タグ:歴史 ( 131 ) タグの人気記事

昭和15年(1940年)に発行された バギオ日本人学校同窓会の会誌 「松籟」創刊号



戦前にバギオにあったバギオ日本人学校は 1924年に創立されたとされていますが、
今回 バギオ日本人学校同窓会の古屋英之助氏より、同窓会の会誌(創刊号)
頂きましたのでご紹介します。

a0109542_1994022.jpg

会誌の名称は 「松籟」(しょうらい)となっており、
「会誌を「松籟」と命名した所以は、バギオ市が比島唯一の松の都として知られて
いる。 これに因んで松の象徴として選んだものであります。」とあります。

「松籟」の意味は、松林を吹き抜ける風の音ということだそうです。
    

a0109542_1912307.jpg

発行は 昭和15年(1940年)となっていますので、創立から16年後、
同窓会の昭和8年の発足からは7年後の創刊です。

a0109542_19213613.jpg

目次の最初のページ

a0109542_19215126.jpg

同窓会の会員である卒業生の作品が掲載されています。

a0109542_19231379.jpg

「バギオ日本人小学校」の校旗

a0109542_19241690.jpg

上の写真は、バギオ市の日本人墓地の横にある ベンゲット道(ケノン・ロード)建設で
犠牲になった日本人の慰霊碑。
下の写真は、バーンハム公園の傍らにあった最初のバギオ日本人学校の校舎。

a0109542_1927440.jpg

上の写真は、バギオ日本人学校の新校舎。 マグサイサイ通りのLUCBANに移転
下は、当時の職員。 前列真ん中が 村井校長。

a0109542_1929203.jpg

上は、新校舎の校門での集合写真。
下は、弁論大会での記念写真。

a0109542_19352252.jpg

同窓会会長 谷水氏の挨拶文。
「皇紀二千六百年・・・」で始まっています。

同窓会については、
「昭和八年十月、本会の創立をみまして・・・」
創立当時は会員も僅かに三十名に過ぎませんでしたが、本日では
百三十三名の会員をなすに至りました。」
とあります。

また、この創刊号が 皇紀二千六百年の奉祝記念事業であると書いてあります。

a0109542_19412517.jpg

a0109542_19415994.jpg

a0109542_19421761.jpg

a0109542_194237100.jpg

上は、村井校長の祝辞ですが、昭和15年当時の戦時下の教育方針が表れています。
ただし、当時のバギオ日本人学校の小学生であった方によりますと、
学校の授業の中では、さほど軍国主義的なものはなく、この後 太平洋戦争が始まって
から変化が出てきたとのお話でした。

a0109542_19471084.jpg

以下に同窓生=卒業生の作品が掲載されています。


a0109542_2150292.jpg

a0109542_21505618.jpg

a0109542_21512431.jpg

a0109542_21515638.jpg


上の詩は 卒業生であり同窓会の副会長であった 東地琢磨氏のものです。

内容を見ますと、「三十年前の犠牲・・・」とありますので、1905年に開通した
ベンゲット道(ケノン・ロード)の工事に携わって難工事の中で犠牲になった日本人移民
の人たちへの追悼の詩であろうと思われます。

これは昭和15年(1940年)の発行ですが、この後太平洋戦争となり
昭和21年(1946年)には琢磨氏は戦犯としてフィリピンで処刑されています。

何故そういうことになったのか。
それは東地琢磨氏が山下奉文大将の通訳であったからでした。
詳しくはこちらのサイトでお読みください。
http://tenhouinaki7.at.webry.info/200903/article_3.html

「もし大田大佐と東地通訳が第14方面軍司令部に勤務していたなら「他のお二方」という扱いではなかっただろう。きっと、面識がなかったから このようになったのだろうと思います。
東地琢磨通訳の遺書は、『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂会 1953)にも掲載されていないばかりか、この書物の最後に不幸にも戦争犯罪人として亡くなられた方の名簿一覧があるのですが、彼の名は「ヒ」行ではなく
「ト行」にあったということで、日本国内でも知られていなかったと思います。」

東地琢磨氏は、まだ23歳の若さで絞首台に上ったのでした。 彼は日本人の父と、フィリピン人の母の間に生まれた、現地の方でした。
『世紀の遺書』には東地通訳が和歌山県出身と書かれていますが、これは、彼の父親が和歌山出身で、大東亜戦争が始まると同時に日本に強制送還された ことによると思います。
一方で、東地琢磨氏は、日本軍の軍属として召集を受けます。」

・・・・ここに23歳で処刑されたとありますので、上の詩を作ったのは6年前の17歳の時であったということになります。

a0109542_2281217.jpg

こちらは、同じく 東地琢磨氏の 俳句と短歌です。
日系人として戦時下のフィリピンに生まれた17歳の心が滲み出た詩であるかと思われます。

a0109542_22132487.jpg

a0109542_22142745.jpg

a0109542_22145289.jpg

a0109542_22153379.jpg

上の作品 「金の世の中」 と 「日曜日の朝」 は、この文集の中が戦時色に覆われて
いる中で 珍しく文学的あるいは日常描写的な作品になっています。

a0109542_22213043.jpg

a0109542_2222834.jpg

a0109542_22222927.jpg

上の 「少年時代を偲び」 には、いくつか興味深い当時の情報があります。

旧校舎(ブラハムパーク公園の近くにあった)に在学当時の懐かしい思い出を!!」

・・・最初に出来たバギオ日本人学校の校舎は、バーンハム公園のすぐ横、
オーキダリウム(蘭などの植木鉢を売っている公園)の斜め前あたりにありました。

「同じ教室で八年間一緒に学び、一緒に遊んだ。」
・・・日本人学校は 8年制度であったようです。

「入学当時は生徒の半分以上は跣足(はだし)で通学した。 学校の規律が
やかましくなって靴を履くようになってからも、跣足の習慣がなかなかぬけず、
学校の行き帰りには腰に靴をぶらさげて歩いたものだ。」

・・・ しかし一方で、映画などを親と一緒に観に行く時などは、正装で行った
という話も聞いています。

三年生の頃までは日本語よりも土人語の方に通じて居たもので、
先生の居ない所では土人語で盛んにペチャクチャ喋ったものだ。
然し年と共に日本語が自由に話せる様になってからは、妙なもので、
土人語を使うと級友の者から軽蔑されるので、誰も土人語で話をする者は
居なくなった。」

・・・ 3年間の学校生活で、日本語の方が優勢になったようです。
学校での遊びは、 かくれんぼ、鬼ごっこ、フットボール、ベースボール、剣劇
などが書かれています。

「六年生の頃マニラへ修学旅行に行った時と、高等二年の時サンフェルナンドの
海岸へ卒業旅行に行った・・・」

「学校を出ると皆それぞれの違った境遇に置かれて、マニラへ行く者、
日本に帰る者、又はバギオに残る者、・・・・」

・・・・小学校6年間と 高等2年間の 合計8年間を過ごしたようです。
これは、尋常小学校6年間と高等小学校2年間の教育制度の時代のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8B%E5%B8%B8%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1


     
「僕は学校を出ると直ぐにハイスクールに入学した。 然し家庭の事情の為
中途で退学してアンタモック金山へ職業を求めに行った。 其の会社の
支配人はアメリカ人だったが、唯僕が日本人であるという理由一つで、
直ぐに採用してくれた。」

・・・・ バギオ市の周辺にはいくつかの鉱山がありますが、この当時には
アメリカ人経営の鉱山で多くの日本人が働いていたようです。

a0109542_22514512.jpg

a0109542_22521142.jpg


バギオ近況と私の所感
ここにも、多くの情報があります。

「四年前我等の母校は、新装なる校舎に移転された。 先生は日本人の先生が
六名、英語の先生として比島人の先生が二名都合八名である。
旧校舎から見ると遥かに大きくて児童の収容力も三百名位は十分であるときく・・・」

・・・1940年の4年前ですから、1935年頃に新校舎に移転したということになります。

「在留同胞は約一千名と思う。 その中これを職業別にすれば
大工さんを筆頭に、百姓、商人、製材業者の順に人数の上から見れば大別せられる。
大工職の人もその腕前並に給料から見ると比島人を遥かに凌駕して多くの人は
一部の監督級に置かれ給料は普通比人の倍額を給与されているときく。・・・・」

「比島各地に於ける支那人の勢力は津々浦々まで根深く入りこんでいて、
遥かに日本人の勢力以上にあるということだが、僕等の住むバギオは日本人
としての優越観
を十分感ぜられる。」

・・・ これに関しては、当時の小学生であった方からも同様の話を聞きました。
セッション通りなどでも日本人経営のお店が多かったとのことでした。



a0109542_1041335.jpg

a0109542_1043759.jpg


上の作品 「工夫の力」 は 寺岡石志人氏の作となっています。
この方は 元日本国名誉総領事であった カルロス寺岡氏の兄上です。
しかし、この 寺岡石志人氏も戦時中に悲運な最期と遂げられています。

その詳しい事情は、マニラ新聞の下のリンクで掲載されています。

移民1世紀 第1部・1世の残像
第9回 ・ 比で生きる日本人兄妹
http://manila-shimbun.com/award130089.html


「父宗雄さんは米国人相手の建築業で成功したが、開戦直前の四一年八月に同市で病死。兄二人は戦中憲兵隊と比人ゲリラにそれぞれ殺され、母と弟二人は砲撃で命を落とした。戦争を生き抜いたのは、十四歳の兄と十一歳の妹だけだった。 」

「寺岡理事長は振り返る。「大島町に帰り、父の送金で建てられた立派な家にも住みました。今の日本人は『比は貧しい国』と言うが、当時の日本はすごく貧しかった。バギオでは靴をはいていたのに日本ではわら草履でした。私は日本の教育を受けていましたから、入籍されていれば日本にとどまったと思う。無国籍はつらいので、五二年に比へ戻ってきたのです。二十一歳でした」。妹も三年後の五五年「兄がいなければ私は生きていなかった。たった一人の家族で、生き別れになった後は寂しくてたまらなかった」と後を追った。 」

寺岡理事長とは カルロス寺岡氏のことで、バギオにある日系人会 北ルソン比日基金の理事長もされています。(現在は、北ルソン日本人会の相談役でもあります。)

a0109542_16493431.jpg

バギオ日本人学校同窓会の役員および会員の名簿
役員の皆さんは卒業生ですので、この当時は17歳から20代前半かと思われます。

会員名簿には、卒業後 昭和15年時点での進路、学校や就職先などが記載されています。
進学先としては セントルイス・ハイスクール、 シティー・ハイスクール、ツリニダード・アグリーコーチュア・スクール(現在のベンゲット州国立大学の前身の農業学校)、ホーリー・ファミリー・カレッジ、サントトマス大学医学部、日本本土では、鹿児島高等商業学校、東京美術学校、福岡八女工業学校、山梨県立都留高等女学校、広島市山中女学校、熊本県八代成美高等女学校、山梨高等女学校、神戸市灘高等小学校、東京市調布高等女学校などの名前が見えます。

就職先には、大日本陸軍兵器廠本部、バギオ市セッションバザー、神戸市丸吉商会、マニラ市マヨン印刷商、バギオ本願寺、満州国奉天市楠原店、バギオ市パインズ・グロセリ 等の名前が記載されています。

=========

以上、戦前のバギオ日本人学校の文集の一部をご紹介しました。

もし、この文集を研究などの目的でご覧になりたい方がいらっしゃいましたら、
バギオ市にございます日系人団体 北ルソン比日基金(通称:ABONG)で大切に保管されていますので、直接同団体にお問い合わせください。

(尚、北ルソン日本人会のメンバーの方の場合は、代表が一部保管していますので、貸出可能です。)

=========



   
     



    


    









































   







  
[PR]
by janlbaguio | 2017-03-31 19:18 | History バギオの歴史

フィリピン・バギオ市の歴史とその周辺の日本人・日系人に関する論文、記事、小説など

Japanese community in the History of Baguio City, Philippines



バギオ市の歴史は、1901年に始まったケノン・ロード(当時のベンゲット道)
という山岳道路の建設に始まったと考えても良いでしょう。
1903年には日本人労働者が工事に参加し、その後の戦前・戦中・戦後の
日本人、日系人の歴史が刻まれています。

ここでは、バギオ市と日本人・日系人の歴史を踏まえ、インターネットで
検索できた論文やメディアの記事、推薦したい書籍などをリストアップ
してみます。

皆様のお役に立てば幸いです。



(1) Japanese Pioneers in the Nothern Philippine Highlands
http://nbdb.xeozone.net/national-book-award/japanese-pioneers-in-the-northern-philippine-highlands/

敢えて訳せば「北部フィリピン高地に於ける日本人開拓者たち」でしょうか。

1903年の日本人移民開始から2003年までの、日本人・日系人の
100年間の歴史を集大成した貴重な書籍です。
a0109542_11295514.jpg



(2) 大学などの研究者による論文


京都大学 小島勝
南方関与の多重性と教育の論理
- フィリピンとバギオ日本人学校の混血二世教育 -
1996-11-30
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/187643/1/ias_027_075.pdf



九州産業大学 森谷裕美子
フィリピン・北部ルソン社会における日系人のアイデンティティ
2014年
http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/bitstream/11178/99/1/kokubun57-3.pdf



上智大学 飯島真里子
九州大学 大野俊 
フィリピン日系「帰還」移民の生活・市民権・アイデンティティ
2010年?
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/16966/p035.pdf
日本には現在、40万人前後の外国籍の日系人とその家族が暮らしているが、この中には近隣アジア諸
国から「帰還」した日系人もいる。その中でも近年、急増したフィリピン日系人(戦前期フィリピンへ
の日本人移民の子孫) について、筆者たちは2008年12月から2009年3月にかけて、彼らの生活・市民権・
アイデンティティなどを探る質問票配布による全国実態調査を実施した。


九州産業大学 森谷裕美子
フィリピン北部ルソンにおける日系人と「イゴロット」の関係性
2013年
http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/bitstream/11178/73/1/kokubun55-6.pdf



帝京大学 佐々木靖
コルディリエラの日系人
2011年?
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tandai32-02.pdf
筆者はかつてバギオで、本稿第1 章に登場するシスター海野からフィリピン日
系人の話を聞いたことがある。青年海外協力隊の隊員としてフィリピンに赴任し
ていた1986 年に、ルソン島北部を任地とする隊員たちにより開催された「北部
ルソン大会」に参加したときのことである。


東京財団研究報告書 河合弘之
フィリピン日系人の法的・社会的地位向上に向けた
政策のあり方に関する研究
2005ー6年
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/01028/pdf/0001.pdf
フィリピン日系人とは、19世紀末頃から太平洋戦争終結までの間に
フィリピンにわたった日本人移民の子で、戦争によって父あるいは
両親と離れ離れになり、現地に残された人びと、およびその子孫の総称である。



JFE21世紀財団
九州産業大学  森谷裕美子
フィリピンにおける北部ルソン日系人社会の歴史的経験に関する研究

Historical Experiences of Japanese Immigrants and Their Descendants in
Northern Luzon, Philippines
http://www.jfe-21st-cf.or.jp/furtherance/pdf_hokoku/2015/a14.pdf
これまでの日系移民研究のほとんどはアメリカやブラジル、ハワイに
関するものであり、戦前、フィリピン各地にいくつもの日本人の
コミュニティが形成され、その多くが現地の人々と結婚した
り、そこで豊かな生活を送っていたりした。しかし、こうした事実を
知る者はきわめて少ない。





(3) 新聞社などメディアによる記事


マニラ新聞 シリーズ・連載
移民1世紀 第一部・1世の残像
第一回・ 「優しい道」は祖父の道
2003.01.02
http://www.manila-shimbun.com/award/%B0%DC%CC%B1%A3%B1%C0%A4%B5%AA%A1%A1%C2%E8%A3%B1%C9%F4%A1%A6%A3%B1%C0%A4%A4%CE%BB%C4%C1%FC/award130000.html


日経アジア・ギャラリー
フィリピンの高原都市バギオ
日本人街の面影

[文・写真] 澤田公伸 [古写真] 古屋英之助氏提供
https://www.nikkei.asia/gallery/vol79/79_tokushu2.pdf


マニラ新聞 NAVIマニラ
バギオ物語 第2回
フィリピンのスカイランド 高原リゾート バギオ
戦前のバギオに生きた邦人写真師
古屋正之助氏 ~アギナルド将軍とも親交~

http://www.manila-shimbun.com/navi_manila/navi_pdf/vol3/navi0309.pdf


講談社 現代ビジネス
陛下の前で涙を流した彼らは何者か
~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題

北島純
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47673
もともとフィリピンは日本人にとって、最大の移民先の一つであった。
1903年(明治36年)、当時フィリピンを植民地としていたアメリカに
よってルソン島北部にあるバギオが避暑地として開発されることになり、
そこに至る「ベンゲット道路」(ケノンロード)の開発に従事する
ために、2000人以上にものぼる日本人が労働者として移住したのが
その先駆けである。


ヒューライツ大阪
国際人権ひろば
50周年を迎えた「日比国交正常化」の内実を問うフィリピン日系人

大野 俊
http://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section2/2006/09/50.html
日本軍の圧制に苦しむフィリピン人にとっては「ジャパニーズ・
メスティーソ」(日本人の混血)も敵視の対象となった。戦後の
日系人迫害につながるフィリピン人の反日感情は、住民虐殺を含む
日本軍の占領中の行為に起因していることを確認しておきたい。




(4) 取材や体験に基づく小説・回顧録など


バギオ周辺の歴史を知る為の推薦図書です。
(古書の場合は絶版もあります)


バギオの虹―シスター海野とフィリピン日系人の一〇〇年
2003/2
鴨野 守 著
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%99%B9


思い出はマニラの海に 単行本 –
1993/8
郡司 忠勝 (著)
http://janl.exblog.jp/11457127/
https://www.amazon.co.jp/%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%AF%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%B5%B7%E3%81%AB-%E9%83%A1%E5%8F%B8-%E5%BF%A0%E5%8B%9D/dp/478260145X/ref=la_B001I7J140_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1489541242&sr=1-1



ルソン戦記―ベンゲット道〈上〉 (文春文庫) 文庫 –
1989/8/10
高木 俊朗 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E6%88%A6%E8%A8%98%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E9%81%93%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E6%9C%A8-%E4%BF%8A%E6%9C%97/dp/416715109X



イフガオの墓標〈続〉 (1980年) - – 古書,
1980/1
宍倉 公郎 (著)
http://library.main.jp/index/jst00025.htm
http://janl.exblog.jp/10620882/
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%AC%E3%82%AA%E3%81%AE%E5%A2%93%E6%A8%99-%E7%B6%9A-1980%E5%B9%B4-%E5%AE%8D%E5%80%89-%E5%85%AC%E9%83%8E/dp/B000J6MZDA/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1489541417&sr=1-1&keywords=%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%AC%E3%82%AA%E3%81%AE%E5%A2%93%E6%A8%99



図南遊記 単行本(ソフトカバー) – 古書,
1913/1/1
梶原保人 (著)
http://janl.exblog.jp/18939480/
https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E5%8D%97%E9%81%8A%E8%A8%98-%E6%A2%B6%E5%8E%9F%E4%BF%9D%E4%BA%BA/dp/B00G442QK8/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1489541791&sr=1-2&keywords=%E5%9B%B3%E5%8D%97%E9%81%8A%E8%A8%98



BAGUIO PRECIOUS MEMORIES
published by Leonides and Aurora Bautista
(published in 2012 ? )
http://janl.exblog.jp/17573251/
http://janl.exblog.jp/17888942/

 
A Century of Being Baguio
バギオ100年祭委員会 
http://janl.exblog.jp/9348137/


City of Pines
The Origins of Baguio
as a Colonial Hiss Station and Regional Capital

a0109542_2121696.jpg

(「松の都市 
  ― 植民地の高原避暑地及び地域の主要都市としてのバギオの起源」)
Robert R. Reed 著
http://janl.exblog.jp/6223626/



北ルソン日本人会のサイトの内「バギオの歴史」の索引はこちらです:
過去の記事の一覧
http://janl.exblog.jp/i10/8/


==ご注意==

この情報は 2017年3月15日現在のものですので、
リンク切れの場合はご容赦下さい。

=======
a0109542_214052.jpg

[PR]
by janlbaguio | 2017-03-15 11:27 | History バギオの歴史

バギオ市で歴史遺産指定、保存活動の動き  Heritage Mapping Project

先日2017年1月25日に このような会議が開催されました。
a0109542_134547.jpg


「バギオ歴史遺産マッピング・プロジェクト」の関係者が集まっての会議です。

a0109542_137382.jpg

進行役は フィリピン大学バギオ校の教授の皆さん。
バギオ市における歴史文化遺産の調査をされた教授から発表があり、関係者の間で意見交換がされました。

a0109542_1394395.jpg

参加者は、パイン・コーン・ムーブメントという団体、バギオ市の市議会議員、観光省、バギオ歴史遺産財団、バギオ博物館、学校関係、など、バギオの歴史的遺産の保存と観光資源としての活用に関係のある皆さんが勢ぞろいされました。

(以下の英文は FACEBOOKからの引用です)

Baguio heritage mapping project validation and consensus on
what sites and structures to protect, thanks to very useful insights
from all. Kudos Pine Cone Movement for supporting the initiative.
We appreciate City Mayor's office, CEPMO, DOT-CAR, SP members Fianza/Datuin/Yaranon/Yangot, Div of City Schools, Roger Sinot,
March Fianza, Vicky Makay, UP Baguio students and history instructors,
Karminn Daytec Yangot, UB, Baguio Museum's Stella de Guia, Precilla
Balacio, Nonnette C. Bennett, Erlyn Alcantara, Monin Navarro,
Laida Lim and Ron Paraan for BHFI, Mita Angela M. Dimalanta,
Melle Bisnar, June Brett, Chat Delos Reyes, Edcel and Maria Guadalupe
and Ambet and other guests. Thank you to Dr Rowie Boquiren for
spearheading this project and unifying all sectors towards heritage
mapping of Baguio City!

a0109542_13225938.jpg


プログラムにあるように、この会議では、
ー 文化遺産・歴史遺産の定義の確認
ー 歴史遺産保存の方法
ー バギオ市における現状
などの研究報告があり、参加者の様々な意見交換が進められました。

・・・・・

そのプレゼンテーションの中に いくつかの興味深い資料がありましたので、
一部を御紹介します。

a0109542_13285690.jpg


時代区分は:
ー スペイン植民地以前
ー スペイン植民地時代
ー アメリカ植民地時代

a0109542_13304693.jpg

そもそも、バギオ周辺の土地には その初期に、どのような人たちが定住していたのか。

a0109542_1332531.jpg

そして、その人々は どこに定住していたのか。

a0109542_13342235.jpg

a0109542_13344935.jpg

a0109542_1335719.jpg

a0109542_1335254.jpg

a0109542_13355873.jpg

a0109542_13365788.jpg

a0109542_1339364.jpg

a0109542_13392284.jpg

昔からの地名や定住していた部族名などが紹介されました。
(撮影の都合で順番が前後しています。)

a0109542_14272082.jpg

具体的にはどのような建築物などが候補にあがっているかも紹介されました。

a0109542_14285461.jpg

多くの候補地の中で、日本人が関係しているものはこの3つがノミネートされています。
まず 「バギオ日本人学校」。

a0109542_14295777.jpg

二つ目は 「ケノン・ロード」(当時の名称は「ベンゲット道路」)

a0109542_14315096.jpg

三つめは 「山下奉文大将の降伏文書署名式が行われた現在のアメリカ大使公邸」。


a0109542_1345840.jpg

今後は8月まで 上記のようなスケジュールで このプロジェクトクトが進められるそうです。

・・・・・

今回のこの会議に、バギオ博物館とフィリピン大学バギオ校からお声が掛りまして、
以下の 「バギオ歴史探訪アート・マップ」を JANLの分科会から参考資料として
提出致しました。

a0109542_13484957.jpg

このアート・マップは、JANLの分科会活動として 1年ほど前から進められて
いたもので、多くの皆様の御協力を得て この最初の1枚が この会議に
間に合いました。

a0109542_13513844.jpg

表面には1930年代のバギオ市の街並み、ジャパニーズ・バザールなど、を再現し、
裏面には現在のバギオ市にある 歴史遺産の場所を アートで表現した地図になっています。

本日現在はまだ印刷中で、2月22日(水)に Casa Vallejoホテルの建物の中にある
Mt. Cloud Bookshop で販売開始の予定になっています。

図らずも、バギオ市全体の歴史文化遺産を守ろうという動きに呼応するタイミングに
なったことを有難く感じております。

a0109542_14474435.jpg

(photo by : Pine Cone Movement Inc.)
このアートマップ制作をお願いした フィリピン大学バギオ校美術学部のOGにも
この会議にご参加いただきました。
   


=====

この会議の主催者のひとつである The Pine Cone Movement, Inc. (PCMI)は
以下のような団体です:

http://pcmibaguio.wixsite.com/pineconemovement

Mission – The Pine Cone Movement, Inc. (PCMI) will work towards a commitment in realizing this vision primarily through protecting and preserving the environment, in gratitude to its past heritage and sustainable future, by raising funds, accpeting donations, by cooperating with national and local government agencies and other activities that will promote it, conducting information drives and organizing forums to discuss issues.



             
   

     

  
[PR]
by janlbaguio | 2017-01-28 12:50 | History バギオの歴史

北ルソン比日基金(アボン)で シスター海野の27回忌ミサ


2016年12月31日、 フィリピン・ルソン島北部山岳地帯の日系人の母とも言える
シスター・テレジア海野の 27回忌のミサが執り行われました。

a0109542_17141665.jpg

このシスター海野の功績については、
こちらのサイトをご参照ください。
http://www.tokyo-shiba-rc.org/service/service03.html

a0109542_17172496.jpg

シスター・テレジア海野 記念会館 (通称:アボン・ホール)

a0109542_1718551.jpg

このホールは、北ルソン比日基金と北ルソン比日友好協会の創設者である
シスター海野を記念するものです。

a0109542_17245133.jpg

毎年12月31日に シスター海野を偲ぶミサが実施されています。

a0109542_17262644.jpg

今年は、北ルソン日本人会から3名が参加させていただきました。

a0109542_17281486.jpg

また、隣町からも青年海外協力隊の方など2名もいらっしゃいました。

a0109542_17293871.jpg

ミサの後、参加者全員が 献花し、お線香をあげました。

a0109542_17305694.jpg

戦中・戦後の苦難の道を歩んでこられた 日系二世の皆さんを始め、
日系三世、四世、五世に到るまでの皆さんがお参りをされました。


アボンの益々のご発展とご活躍をお祈りいたします。



    


     
[PR]
by janlbaguio | 2017-01-01 17:18 | Neighbers ご近所情報

「第7回・アジア太平洋国際平和慰霊祭」 -- 抗日ゲリラの拠点の町で開催

毎年12月に 映画監督の今泉光司氏のNPOとバギオ市の隣町のNGOが協力して
「アジア太平洋国際平和慰霊祭」が開催されていますが、
今年は12月4日に ベンゲット州カパガン町の町役場の協力を得て実施され、
その模様がラジオ番組としてルソン島北部一帯に生放送されました。

バギオ・ミッドランド新聞でも報道されました:
http://www.baguiomidlandcourier.com.ph/life.asp?mode=%20archives/2016/november/11-20-2016/life7-Kapangan-to-host-7th-Intl-Peace.txt

The 7th APIPM will be held aired through a special program in DZWT on
Dec. 4 form 11 a.m. to 1 p.m. with Mayor Manny Fermin, Cristy Aban
of Iyaman, Jimmy Fong, Koji Imaizumi of Salubong-Tokyo, and local
singer Sendong. After an offering of prayers, war stories of elders and
reactions from the youth will be told.


====

a0109542_13142867.jpg

今年は その第七回で、戦時中は抗日ゲリラの拠点として日本軍と闘った町での開催でした。

a0109542_13181519.jpg

ステージには、AMラジオ局 DZWT540の担当レポーター、ラ・トリニダッドのNGO、
今泉監督、日系人二世の女性、フィリピン大学バギオ校の教授などが登壇し、
ラジオ番組に参加しました。

a0109542_1763189.jpg

まずは 開会のお祈りとフィリピン国歌です。

a0109542_13243556.jpg

カパガン町役場の方々や日系人などの参加者全員で 全ての戦没者の慰霊式典があり、番組が進みました。

a0109542_13273771.jpg

北ルソン日本人会からは 代表と副代表の二名が参加致しました。

a0109542_13283911.jpg

町役場の前に立つ バド・ダンワ少佐の像。

a0109542_1329143.jpg

このダンワ氏は、ルソン島北部山岳地帯一帯の抗日ゲリラを束ねるゲリラ指導者の一人として有名で、この通りこの町のヒーローと認められています。

a0109542_1675884.jpg

そのゲリラ部隊 第66歩兵部隊の研究などをしている若い男性から、
この地図が参考資料として回覧されました。


a0109542_13315271.jpg

抗日ゲリラ部隊が拠点としていた「キャンプ・ユートピア」があった場所の地図です。
この拠点は 会場となったカパガン町の中心部からさらに山の中に入ったところに
あったそうです。

a0109542_13395475.jpg

番組の中で 事前に収録された地元の人たち5名の戦争体験のインタビュー
流され、その話に参加者の皆さんたちも聴き入りました。

a0109542_13432582.jpg

地元 山岳民族出身のシンガー・ソングライターの歌は、戦争中の日本兵の行動を
コミカルに歌った曲もあり、会場を沸かせました。

a0109542_13464866.jpg

なお、ラジオ番組は当初予定の11AMを前倒しで10AM過ぎからスタートし、
1PMまでの3時間弱で放送されましたが、JANL代表のスピーチも20分間流されました。

a0109542_13495887.jpg

(photo by : Gal-ad Macsimo)
この番組で収録された内容は、ほとんどが地元の言語でしたので、
後日 英語版および日本語版を書面で作成する予定だそうです。


a0109542_1352958.jpg

カパガン町役場。
バギオ市からはハルセマ・ハイウエイの料金所手前を左に入り、
車で2時間ぐらいの会場でした。

a0109542_1353175.jpg

キャンプ・ユートピアは この山向こうにあったそうです。

  
毎年、バギオおよび周辺地域での歴史を学ぶ機会を与えていただき
感謝致します。

・・・・・ ちなみに、昨年のラジオ番組の内容は、こちらでご覧になれます:
https://d1b80iuu8a36ja.cloudfront.net/bbs/bbs/data/magsalitayo/img/187_7cba62ff62.pdf



                 
The 7th Asia Pacific International Peace Memorial was
held at Municipal Hall of Kapangan, Benguet,
where Camp Utopia located during WWII as the
base of Anti-Japan guerillas...
this event was broadcasted thru DZWT540 AM radio.

========

The below is a message by Mr. Koji Imaizumi, from facebook:


Thank you to all the listeners of DZWT 540kh during the airing of the 7th APIPM in Lomon, Kapangan. APIPM is a voluntary effort conducted yearly to shed light to WWII events that we may achieve healing from the brunt of war.

Event Proponent & Organizer: Mr. Koji Imaizumi

Program Hosts:
Mr. Aljun Fermin & Co.
Ms. Cristy Segnaken-Abad
Mr. Jimmy Fong

Venue & Sound System: LGU-Kapangan

Resource Persons:
Mr. Samuel Dangwa
Mr. Pio Lano Doro & Ms. Mary Yap
Mr. Domedio Sipol & Ms. Loreta Sipol
Mr. Kiban Billy
Mr. Bilas Wallak
Mr. Katano
Mr. Hidenobou Oguni
Mrs. Flora Calsi
Mr. Dave Bastian Montes

Performer: Mr. Rosendo Salvacio aka Sendong

Documentation:
alvin b. アルヴィン
Gal-ad Mcsimo

Assistant:
Ray Jordan Bastian Montes

Driver: Mr. Al Gomez

Special thanks to Sons and Daughters Asso. Inc.(SDAI-Benguet Chapter)

                         
    
=============== End ==============
    
[PR]
by janlbaguio | 2016-12-05 13:21 | History バギオの歴史

「フィリピン残留日本人」 船尾修写真集 : 歴史を形にした作品の御紹介

フィリピン・バギオ市とも大いに関係がある素晴らしい写真集が出版されました。

a0109542_12262969.jpg


この写真集は 写真家 船尾修氏の作品で、この「フィリピン残留日本人」を作る為に、フィリピン各地を取材し、バギオ市にある日系人会館「北ルソン比日基金」(アボン会館)などでも調査をされました。

a0109542_12304766.jpg


御存じのとおり、1900年代の初期に、ベンゲット道路建設や多くの建物の建築に携わった日本人移民。
戦前のバギオ市は、在留邦人が目抜き通りのセッション通りに様々な商店などを出し、また、隣町のラ・トリニダッドでは高原野菜を作るなど、高原避暑地バギオの都市建設に大いに貢献していました。

a0109542_12352222.jpg

また、バギオには日本人学校や多くの日本庭園なども 日本人の手で造られました。
バギオで成功を収めた日本人は、日本の親戚に仕送りをするなど、大いに繁栄していました。

a0109542_12371515.jpg

しかし、その繁栄をすべて破壊したのは 第二次大戦でした。
日本人、日系人は 家族と離れ離れになり、フィリピンに取り残された人たちは
迫害を逃れて山奥にひっそりと隠れ住む生活をつづけました。

a0109542_12402669.jpg

そして、ルソン島北部山岳地帯一帯には、今 7千人以上の日系人が数えられています。
日本人移民の研究については、こちらをご覧ください:
http://janl.exblog.jp/23148027/

    

a0109542_1323442.jpg

そこへやってきたのが船尾修氏でした。
元々は世界遺産の撮影でやってきたフィリピン。
偶然にも そこで上記のような出来事があったそうです。

a0109542_1345517.jpg

重厚な写真集には、巻末に ひとつひとつの写真の簡潔な解説が掲載されています。
戦後70年ともなる現在、歴史の中に埋もれようとする日本人の営みを記録する
貴重な一冊であることは間違いありません。

a0109542_1374753.jpg

Descendants of Japanese immigrants to the Philippines displaced by war.

a0109542_1395799.jpg

JAPANESE REMNANTS OF WAR IN PHILIPPINES
BY : OSAMU FUNAO


この写真集については、新聞でも報道されました:
毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160218/k00/00m/040/018000c


大分合同新聞
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/12/26/131335912

             
この写真集は、amazonでも購入ができます:
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E6%AE%8B%E7%95%99%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E8%88%B9%E5%B0%BE-%E4%BF%AE/dp/4887731671



写真家 船尾修氏の 公式サイトはこちらです:
http://www.funaoosamu.com/





ーーーーーーーーーーーーーーーーー



                  
[PR]
by janlbaguio | 2016-11-28 12:40 | History バギオの歴史

Baguio Tanabata Festival 7 - 「伊達政宗の夢。 サンファン・バウティスタ号は七夕の海へ。」

Philippine-Japan Friendship month 2016 in Baguio City

FREE ADMISSION for the Opening at 2pm, Saturday, August 6.

for the events schedule, pls visit here:
http://janl.exblog.jp/22936374/


400 Years since Date Masamune’s Envoy Mission
by Galleon San Juan Bautista


伊達政宗の慶長遣欧使節船 サン・ファン・バウティスタ号から 400年


a0109542_2046212.jpg


a0109542_20473160.jpg


a0109542_20495480.jpg


a0109542_20511672.jpg


a0109542_20535031.jpg



a0109542_2056473.jpg


2016 Philippine-Japan Friendship month events in Baguio City
are sponsored/organized/supported/cooperated by the following entities:
バギオ市に於ける日比友好月間イベントを支えてくださる組織・団体。

Baguio City バギオ市    
Embassy of Japan in the Philippines 日本国大使館
The Japan Foundation, Manila 国際交流基金 
JICA Philippines Office 国際協力機構

(Posters, documents provided by :)
Sendai Tanabata Festival Support Association 仙台七夕まつり協賛会
Miyagi Sant Juan Bautista Museum 宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)          
Tourism Division, Miyagi Prefecture Government 宮城県観光課
ANA Manila Office ANAマニラ支店

Filipino-Japanese Foundation of Northern Luzon, Inc.(Abong) 北ルソン比日基金
Baguio Museum Inc. バギオ博物館 
FDCP, Cinematheque Baguio シネマテーク・バギオ
Japanese Association in Northern Luzon, Inc.(JANL) 北ルソン日本人会

Baguio City National High School バギオ市ナショナル・ハイスクール
Benguet State University ベンゲット州国立大学  
Saint Louis University, Baguio セントルイス大学
University of Baguio バギオ大学         
University of the Cordilleras コーディリエラ大学
University of the Philippines, Baguio フィリピン大学

R.K.Shimizu(Nagasaki) Foundation, Inc. R.K.清水(長崎)財団
Shimizu & Co., Ltd. 清水商会
Pro Tech Machinery Corporation プロ・テック・マシーナリー
Amida Software Asia, Inc. アミダ・ソフトウエア・アジア

Tokyo Rinkai Rotary Club  東京臨海ロータリークラブ
Sakura Terras, Japanese Restaurant  さくらテラス
The Blue Files Language and Training Center ザ・ブルー・ファイルズ

Baguio Pines City Lions Club バギオ・パインズ・シティー・ライオンズクラブ
Globe Telecom グローブ・テレコム
Chaya, Contemporary Japanese Cuisine チャヤ日本料理店
Cordillera Green Network(CGN) コーディリエラ・グリーン・ネットワーク
NPO Salubong-Tokyo NPOサルボンー東京

Bag-Iw Art Society バギュー・アート・ソサイアティ
Anime_HQ, UP Baguio アニメHQ、フィリピン大学
UP SVA  ビジュアル・アート・ソサイアティ、フィリピン大学

===========
[PR]
by janlbaguio | 2016-07-31 20:51 | Activity 活動内容

1st Baguio Heritage Forum第一回バギオ歴史遺産フォーラム : UP Baguio

「第一回バギオ歴史遺産フォーラム」が 6月30日に フィリピン大学バギオ校で開催されました。

a0109542_2073862.jpg


主催は、フィリピン大学バギオ校の Cordillera Studies Center (コーディリエラ山岳地域研究センター)と Baguio Heritage Foundation (バギオ歴史遺産財団)です。

a0109542_20104224.jpg

左の方がフィリピン大学の教授。 右はバギオ歴史遺産財団の理事長です。

a0109542_2012472.jpg

プログラムは 上のとおりで、様々な観点から「バギオ歴史遺産」の認定基準に関する意見交換が進められました。

a0109542_2014745.jpg

フィリピン大学バギオ校の学長挨拶。

a0109542_20151868.jpg

このフォーラムの目的:
ー バギオ歴史遺産認定の基準づくり
ー 文化歴史遺産に関する情報網の確立
ー 歴史遺産の場所の特定
・・のようです。

a0109542_20201157.jpg

基調講演のほかに、各分野からの参加者による意見の発表もあり、
バギオ博物館の館員からの提言もありました。

a0109542_20235148.jpg

基調講演の中で、バギオ歴史遺産の現状が報告され、
その中で セッション通りの名前の由来となった会議が このBaden-Powellホールで
開催されたことが述べられ、その建物が今は、バス・ターミナルに並ぶ商店の
後ろに隠され、ホテルとなっていることが紹介されました。

a0109542_2029209.jpg

また、別の基調講演の中で、バギオ大聖堂の歴史が紹介されたのですが、
「日本によるバギオ市への絨毯爆撃を耐え忍んだ」という一文がありました。

(おそらくこれは間違いであると思われます。 地元の人々の間では、
 1945年に、日本軍をバギオ市から追い出す為に、米軍が絨毯爆撃を
 実施したと言われています。
 2013年に同じくフィリピン大学バギオ校で開講された公開講座で、
 同大ディリマン校の リカルド・T・ホセ博士が 米軍による絨毯爆撃で
 あったことを述べています。  )


a0109542_2038463.jpg

さらには、1990年のバギオ大地震についても 言及がありました。


a0109542_20401912.jpg

そして、植民地となる前の、いわゆる原住山岳民族の視点からの指摘と、
誰にとってのバギオなのか、誰にとっての歴史遺産なのか・・というバギオ市の
根源に関わるレクチャーもありました。

a0109542_20443799.jpg

会場には、大学やハイスクール関係者が多く、マニラの大学からも参加がありました。
また、政府機関や博物館、聖職者などの姿もありました。

a0109542_20481446.jpg

北ルソン日本人会の分科会活動として 「バギオ歴史探訪アート・マップ」制作を
進めていることもあり、1930年代のバギオのアート・マップに携わっている
アーティストにも バギオ歴史遺産財団の理事長と話をしていただきました。

又、参加者の意見交換の中で、この企画を紹介し、資料などの御提供を
お願いしておきました。


バギオ市における歴史遺産の保護活動が進展することを期待したいと思います。



  

   


    
  
[PR]
by janlbaguio | 2016-07-01 20:27 | Neighbers ご近所情報

Dream of Date Masamune. Galleon San Juan Bautista to the Sea of Tanabata

2016 PHILIPPINE-JAPAN FRIENDSHIP / TANABATA events

In Celebration of :
-60th Years of Philippines-Japan Friendship
-400 Years since Date Masamune’s Envoy Mission by Galleon
San Juan Bautista
-Cosplay Tanabata Festival 5 and Baguio Tanabata Festival 7

Theme for 2016 Tanabata Festival in Baguio City:

"Dream of Date Masamune. Galleon San Juan Bautista
to the Sea of Tanabata
."

本年のテーマ:
伊達政宗の夢。 サンファン・バウティスタ号は七夕の海へ。」

a0109542_13425814.jpg



2016年 バギオ市 日比友好月間 「七夕祭7」 展示資料
(下記は、今年のテーマ に関連する、フィリピン、日本、そして慶長遣欧使節団
 サン・ファン・バウティスタ号についての比較年表です。)



1. フィリピンの歴史年表


Chronology of The Philippines & Japan History
(from The History of the Philippines by Zaide)

1570 – Marshal Goiti found twenty Japanese residents in Raha
Sulayman’s Islamic kingdom of Maynilad. Those Japanese
were Christians converted by Jesuit missionaries in Japan.

1582 – Spanish expedition attacked a Japanese pirate kingdom at the
mouth of the Cagayan River.

1584 – The first Spanish vessel from Manila reached the port of
Hirado (in Nagasaki Prefecture now) in Kyushu.

1592 – Toyotomi Hideyoshi sent an envoy to Manila with a letter
demanding tribute and homage from the Spanish authorities.
The first Japanese town was founded, and it was called Dilao.

1596 – The garrulous pilot of the Spanish galleon San Felipe
boasted of the Far-flung conquests made by Spain with the
aid of Christian missionaries.
This aroused Toyotomi Hideyoshi’s fear of the Spanish
missionaries in Japan.

1606 – First Japanese Revold occurred.
The Japanese residents were enraged by an order of the Royal
Audiencia to deport them from the country.
Franciscan friars were able to pacify the 1,500 armed Japanese.

1607 – Second Japanese Revolt.
An arbitrary order of the Spanish authorities forcing all the Japanese
to work in the suburbs of Manila caused the Japanese to rise in revolt.

1615 – The second Japanese town, called San Miguel, was founded
to accommodate more than 300 Christian Japanese exiles,
including the famous Takayama Ukon and his family and other
members of the Japanese nobility.

1618 – Date Masamune conceived of the venture of Toyotomi Hideyoshi,
but nothing came out of it.
(Galleon Sant Juan Bautista arrive in the Philippines in August 1618.)

1632 – Japanese authorities sent a shipload of Japanese lepers to Manila.
These lepers were placed under the Franciscan friars who took good care
of them at the Hospital of San Lazaro.

1639 – Shogun Tokugawa Iyemitsu stopped Japanese immigration to the
Philippines.

a0109542_12141953.jpg



2. 日本の歴史年表


Chronology of Japanese History – Main stream

1563 – Kyushu baron Omura Sumitada accepted Baptism from Jesuit
missionaries.

1597 – Twenty-Six Martyrs of Japan were crucified on Toyotomi
Hideyoshi’s orders in the first bloody persecution of Christianity.

1600 - Tokugawa Period started.

1610 – Spain was allowed to trade.

1614 – Christian Daimyo Takayama Ukon(Dom Justo Takayama) was
expelled from Japan to Philippines together with 300 Japanese Christians.
During that time, more than 3,000 Japanese resided in Paco area, Manila.

1615 – Toyotomi family was terminated by Osaka Natsu-no-Jin battle.

1618 – Hasekura Tsunenaga arrived Manila, and stayed there for 2 years.

1622 – Fifty-Five martyrs of Japan were crucified in Nagasaki by
Tokugawa.

1624 – Spain was banned to visit and trade in Japan.

1635 – Japanese nationals were forbidden to travel abroad.

1639– Only the Dutch and Chinese were allowed to trade at Nagasaki.


a0109542_12114510.jpg


3. 伊達政宗の歴史年表


Chronology of Keicho Envoy Mission & Date Masamune /Hasekura
Tsunenaga(from “The Wonders Behind the Keicho Envoy Mission”, etc.)

Nov. 1611 – Sebastian Vizcaino is granted on audience with Date
Masamune in Sendai.
Vizcaino begins surveying the coast of the Ohshu area(now the
Tohoku region).

Dec. 1611 – Earthquake and huge Tsunami(Keicho Sanriku Earthquake)
happened in the area of Sendai feudal domain and Tohoku region.

Oct. 1613 – The Saint Juan Bautista(Black ship of Date) sets sail from
Tsukinoura in the Sendai feudal domain (for its first voyage).

Jan. 1614 – The mission arrives in Acapulco, Mexico.

Nov. 1614 – The Tokugawa shogunate bands Christianity across Japan.

Jan. 1615 – Hasekura Tsunenaga and other mission members are
granted on audience with King Felipe III of Spain.

Nov. 1615 – Tsunenaga and other mission members are granted on
audience with Pope Paulus V in Rome.

Apr. 1618 - Tsunenaga and other mission members leave Acapulco
on board the Sant Juan Bautista to return to Japan.
They arrive in the Philippines in August 1618.

Jul. 1619 - The Galleon Sant Juan Bautista (Black Ship of Date) was
sold to Spain.

Aug. 1620 – Tsunenaga reaches Nagasaki, Japan from the Philippines.
Sep. 1620 – Tsunenaga returns to Sendai from Nagasaki.

Aug. 1621 – Tsunenaga dies.

1621-1622 – Dutch and British ships blockaded Manila bay.


a0109542_13451493.jpg


a0109542_1138566.jpg

[PR]
by janlbaguio | 2016-06-20 11:44 | Activity 活動内容

バギオの歴史写真展 : What Photographs Tell Us About Baguio's Past 開催中

バギオ市の歴史を振り返る写真展が 6月17日から8月20日まで開催中です。

a0109542_226775.jpg

会場は メリノール・エコロジカル・サンクチュアリ。

a0109542_227282.jpg

マルコス・ハイウエイから カンポ・シオコに入ったところにあります。

a0109542_22122087.jpg

6月17日のオープニング式典の模様を ご報告します。

a0109542_22133333.jpg

式次第。

a0109542_22161976.jpg

NCCA(日本の文化庁に相当?)メンバーの挨拶。

a0109542_22181156.jpg

フィリピン大学バギオ校 人類学名誉教授から、歴史的写真が持つ学術的な意味についての講演。

a0109542_22225432.jpg

今回の展示会の主催者である 歴史家でキュレーターの アルカンタラ女史。

同女史は バギオの歴史書 「CITY OF PINES」の出版にも関わった方で、
お話の中に、日系人会・北ルソン比日基金が 移民100年を記念して制作した書籍
「JAPANESE PIONEERS IN NORTHERN PHILIPPINE HIGHLANDS」
のことなどもありました。


a0109542_22283556.jpg

テープカットの後、展示室が公開されました。
戦前の日本人在住者に関わる写真も ここそこに展示されています。
当時の バギオ日本人学校の写真もあります。

a0109542_22341979.jpg

来場者の中には、日系人会の事務局長ほかスタッフの姿もありました。

a0109542_22352535.jpg

北ルソン日本人会の分科会で、「戦前のバギオ探訪マップ」を作ろうという
企画が進められていますが、この写真展は大きな参考資料となりそうです。

a0109542_2238051.jpg

写真の中には、北ルソン日本人会の名誉会員のお一人である写真家、戦前のバギオ生まれである古屋英之助様の写真も展示されていました。

a0109542_22405576.jpg

期間中のご見学を お勧め致します。


   

     
    
[PR]
by janlbaguio | 2016-06-17 22:41 | History バギオの歴史