Baguio Tanabata Festival 10
Philippines-Japan Friendship month 2019
Exhibit of :
History between Philippines and Japan in 17th Century
このページでは、「17世紀における日比間の交流の歴史」展の
部分をピックアップしてご紹介します。
17世紀には どんな日比間の交流があったのか。
特にキリスト教関連の人的交流についてその時代を
覗いてみました。
ひとつは スペイン統治時代のフィリピン国内の状況。
すでに16世紀の末頃からそれは始まっていました。
そして、日本とフィリピンとの間で起こった事件。
豊臣秀吉がフィリピンに対して強硬な姿勢を見せていました。
そこに起こったのが「サン・フェリペ号事件」
「長崎26聖人の殉教」の引き金になりました。
「天正遣欧使節」の少年4人が成人となって長崎に戻った時には
すでに日本のキリシタンを取り巻く状況は一変していました。
そして、17世紀・・・・・
「天草・島原の乱」を頂点とするキリシタンの受難期。
この展示では 日比間でなんらかの交流があった
6人の人物にフォーカスしています。
長崎26聖人の一人となった
ペドロ・バウティスタ
日本人初のキリスト教聖職者となった
ドミニコ会の司祭
トマス西 六左衛門
マニラ・イントラムロスの
世界遺産・聖アグスティン教会博物館に
その殉教の絵が展示されている
長崎のマグダレナ
フィリピン人として初めての殉教者である
ロレンソ・ルイス
そして日本から追放されたマニラで熱病に倒れた
高山右近
日本人最初のアウグスチノ会の聖職者となった
マジシャンまたは忍者司祭としても有名な
トマス金鍔次兵衛
そして、その当時、キリスト教としては
兄貴分であったフィリピンには
どのような教会があったのか・・・
どのような日本人たちが そこで闊歩していたのかに
想いを馳せてみます。
フィリピンの古い教会を
フィリピン大学バギオ校の美術学科
Society of Visual Arts (SVA)所属の学生たちに
描いてもらいました。
そして、これはその立体作品のひとつ・・・
元々のフィリピンの教会は ニッパハットだったそうです。
そして、そのような歴史を踏まえて
「250年の沈黙、日本の潜伏キリシタン」というテーマで
ポスター制作に応募いただいた力作の展示。
このコンテストの運営は
Bag-iw Art Society の皆さんに毎年
お願いしています。
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