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バギオの歴史コーナー - 戦時編 <その4>


この「バギオの歴史」コーナーでは、シリーズとして、「続 イフガオの墓標」 (宍倉公郎著 昭和55年 育英印刷興業 発行)からの抜書きをご紹介しています。

今回は、バギオの東側近郊、金山ビッグウエヂ(バギオの南東のアトックの中にある)、アンタモック、トーデン、イトゴン方面の記述を見てみましょう。

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p98-101

山下司令部がシティカンプの大地下壕に入る前にバギオ到着早々に一時的にジェネラルホスピタルに入ったことがあった。

バギオ東方5キロの谷底にアトック・ビグウェヂという鉱山があった。 

p108-128

バギオは1月12日以降米軍機による盲爆撃が次第に激しさを増した。
病棟の屋根いっぱいに画いた赤十字標識を無視しての米軍の無差別爆撃によって、吾が第七十四兵站病院は、その機能を半減したが、この頃、激化する空襲を避けるために郊外にある金山(ビッグウエヂ)の坑道を利用して構築中であった半永久的な地下病棟も・・・(略)工作隊が突貫工事でこの設営にあたり、1月15日以降、・(略)・・軍医8名、看護婦四ケ班と患者達が続々と本院から転送された。
しかしビッグウエヂ付近のゲリラの状況は極めて悪化していた。 隣接するアンタモック金山や付近の日本人住宅が、たびたび襲撃をうけ、・・・・

(中略)

ビッグウエヂからこの川越しに見上げるバギオは郊外の山下軍司令部まで直線距離にして僅かに3キロたらずで、司令部専用の集会所白雲荘の白い建物が、緑の松林ごしに目の前の山頂に見え、松葉の散り敷いた山道を尾根伝いに登ると、この白雲荘のすぐ真下に出ることができた。

(中略)

トーデンからでこぼこの坂道を下りて行くと、坑道地区には道路に添った両側の松林の高台にコテジ風の家大小30戸、これを抗外病棟と呼んで軽症患者二百名を収容していた。 更に二百メートルほど行くと、左側の山裾に金鉱採掘用の坑道があった。 坑道の総延長は約4キロといわれ、・・・重症患者ばかり百五十名を収容した。

(中略)
バギオ防衛司令部の情報に依るゲリラの勢力は、イトゴンに約800名、アコバンに500名、ツエンリバーに400名、トリニダッドに500名、サブランに200名、ツブライに200名、オロラヘルに150名であった。

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注:  ジェネラルホスピタルは 今のバギオ市総合病院、 トーデンはトゥディング、 オロラヘルはオーロラヒル と考えられます。
叉、白雲荘とあるのは キャンプ・ジョン・ヘイ辺りの建物ではないかと思われます。
今のホテル・マノールの場所に以前はメイン・ホールと呼ばれる白い建物がありました。

ちなみに、最近亡くなった元抗日ゲリラの方はイトゴンの方でした。
その方のご家族からの連絡で、日本兵の霊がその方にとりついているらしいとの話があり、二度に渡り戦没者慰霊とお葬式に伺いました。

次回の<その5>では、 バギオの北方、ラ・トリニダッドからボントックへ向う ボントック道(ハルセマ・ハイウエイ)沿いの記述を探してみます。
by janlbaguio | 2010-06-02 00:10 | History バギオの歴史
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