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Baguio Historical/Heritage sites Paininting workshop バギオ歴史遺産絵画コンテスト


2017年 日比友好月間イベントのひとつとして
バギオ歴史遺産絵画ワークショップ・コンテスト・展示」が予定されていますが、
その中の ワークショップが 7月14日に バギオ博物館とバギオ・シティー・
ナショナル・ハイスクールを会場として開催されました。

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絵画ワークショップのテーマは、
PAST, PRESENT AND FUTURE OF BAGUIO HISTORICAL SITES
「バギオ市の歴史的遺産の 過去、現在、そして未来」

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ワークショップのプログラムです。
スペシャル・ゲスト・スピーカーは アデライダ・リム女史


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主催者である北ルソン日本人会の代表からの挨拶に続き
バギオ博物館の理事である ステラ・デ・ギア女史から 若いアーティスト達に
向けて 「バギオの歴史」などに関する話がありました。

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ゲスト・スピーカーの Adelaida Lim女史は Baguio Heritage Foundation
(バギオ歴史遺産財団)の理事長です。
バギオ市における歴史や歴史遺産の大切さについてスピーチをお願いしました。
尚、同女史は、フィリピンのテキスタイル業界や映画業界で著名な方でもあり、
さらには、フィリピンの千ペソ札に肖像がある ビンセント・リム将軍の
お孫さんでもあると伺いました。


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そもそも、何故 北ルソン日本人会が国際交流基金の支援を受けて、このようなイベントをやっているかと言いますと、上の写真にありますバギオの歴史に関する本に遡ります。

写真の一番右側に写っているのは Japanese Pioneers in the Northern Philippine Highlands (ルソン島北部山岳地帯における日本人開拓者たち)という本です。
この本は バギオ市の日系人団体である北ルソン比日基金が フィリピンへの日本人移民100年(1903-2003)を記念して出版したもので、ベンゲット道路(現在のケノン・ロード)やバギオ市の建設に関わった日本人労働者たちの詳しい記録資料となっています。

その歴史を踏まえて、日本人労働者、大工、石工、庭師などなど、バギオ市周辺に残る様々な歴史的な建物群に痕跡を残す日本人の努力にも敬意を表したいとの思いがあるからです。
この本によれば、

in 1939, when Baguio had 24,000 people, there were1,064 Japanese in
the Baguio-Benguet region. Among the other foreigners, there were
1,114 Chinese, 612 Americans, and143 Europeans.

つまり、1939年の記録では、2万4千人のバギオの人口の中で、
日本人は 1,064名、 中国人 1,114名、アメリカ人 612名、
ヨーロッパ人 143名とあります。
(ちなみに、現在のバギオ市の人口は大学生などを含めると、30万人ぐらいでは
 ないかと言われていまして、日本人長期在住者はせいぜい100名ぐらい
 だろうと思われます。)

  

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ワークショップ、コンテストに参加登録していただいたのは、バギオ・シティー・ナショナル・ハイスクールで絵画を学ぶ学生たち30名。 そして、大学生など一般の皆さん 32名となりました。

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コンテストに参加登録した62名の皆さんが スピーチを聞いた後にやったことは、どこのどの建物を描くかという選択でした。
1930年代以前に建築された建物の戦前に撮影された写真と その建物に関する資料を読んでいただき、一人一人の若きアーティストが どこを対象とするかを決めていただきました。
ひとつのサイトについては、最大4名までという制限を設けました。

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午前の部は、どこを描くかを決めていただく作業をしていただき、その場所の「過去・現在・未来」をどのように描くかを考える時間となりました。

尚、午前中に ふたつのテレビ局からカメラが入りました

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地元テレビ局の ABS・CBN で、7月17日(月)夕刻のニュース番組で放映されるかもしれません。

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もうひとつは、なんと 日本のテレビ朝日
この取材は このイベントの取材の為ではなく、以下の特番の収録の一部でした。

8月5日(土) 2:30pm-4pm 放映予定
「世界むちゃぶり旅」という番組だそうです。
日本の若手お笑い芸人のお二人が 突然バギオ博物館に立ち寄られての収録でした。
ただし、この絵画ワークショップの録画が放映されるかどうかは保証の限りではありません。
どうぞお楽しみに。

   





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午後の部は、ハイスクール生30名のみが 会場を移して 作品に取りかかりました。
一般の参加者32名の皆さんは、それぞれの時間を使って作品を描き、7月23日までに
バギオ博物館に提出することになっています。

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バギオ・シティー・ナショナル・ハイスクールの学生さんたちは、
各学年から5名の選抜で、6学年合計で30名の参加です。

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今回のイベントに関しては、フィリピン大学美術学部卒のファシリテーターの女性と ハイスクールの美術の先生に大変お世話になっています。


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学生たちは 様々な発想で 制作に取り組んでいます。

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そして、午後の部は5PMまで続き、作品が出来上がりました・・・・

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個性豊かな作品ばかりが出来上がりました・・・・

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審査は 7月末日までに バギオ市の歴史遺産の保護に尽力されている フィリピン大学やバギオ歴史遺産財団などの皆様にお願いする予定です。

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ハイスクールの皆さん。素晴らしい作品をありがとう。

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上記は コンテストの参加要領です。

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このリストは、1930年代までに建設された建物などの候補リストです。
このリストの中から 絵画にするサイトを選択していただきました。

審査の発表は 8月6日(日)に開催される 「バギオ七夕祭8ーサムライ七夕祭」などの展示のオープニング式典にて行われる予定です。


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by janlbaguio | 2017-07-16 10:57 | Activity 活動内容

PAINTING CONTEST : PAST, PRESENT & FUTURE OF BAGUIO HISTORICAL/HERITAGE SITES



As a part of Philippine-Japan Friendship month events,
we are holding BAGUIO HISTORICAL SITES PAINTING CONTEST
with the theme of :
"PAST, PRESENT AND FUTURE OF BAGUIO HISTORICAL(HERITAGE) SITES"

DATE/TIME : 10am, Friday, July 14, 2017
VENUE: Baguio Museum
Note : All participants are required to join the forum/entry/registration

for the details, please read the below :

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please join us at 10am, Friday, July 14.


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Thanksto the Sponsors/Organizers/Supporters/Friends : City of Baguio / Embassyof Japan, Manila / Japan Foundation, Manila / JICA Philippines / JapaneseAssociation in Northern Luzon / Filipino-Japanese Foundation of Northern Luzon/Baguio Museum / Baguio City National High School / Benguet State University /Universityof Baguio / University of the Cordilleras / University of the Philippines,Baguio /St. Louis University / R.K.Shimizu(Nagasaki) Foundation / Amida Software Asia / Tokyo Rinkai Rotary Club /Sakura Terras Japanese Restaurant / Baguio JIC /The Blue Files Language andTraining Center / Globe Telecom / Chaya Japanese Cuisine /Bag-iw Art Society / UPB Society for Visual Arts / UPB Anime HQ / CurTEAnah Events /Hiten Okugi ShinKai / Nyusuki / National Correspondents Club of Baguio







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by janlbaguio | 2017-07-05 18:58 | Activity 活動内容

昭和15年(1940年)に発行された バギオ日本人学校同窓会の会誌 「松籟」創刊号



戦前にバギオにあったバギオ日本人学校は 1924年に創立されたとされていますが、
今回 バギオ日本人学校同窓会の古屋英之助氏より、同窓会の会誌(創刊号)
頂きましたのでご紹介します。

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会誌の名称は 「松籟」(しょうらい)となっており、
「会誌を「松籟」と命名した所以は、バギオ市が比島唯一の松の都として知られて
いる。 これに因んで松の象徴として選んだものであります。」とあります。

「松籟」の意味は、松林を吹き抜ける風の音ということだそうです。
    

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発行は 昭和15年(1940年)となっていますので、創立から16年後、
同窓会の昭和8年の発足からは7年後の創刊です。

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目次の最初のページ

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同窓会の会員である卒業生の作品が掲載されています。

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「バギオ日本人小学校」の校旗

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上の写真は、バギオ市の日本人墓地の横にある ベンゲット道(ケノン・ロード)建設で
犠牲になった日本人の慰霊碑。
下の写真は、バーンハム公園の傍らにあった最初のバギオ日本人学校の校舎。

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上の写真は、バギオ日本人学校の新校舎。 マグサイサイ通りのLUCBANに移転
下は、当時の職員。 前列真ん中が 村井校長。

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上は、新校舎の校門での集合写真。
下は、弁論大会での記念写真。

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同窓会会長 谷水氏の挨拶文。
「皇紀二千六百年・・・」で始まっています。

同窓会については、
「昭和八年十月、本会の創立をみまして・・・」
創立当時は会員も僅かに三十名に過ぎませんでしたが、本日では
百三十三名の会員をなすに至りました。」
とあります。

また、この創刊号が 皇紀二千六百年の奉祝記念事業であると書いてあります。

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上は、村井校長の祝辞ですが、昭和15年当時の戦時下の教育方針が表れています。
ただし、当時のバギオ日本人学校の小学生であった方によりますと、
学校の授業の中では、さほど軍国主義的なものはなく、この後 太平洋戦争が始まって
から変化が出てきたとのお話でした。

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以下に同窓生=卒業生の作品が掲載されています。


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上の詩は 卒業生であり同窓会の副会長であった 東地琢磨氏のものです。

内容を見ますと、「三十年前の犠牲・・・」とありますので、1905年に開通した
ベンゲット道(ケノン・ロード)の工事に携わって難工事の中で犠牲になった日本人移民
の人たちへの追悼の詩であろうと思われます。

これは昭和15年(1940年)の発行ですが、この後太平洋戦争となり
昭和21年(1946年)には琢磨氏は戦犯としてフィリピンで処刑されています。

何故そういうことになったのか。
それは東地琢磨氏が山下奉文大将の通訳であったからでした。
詳しくはこちらのサイトでお読みください。
http://tenhouinaki7.at.webry.info/200903/article_3.html

「もし大田大佐と東地通訳が第14方面軍司令部に勤務していたなら「他のお二方」という扱いではなかっただろう。きっと、面識がなかったから このようになったのだろうと思います。
東地琢磨通訳の遺書は、『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂会 1953)にも掲載されていないばかりか、この書物の最後に不幸にも戦争犯罪人として亡くなられた方の名簿一覧があるのですが、彼の名は「ヒ」行ではなく
「ト行」にあったということで、日本国内でも知られていなかったと思います。」

東地琢磨氏は、まだ23歳の若さで絞首台に上ったのでした。 彼は日本人の父と、フィリピン人の母の間に生まれた、現地の方でした。
『世紀の遺書』には東地通訳が和歌山県出身と書かれていますが、これは、彼の父親が和歌山出身で、大東亜戦争が始まると同時に日本に強制送還された ことによると思います。
一方で、東地琢磨氏は、日本軍の軍属として召集を受けます。」

・・・・ここに23歳で処刑されたとありますので、上の詩を作ったのは6年前の17歳の時であったということになります。

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こちらは、同じく 東地琢磨氏の 俳句と短歌です。
日系人として戦時下のフィリピンに生まれた17歳の心が滲み出た詩であるかと思われます。

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上の作品 「金の世の中」 と 「日曜日の朝」 は、この文集の中が戦時色に覆われて
いる中で 珍しく文学的あるいは日常描写的な作品になっています。

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上の 「少年時代を偲び」 には、いくつか興味深い当時の情報があります。

旧校舎(ブラハムパーク公園の近くにあった)に在学当時の懐かしい思い出を!!」

・・・最初に出来たバギオ日本人学校の校舎は、バーンハム公園のすぐ横、
オーキダリウム(蘭などの植木鉢を売っている公園)の斜め前あたりにありました。

「同じ教室で八年間一緒に学び、一緒に遊んだ。」
・・・日本人学校は 8年制度であったようです。

「入学当時は生徒の半分以上は跣足(はだし)で通学した。 学校の規律が
やかましくなって靴を履くようになってからも、跣足の習慣がなかなかぬけず、
学校の行き帰りには腰に靴をぶらさげて歩いたものだ。」

・・・ しかし一方で、映画などを親と一緒に観に行く時などは、正装で行った
という話も聞いています。

三年生の頃までは日本語よりも土人語の方に通じて居たもので、
先生の居ない所では土人語で盛んにペチャクチャ喋ったものだ。
然し年と共に日本語が自由に話せる様になってからは、妙なもので、
土人語を使うと級友の者から軽蔑されるので、誰も土人語で話をする者は
居なくなった。」

・・・ 3年間の学校生活で、日本語の方が優勢になったようです。
学校での遊びは、 かくれんぼ、鬼ごっこ、フットボール、ベースボール、剣劇
などが書かれています。

「六年生の頃マニラへ修学旅行に行った時と、高等二年の時サンフェルナンドの
海岸へ卒業旅行に行った・・・」

「学校を出ると皆それぞれの違った境遇に置かれて、マニラへ行く者、
日本に帰る者、又はバギオに残る者、・・・・」

・・・・小学校6年間と 高等2年間の 合計8年間を過ごしたようです。
これは、尋常小学校6年間と高等小学校2年間の教育制度の時代のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8B%E5%B8%B8%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1


     
「僕は学校を出ると直ぐにハイスクールに入学した。 然し家庭の事情の為
中途で退学してアンタモック金山へ職業を求めに行った。 其の会社の
支配人はアメリカ人だったが、唯僕が日本人であるという理由一つで、
直ぐに採用してくれた。」

・・・・ バギオ市の周辺にはいくつかの鉱山がありますが、この当時には
アメリカ人経営の鉱山で多くの日本人が働いていたようです。

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バギオ近況と私の所感
ここにも、多くの情報があります。

「四年前我等の母校は、新装なる校舎に移転された。 先生は日本人の先生が
六名、英語の先生として比島人の先生が二名都合八名である。
旧校舎から見ると遥かに大きくて児童の収容力も三百名位は十分であるときく・・・」

・・・1940年の4年前ですから、1935年頃に新校舎に移転したということになります。

「在留同胞は約一千名と思う。 その中これを職業別にすれば
大工さんを筆頭に、百姓、商人、製材業者の順に人数の上から見れば大別せられる。
大工職の人もその腕前並に給料から見ると比島人を遥かに凌駕して多くの人は
一部の監督級に置かれ給料は普通比人の倍額を給与されているときく。・・・・」

「比島各地に於ける支那人の勢力は津々浦々まで根深く入りこんでいて、
遥かに日本人の勢力以上にあるということだが、僕等の住むバギオは日本人
としての優越観
を十分感ぜられる。」

・・・ これに関しては、当時の小学生であった方からも同様の話を聞きました。
セッション通りなどでも日本人経営のお店が多かったとのことでした。



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上の作品 「工夫の力」 は 寺岡石志人氏の作となっています。
この方は 元日本国名誉総領事であった カルロス寺岡氏の兄上です。
しかし、この 寺岡石志人氏も戦時中に悲運な最期と遂げられています。

その詳しい事情は、マニラ新聞の下のリンクで掲載されています。

移民1世紀 第1部・1世の残像
第9回 ・ 比で生きる日本人兄妹
http://manila-shimbun.com/award130089.html


「父宗雄さんは米国人相手の建築業で成功したが、開戦直前の四一年八月に同市で病死。兄二人は戦中憲兵隊と比人ゲリラにそれぞれ殺され、母と弟二人は砲撃で命を落とした。戦争を生き抜いたのは、十四歳の兄と十一歳の妹だけだった。 」

「寺岡理事長は振り返る。「大島町に帰り、父の送金で建てられた立派な家にも住みました。今の日本人は『比は貧しい国』と言うが、当時の日本はすごく貧しかった。バギオでは靴をはいていたのに日本ではわら草履でした。私は日本の教育を受けていましたから、入籍されていれば日本にとどまったと思う。無国籍はつらいので、五二年に比へ戻ってきたのです。二十一歳でした」。妹も三年後の五五年「兄がいなければ私は生きていなかった。たった一人の家族で、生き別れになった後は寂しくてたまらなかった」と後を追った。 」

寺岡理事長とは カルロス寺岡氏のことで、バギオにある日系人会 北ルソン比日基金の理事長もされています。(現在は、北ルソン日本人会の相談役でもあります。)

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バギオ日本人学校同窓会の役員および会員の名簿
役員の皆さんは卒業生ですので、この当時は17歳から20代前半かと思われます。

会員名簿には、卒業後 昭和15年時点での進路、学校や就職先などが記載されています。
進学先としては セントルイス・ハイスクール、 シティー・ハイスクール、ツリニダード・アグリーコーチュア・スクール(現在のベンゲット州国立大学の前身の農業学校)、ホーリー・ファミリー・カレッジ、サントトマス大学医学部、日本本土では、鹿児島高等商業学校、東京美術学校、福岡八女工業学校、山梨県立都留高等女学校、広島市山中女学校、熊本県八代成美高等女学校、山梨高等女学校、神戸市灘高等小学校、東京市調布高等女学校などの名前が見えます。

就職先には、大日本陸軍兵器廠本部、バギオ市セッションバザー、神戸市丸吉商会、マニラ市マヨン印刷商、バギオ本願寺、満州国奉天市楠原店、バギオ市パインズ・グロセリ 等の名前が記載されています。

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以上、戦前のバギオ日本人学校の文集の一部をご紹介しました。

もし、この文集を研究などの目的でご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、
バギオ市にございます日系人団体 北ルソン比日基金(通称:ABONG)で大切に保管されていますので、直接同団体にお問い合わせください。

(尚、北ルソン日本人会のメンバーの方の場合は、代表が一部保管していますので、貸出可能です。)

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by janlbaguio | 2017-03-31 19:18 | History バギオの歴史

バギオ基金(日本のロータリー・クラブ)が北ルソン比日基金(アボン)を訪問

奨学金制度でフィリピンの子供たちを支援している バギオ基金(Baguio Scholarship Foundation)は、日本のロータリー・クラブの有志の皆さんが創設した団体ですが、この団体の皆さん50数名が 2017年2月10日・11日にバギオを訪問し、地元ロータリークラブや 日系人団体である北ルソン比日基金(アボン)の奨学生たちと交流しました。

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この北ルソン比日基金は シスター海野の尽力で創設された 日系人のための団体ですが、 この奨学金制度は、日系人の子弟に限らず、フィリピンの一般の子供たちにも手を差し伸べています。

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バギオ基金の訪問団は 毎年2月ごろにバギオを訪問し、今年は38回目の訪問となったそうです。

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バギオ周辺の日系人の歴史については、日本人移民100年記念として出版されたこの本に詳しくまとめられています。(ベンゲット移民として有名な歴史です。)
なお、情報によりますと、この本の日本語版の準備が進められているとのことです。

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地元山岳民族の衣裳で 出迎える奨学生の皆さん。

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訪問団の皆さまのご到着。

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会場は こちらの シスター海野記念ホール です。

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訪問団と奨学生の皆さんが 開会のお祈りをして 交流会が始まりました。


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バギオ基金から日系人会への 育英資金の贈呈。
今年度の奨学生は、ハイスクールが 60名、大学が 20名だとのことです。

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バギオ基金から ロータリー・クラブ・オブ・バギオへの 育英資金の贈呈。

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バギオ基金から ロータリー・クラブ・サマーキャピタル・オブ・バギオ への 贈呈。

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北ルソン比日基金 理事長 カルロス寺岡氏から バギオ基金への謝辞と
日本人移民、日系人の歴史や現状についてのスピーチがありました。

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バギオ基金から、日本に留学中の奨学生5名についての報告。

この後、奨学生との昼食会および家庭訪問が続きました。

また、この前夜にも、日系人団体(アボン)関係者、ロータリークラブ関係者と
奨学生たちとの懇親会も開催されました。

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なお、このバギオ基金は 昨年2016年に 創立35周年記念祝賀会を
東京で開催しました。
http://janl.exblog.jp/23215295/


    
以上、 バギオ市への訪問団についてのレポートでした。



   


    
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by janlbaguio | 2017-02-12 18:53

北ルソン比日基金(アボン)で シスター海野の27回忌ミサ


2016年12月31日、 フィリピン・ルソン島北部山岳地帯の日系人の母とも言える
シスター・テレジア海野の 27回忌のミサが執り行われました。

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このシスター海野の功績については、
こちらのサイトをご参照ください。
http://www.tokyo-shiba-rc.org/service/service03.html

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シスター・テレジア海野 記念会館 (通称:アボン・ホール)

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このホールは、北ルソン比日基金と北ルソン比日友好協会の創設者である
シスター海野を記念するものです。

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毎年12月31日に シスター海野を偲ぶミサが実施されています。

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今年は、北ルソン日本人会から3名が参加させていただきました。

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また、隣町からも青年海外協力隊の方など2名もいらっしゃいました。

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ミサの後、参加者全員が 献花し、お線香をあげました。

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戦中・戦後の苦難の道を歩んでこられた 日系二世の皆さんを始め、
日系三世、四世、五世に到るまでの皆さんがお参りをされました。


アボンの益々のご発展とご活躍をお祈りいたします。



    


     
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by janlbaguio | 2017-01-01 17:18 | Neighbers ご近所情報

日系人会(北ルソン比日基金・北ルソン友交協会:アボン)のクリスマス in バギオ

去る12月11日にバギオにある日系人会(通称:アボン)で、恒例のクリスマス会が開催され、ご招待を受けました。

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アボンでは、小学生から大学生まで、多くの子供たちを奨学金で支援している団体です。

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今年は賑やかな、子供たちのマーチング・バンドの演奏で始まりました。

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奨学生の一人が サックス演奏を披露。 なかなかの腕前です。

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そして、戦前の一世から繋がる親族グループの紹介がありました。

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その戦前にバギオへやってきた日系一世(日本人)の写真でルーツを確認する
カルロス寺岡理事長とカバニサス事務局長。

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今現在 最大の親族グループは この家族でした。
一番小さい子は 日系六世だと思います。

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理事長の御挨拶。
今年2016年は 戦後70年ということで、天皇・皇后両陛下がフィリピンを訪問されたことにも言及がありました。

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そして、新事務局長の紹介がありました。
2016年12月の理事会で アーネル・カバニサス氏が事務局長に就任されたそうです。

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子供たちのパフォーマンスが続きます。
これは、山岳民族の衣装を身につけての、空手の演武です。
(どちらかと言えば、カンフーのような動きでした。)

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そして、お馴染み バギオ市周辺の山岳民族の踊り。

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これは宣誓式です。
毎年 奨学生たちの活動の中心メンバーが選出され、任命式がこのように行われています。

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この踊りは フィリピンのローランド(低地)の一般的なフォーク・ダンスの演技です。
小さい子供たちは興味津々でした。

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こちらは 今時のダンス。

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お楽しみのクジ引きの賞品を渡す ルカノ副理事長。

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そして、子供たちが待ちに待った サンタさんからのプレゼント。


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最後は 恒例となった 世代ごとの記念撮影。
これは 日系三世の皆さん。
(撮影者が日系二世の組に入れられたので、二世の写真は撮影できず。)


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日系四世の皆さん。

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日系五世の皆さん。  この後 六世の小さい子供たちもいました。

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日系人会 ABONG の益々のご繁栄をお祈りいたします。

MERRY CHRISTMAS !!






  
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by janlbaguio | 2016-12-23 15:19 | Neighbers ご近所情報

「フィリピン残留日本人」 船尾修写真集 : 歴史を形にした作品の御紹介

フィリピン・バギオ市とも大いに関係がある素晴らしい写真集が出版されました。

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この写真集は 写真家 船尾修氏の作品で、この「フィリピン残留日本人」を作る為に、フィリピン各地を取材し、バギオ市にある日系人会館「北ルソン比日基金」(アボン会館)などでも調査をされました。

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御存じのとおり、1900年代の初期に、ベンゲット道路建設や多くの建物の建築に携わった日本人移民。
戦前のバギオ市は、在留邦人が目抜き通りのセッション通りに様々な商店などを出し、また、隣町のラ・トリニダッドでは高原野菜を作るなど、高原避暑地バギオの都市建設に大いに貢献していました。

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また、バギオには日本人学校や多くの日本庭園なども 日本人の手で造られました。
バギオで成功を収めた日本人は、日本の親戚に仕送りをするなど、大いに繁栄していました。

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しかし、その繁栄をすべて破壊したのは 第二次大戦でした。
日本人、日系人は 家族と離れ離れになり、フィリピンに取り残された人たちは
迫害を逃れて山奥にひっそりと隠れ住む生活をつづけました。

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そして、ルソン島北部山岳地帯一帯には、今 7千人以上の日系人が数えられています。
日本人移民の研究については、こちらをご覧ください:
http://janl.exblog.jp/23148027/

    

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そこへやってきたのが船尾修氏でした。
元々は世界遺産の撮影でやってきたフィリピン。
偶然にも そこで上記のような出来事があったそうです。

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重厚な写真集には、巻末に ひとつひとつの写真の簡潔な解説が掲載されています。
戦後70年ともなる現在、歴史の中に埋もれようとする日本人の営みを記録する
貴重な一冊であることは間違いありません。

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Descendants of Japanese immigrants to the Philippines displaced by war.

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JAPANESE REMNANTS OF WAR IN PHILIPPINES
BY : OSAMU FUNAO


この写真集については、新聞でも報道されました:
毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160218/k00/00m/040/018000c


大分合同新聞
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/12/26/131335912

             
この写真集は、amazonでも購入ができます:
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E6%AE%8B%E7%95%99%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E8%88%B9%E5%B0%BE-%E4%BF%AE/dp/4887731671



写真家 船尾修氏の 公式サイトはこちらです:
http://www.funaoosamu.com/





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by janlbaguio | 2016-11-28 12:40 | History バギオの歴史

東京で 「比国育英会バギオ基金」の 創立35周年記念祝賀会が開催されました

2016年9月13日に フィリピン・バギオ市で奨学金制度を支援してきた「バギオ基金」が
その 創立35周年記念の祝賀会を開催しました。

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この「バギオ基金」は、 日本のロータリー・クラブの有志の皆様で結成された基金で、
こちらのサイトに詳しい案内がございます。
http://www.baguiofund.or.jp/baguio3.html

また、バギオ基金からの支援で 奨学金の運営を実施している バギオ市の
北ルソン比日基金(通称:アボン)については、こちらの資料をお読みください。
http://www.baguiofund.or.jp/baguioPDF/2014.03Vol.41.pdf


さらに、このルソン島北部山岳地帯の日系人の為に 最大の貢献をされた
シスター海野については、こちらに詳しい記事があります:

「移民1世紀 第1部・1世の残像
第10回 ・ 日系人社会の再生願い」

http://www.manila-shimbun.com/award/%B0%DC%CC%B1%A3%B1%C0%A4%B5%AA%A1%A1%C2%E8%A3%B1%C9%F4%A1%A6%A3%B1%C0%A4%A4%CE%BB%C4%C1%FC/award130104.html



今回の祝賀会は、東京のニュー・オータニ・ホテルで盛大に開催されました。
そのスナップ写真を以下に掲載いたします:

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バギオ基金会長 坂本俊男氏の 開会の辞


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名誉会長 前川昭一氏の 経過報告


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来賓紹介 - 司会 副会長 斉藤実氏、アシスタント ワンゲット氏

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御挨拶
駐日フィリピン共和国特命全権大使代理
公使兼総領事 
マリアン ジョセリン R. ティロル イグナシオ 氏

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御挨拶
北ルソン比日基金理事長  カルロス寺岡 氏

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奨学生および留学生の紹介

左側8名は現在奨学金を受けている大学生の代表。
右側は 現在日本に留学中の5名と 卒業生たち。

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奨学生・留学生代表の挨拶
レイン カルシ 氏

・・・・・・・

この後、乾杯と アトラクションが続きました:

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奨学生たちによる 北部ルソン島山岳地帯の 民族の踊り。

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「バギオ高原の歌」、「ふるさと」 の合唱


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お馴染み フィリピンの「バンブーダンス」。

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そして、閉会の辞のあとには、「手に手をつないで」 の合唱。

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250名ほどの参加者の皆さんが大きな輪を作りました。

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今後とも支援の輪が広がることを期待しております。

・・・・・

以下は、奨学生、留学生たちのスナップです:


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北ルソン日本人会も 代表が ご招待を受け、参列させていただきました。

素晴らしい祝賀会にお招きを頂き 御礼を申し上げます。



    

      

  

  
                       


      



















 
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by janlbaguio | 2016-09-14 22:39 | Neighbers ご近所情報

バギオの歴史: 110年前の日本人移民と日系人社会

フィリピン・バギオ市は 1901年に始まった ベンゲット道路(現在のケノン・ロード)建設を
皮切りに、アメリカ植民地政府が 「保養地」として開発した計画都市ですが、
その開発に 1903年から日本人労働者が携わっています。

その端緒となった「ベンゲット移民」から 現在に至るまでの 日本人、日系人の
バギオを中心とするルソン島北部山岳地帯での歴史を 九州産業大学の森谷教授が
研究され、その論文が公開されていますので ご紹介します。

http://www.jfe-21st-cf.or.jp/furtherance/pdf_hokoku/2015/a14.pdf#search='日系人会+アボン歴史'

「これらの移民たちは、「移民」と一言でいっても、移住先となった社会でそれぞれに
異なる経験をしているのであって、本研究でとりあげるフィリピンもまた、北米、中南
米の移民とは大きく異なる。こうした多様な国際移民の実情を把握し、それを経済的側
面だけでなく社会的影響と併せて考察することは、海外からの研修生の研修期間延長や
家事労働者の受け入れなども検討されている昨今、グローバル化された世界における日
本の今後の見通しを立てるうえで重要な意味をもつに違いない。」

・・・・・・・・・・・

また、これとは別に、日本本土からの移民と 沖縄からの移民について、
大変興味深い情報があり、上記の「ベンゲット移民」の中に 一年遅れの1904年に
労働者として参加した沖縄からの360名がいて、ケノン・ロードに 道路建設犠牲者の
慰霊碑があることが分かりました。

「バギオの町はジャケットを着けてもなお寒さを覚えるほどで
す。(中略)この難工事をひきうけた沖縄からの渡航団は西暦1903年はるばる
フィリッピンへ向かったのです。彼らはしんぼう強く働きました。けれどもこの仕事は
なまやさしいものではありませんでした。(中略)やがてこれらの障害に打勝ちバギオ
に通ずるベンゲット道路は見事に沖縄人の力で出来上がりました。今バギオ市
入り口の松林にこの難工事にたおれた沖縄の人々の墓碑が永久にバギオ市を護る
かのようにたっています
。}(『戦後資料沖縄』p31)」

沖縄戦後女性史の証言と発掘」で検索してください。
RN10-008.pdf - Adobe Acrobat Reader DC
長崎国際大学学術機関リポジトリ (NIU-AIR)のサイトです。
細田亜津子 著
沖縄戦後女性史の証言と発掘.
――フィリピンに生きる沖縄ウーマンの移民背景――.
細 田 亜津子. (長崎国際大学 人間社会学部 国際観光学科)


   
    
以下のサイトに沖縄からの「ベンゲット移民」の記事がありますのでご覧ください。

沖縄県の歴史学習 「海外移民」
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~yamauchi/08-fuzoku02.pdf

「(8)幸地伸氏(沖縄フィリピン協会会長)との対話

フィリピンへの沖縄移移民第1号は1904年(明治37年)、ルソン島中部の高原都市バギオと低地を結ぶベンゲット道路の建設工事に雇われ、バシー海峡を渡った出稼ぎ労働者360人。翌年道路の完成にともない、移民らは新天地を求めてミンダナオ島のダバオへ流れ、マニラ麻栽培の開拓に乗り出す。言葉や習慣の違いよる現地人との衝突、マラリア風土病などに戦いながらの開墾であった。」

・・・・・・

さらに、上記の沖縄からの移民に関連して、以下のサイトに当時の本土からの移民と
沖縄からの移民の間にあった歴史に根差した違いがあったことが述べられています:

「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」
http://kousyou.cc/archives/11106

「1944年の部外秘とされた米国海軍省資料の記述が興味深い。・・・・・
『日本人と琉球人(沖縄人)とのあいだの、たいへん近い民族的関係や、言
語の類似性にもかかわらず、琉球人は日本人からは民族的に平等だとはみなされていない。
・・・・ところが一方、琉球人の方は、自分たちが劣っているとは全然感じておらず、
自分たち自身の伝統や、中国との長期にわたる文化的紐帯に誇りをもっている。」

・・・・・・・・・・・・・


「ダバオ国」の沖縄人社会再考 -本土日本人、フィリピン人との関係を中心に-」
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/123456789/6447/1/No2p001.pdf

「ダパオに定住する最初の邦人移民のコア集団は,いわゆる「ベンゲット移民」である。ベンゲット移民とは,バギオというルソン島中部の高原の避暑地(夏の首都)に通じる「ベンゲット道路」工事のために導入された日本人建設労働者のことで,1903年から道路が完成する1905年初めまでの間,一説には延べ約2,800人が工事に従事した(東亜経済調査局1936:212)。この中心は,沖縄人と九州人だった(米田1939:31)。沖縄からのベンゲット移民は,本土日本人移民より1年遅れの1904年4月に現地入りした。」

・・・・・・・・・・・・

さらにご興味をお持ちの方は、こちらのサイトをご参照ください:
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2016/08/post-44c5.html


ケノン・ロードにある 北ルソン比日基金が管理している展望台と記念碑については、
こちらのページでご参照ください:
http://janl.exblog.jp/7076729/

                 

以上、ご参考まで。




                     

                
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by janlbaguio | 2016-08-22 14:58 | History バギオの歴史

2016年 「日比友好の日」式典 - バギオ 日本慰霊庭園


7月23日に バギオ市ガバナー・パック・ロードにある 日本慰霊庭園にて
日本国大使館から津田参事官、バギオ市からドモガン市長のご参列を得て
「日比友好の日」をお祝いする式典が開催されました。

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日本とフィリピンの国旗が ボーイスカウトによって入場。

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元日本国名誉総領事の寺岡様からの祝辞。

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ドモガン バギオ市長からの祝辞。

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日本国大使館 津田参事官の祝辞。

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献花に続き、焼香が、参列者の皆様によって行われました。

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津田参事官によるご焼香。

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ご年配の皆様と一緒に、若い皆さんの献花と焼香が続きます。

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毎年 日比友好月間イベントを盛り上げてくれる コスプレ・グループからも参加がありました。

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北ルソン比日基金の奨学生たちも、日比の衣装で参加。

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NIITスクールの学生による 山岳民族の踊りが披露されました。

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市議会議員であった時期に、「日比友好月間」及び「七夕祭り」のイベントを
バギオ市の条例で 市の行事として認めることに尽力いただいた タバンダ弁護士。

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この式典を主催くださった 北ルソン比日基金(アボン)の理事の皆さん。

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この日本慰霊庭園の建設に御協力くださった Pine City ライオンズ・クラブの
メンバーの皆さん、そして、北ルソン日本人会からは 代表と副代表が
参加させていただきました。

大変立派な 日比友好の日の式典を実施していただきました。
有難うございました。


                

  
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by janlbaguio | 2016-07-25 02:12 | Neighbers ご近所情報