び、インド人と英国人の
哲学者には満足していました。
ドイツの哲学者ニーチェの人生哲学は彼女にぴったりでした
ーー 自分に自由であれ。

彼女は、16歳でフィリピン大学を卒業し、教員免許を取得しました。


メディアの仕事に関わる一方で、彼女は バギオ・カレッジ財団
(訳者注: 今のコーディリエラ大学、UCです)の教授陣に加わり、
英文学を教授しました。

彼女は、アメリカで環境を守り、育てることを学びました。

バギオ市の環境が悪化していることを見て、バギオの主要な人物
たちと一緒に、1988年にバギオの緑再生運動を始めました。
それ以来、バギオを苦しめる課題についての効果的なロビー活動
団体となりました。

============


以上の翻訳は、全文の翻訳ではなく、日本人、日系人の歴史に関わる部分を
抜き出して一部の翻訳としております。
ご了承ください。

a0109542_23272843.jpg


(訳者注: 上記にある Japanese Pioneers in the Northern
Philippine Highlands
という本の中では、
      プロジェクト・ディレクターとして
      セシル・アファブレの名があり、
      編集者として娘であるパトリシア・オオクボ・アファブレの
      名前が記されています。 )


こちらのサイトに上記の書籍に関する記事があり、その中に
以下のように紹介してあります。
http://referencematerials.blogspot.com/2004/11/cordillera-crossover-japanese-legacy.html

Patricia's mother, the legendary Baguio journalist Cecile Afable,
serves as the book's project director.


==============




   








    









    






     



        
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-03 23:23 | History バギオの歴史

ビガンを舞台とした日本軍将校の物語 映画 Iliw 6月7日上映

バギオシネマテック映画館のMickey Zarate氏より 以下の情報が入りました。
6月7日(金) 5:30PM から 「Iliw」(イリウ)という映画が上映されます。
この映画には日本人男優が出演し、戦争中の日本軍将校の物語が展開します。
一部日本語だそうですが、基本的には英語字幕です。

a0109542_1741272.jpg


Upcoming Attractions on June 7, 2013 at your FDCP-Cinematheque Baguio in Celebration of Heritage Cinema.
National Artist for Film Lamberto Avellana's Adaptation of Nick Joaquin's Masterpiece, "The Portrait of the Artist as Filipino" starring National Artist for Theater Daisy H. Avellana and Vic Silayan.
Paired with Bona Fajardo's Ilocano Heritage Film "Iliw" (Nostalgia) starring Kaye Abad and Hiroyuki Takashima.

Admission is FREE!
Screening Times:
3:30 PM: "The Portrait of the Artist as Filipino"
5:30 PM: "Iliw" (Nostalgia) (With English Subtitles)

The FDCP-Cinematheque Baguio is located at Casa Vallejo, Upper Session Rd. Baguio City.
For Inquiries please call 09053309829.


この映画 「イリウ」 についての詳しいストーリーはこちらでご確認ください。(和文)

http://plaza.rakuten.co.jp/freemen/diary/200901200005/

俳優の高嶋宏行については、こちらで。


  

   

     

 
 
 
   


   


     
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-03 17:44 | AJISAI 文化交流 network

バギオの歴史 - 日系人 人物録1 オセオ・ハマダ

BAGUIO PRECIOUS MEMORIES
published by Leonides and Aurora Bautista


(published in 2012 ? )


フィリピン・バギオ市のバウティスタ夫妻によって発行された
「バギオ・プレシャス・メモリーズ」という本の中から、
日本人移民の歴史に関係する記事の一部を抜き出して
翻訳してみました。

a0109542_0181527.jpg


Oseo Hamada
by Baboo Mondonedo (n は ~ が付く)
(from interviews with Billy and Charlie Hamada)


オセオ・ハマダ

私がバギオ・ミッドランド新聞社でスタッフとして働いていた何年
もの間ずっと、常にあった広告部門の中の私たちの部屋の向かい側に
一人の男がいました。
彼は分厚いメガネをかけ、大きな拡大鏡越しに書類をじっと見て
いました。
彼はいつも無表情な顔だったのですが、私たちが挨拶をすると笑み
がこぼれました。
私たちはあまり彼と話すこともなかったのですが、編集者であった
セシルおばさんがスタッフの代わりに話をしてくれました
彼はセシルおばさんの依頼には黙って従っていて、ノーと言った
ことはなかったと思います。
新聞社では、彼はビッグ・ボスでした。

オセオ(愛情を込めてオッシーと呼ばれていました)は仕事中毒で、
何かを始めるとそれが終わるまでやめませんでした。
1985年に、バギオ・ミッドランド新聞のビジネス・マネジャーの
仕事を引き継ぎました。バギオ・ミッドランド新聞は1947年に
彼の兄(下記の注記参照)のシナイ・ハマダによって設立されたものでした。
オセオによる経営になってから、会社は赤字から黒字になり、
発展できる企業となりました。

彼は人付き合いが良く、誰とでも友達になり、社交的で、友達には
寛大な人でした。
ですから、彼が引き受けたプロジェクトの資金を集めたりすることは
易しいことでした。例えば、医療支援、建物、歩道橋、奨学金、
図書寄贈など。
 
彼は、様々な立場で、市民のための仕事に関与していました。
バギオ総合医療センターの諮問委員会のメンバーで、経営陣に
たいして市民の要望を伝えました。
彼はまた、フィリピン赤十字バギオ支部、フィリピン精神衛生協会
バギオ支部、フィリピン・ボーイスカウトの全国理事会、
ライオンズクラブ・バギオ市及びベンゲット州、バギオ商工会議所、
バギオ・プレスクラブ、・・・・・。

1970年代に、シスター・テレジア・海野が、北ルソン比日基金
を組織するのに応えて、初代の代表となり、そのご理事長になりました。

オセオ・ハマダは、フィリピン・バギオ市にて1911年5月7日に
生まれました。
彼は、リューキチ・ハマダとジョセファ・カリニョの二男として
生まれました。(下記の注記参照)
父のリューキチ・ハマダは、日本人移民であり、Heald製材会社
の現場監督で、 母のジョセファ・カリニョは、マテオ・カリニョと
バヨサ・オルテガの長女でした。

母のジョセファは、日本人と結婚したために、相続権を奪われました。
彼女が唯一与えられたのは、今現在バギオ・ミッドランド新聞社が
建っている土地だけでした。

オッシーはバギオ・セントラル小学校、マウンテン州ハイスクール、
そしてマニラの学校へ進みました。2年後に、彼は大学の学位を
取ることにもっと興味を持っていた兄のシナイ・ハマダに道を
譲りました。

第二次大戦後、バギオ及びフィリピンに住んでいた日系人は迫害を
受けました。 他の日本人居住者は安全の為に日本へ帰り、事情が
良くなってから後年にフィリピンへ戻りました。
オッシーと兄のシナイはバギオ市に留まりましたが、叔父から
反フィリピンということで非難を受け、さらには市長である
ホセ・カリニョからも告発されました。
彼は、そのことを非常に不愉快に思い、心に哀しみを引きづり
ました。

一方で、イゴロットであることに誇りを持ち、お祭りに招待されると
いつも出かけて行きました。 多くの人々が支援を求めて彼の家に
やってきました。 彼らは多くの近親者と親戚を持ち、一緒に
住んでいました。

戒厳令下に、彼の兄が投獄された間、バギオ・ミッドランド新聞は
発行を続けました。
ニュースはキャンプ・アレンの軍による検閲と承認が必要でした。
検閲は、解散総選挙の後になってようやく緩和されました。

オッシーは、彼の人生の82年間、ずっとバギオに暮しました。
70年代にバギオの山々が家々に埋められてバギオの風景が変わって
いた頃、子供たちにいつも AWANEN(注) を語りました。
彼のハンティングの場所であったピンサオや、庭園を造り、乳牛を
飼っていたキャンプ7での生活について、思い出を語りました。



(注) AWANENとは「消えてしまったもの」「無くなってしまったもの」「失われたもの」
    という意味のイロカノ語だそうです。



== 上記の翻訳文は 原文の一部を抜き出して翻訳したものです ==

a0109542_0184688.jpg



<<注記>>

上記の書籍の中では、オセオ・ハマダは次男であると書かれており、
シナイ・ハマダがその兄であるとされていますが、以下の資料によれば、
オセオは1911年生まれ、シナイは1912年生まれであって、
オセオの方が兄であるようです

オセオ・ハマダ氏と シナイ・ハマダ氏の関係については、こちらのサイトをご参照ください。
http://en.wikipilipinas.org/index.php?title=Sinai_Hamada


上のwikipilipinasからの引用です:

Sinai Hamada (February 1912 – September 1991, Baguio City)
Syne’s biological father died in a sawmill accident when he was still one month old. His stepfather, Teruji Okubo, is also a Japanese national who became a prominent builder in Benguet, as well. His brother is Oseo Hamada, who managed the Baguio Printing and Publishing Company; while his half-sister is Cecile Afable, also a famous journalist in Baguio City.

「 シナイ・ハマダ (1912年2月生まれー1991年9月死亡、バギオ市)
シナイの実父はシナイがあだ一歳の時に製材所の事故で死亡しました。
シナイの継父は テルジ・オオクボで、テルジも日本人であり、同様にベンゲット州での著名な建築業者となりました。 シナイの兄弟であるオセオ・ハマダは、バギオ印刷出版会社を経営しました。
一方、シナイの異父姉妹は セシル・アファブレで、彼女もバギオ市の著名なジャーナリストです。」


又、北ルソン比日基金(通称アボン、日系人会)が出版した
「Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highlands」
の85ページには Bernardo Yoshikazu C. Okubo氏によって
以下のような記載があります。

Papa, my father, was Nanay's second husband.
I had two half-brothers from her first marriage to Ryukitse Hamada,
who died in a sawmill accident in 1912.

Yoshio, the eldest, was given the Christian name Oseo,
and Yoshinai, the younger, was baptized Sinai.
Yoshie, or Cecile, was the first child of Papa and Nanay,
followed by Yoshinobu("Enot") Policarpio, then myself,
Yoshikazu Bernardo.
This was our fmily.

「パパ、私の父、は ママの二人目の夫でした。
私には 二人の異父兄弟がいます。 母の最初の結婚は リューキチ・ハマダとの
結婚でしたが、その父は1912年に製材所の事故で死亡しました。

長男のヨシオは、オセオというクリスチャン・ネームを与えられました、
そして、その弟のヨシナイは、シナイとして洗礼されました


ヨシエ、あるいはセシル、はパパとママの最初の子供で、
その下に ヨシノブ(「エノット」)・ポリカルピオ、そして私自身、ヨシカズ・ベルナロドがいます。
これが私の家族です。」


=== 

以上、「注記」に書きましたとおり、オセオ・ハマダ、シナイ・ハマダの異父兄弟である
ベルナルド氏が書いていますので、こちらの方が正しいものと考えられます。


  
 
 
 
     

 








 





   


     


   





    







   






   



   






 
 
 
 
 
 
 
 
 
      


         
[PR]
by janlbaguio | 2013-06-03 00:13 | History バギオの歴史