バギオ市に滞在するのであれば、是非とも知っておきたいこと。 それがシスター海野と日系人の話です。 ここでは、2018年3月25日に開かれる勉強会で使われる資料の一部をご紹介します。 「バギオの虹 - シスター海野とフィリピン日系人の100年」 鴨野守著 2003年初版 ..
第三章「神の使い」シスター海野 ..
1972年1月19日。 六十歳の定年を迎えたシスター海野は修道会の許可を 得て、マニラの地に降り立った。 三か月近く、ケソン州で身体 障害者の世話をしてすごしたのだが、マニラの灼熱は酢スター海野 の体にこたえた。避暑地として有名なバギオ市で、しばらく静養 してはどうかと周囲は勧めた。
![]() ベンゲット道路を走るバスの車中で、シスター海野は見知らぬ人から、 「あなたは日本の方ですか。 この道路は、かつて日本人労働者 が出稼ぎに来て、尊い犠牲を払いながら建設したものですよ」と 話しかけられたという。 ・・・「その日本人の子孫は今、どうしているのだろうか」と いう疑問を持つ。 ..
シスター海野はこんな言葉を残している。 「ここ(フィリピン)に来る前に、戦争の残した傷のことは知 っていました。だから、この国に来ました。物質のためだけではな くて、心のために来ました」と。 ![]()
「或日私の小さいラジオが悪くなったので一つの小さな店に入 って聞いた。その人は、カタリを照介してくれた。・・・・」
私は、シスター海野と最初に会った日系人、大久保さだえ(カタ リナ・プーカイ)をバギオ市内の自宅に訪ねた。 さだえは、 小学校の教師をして戦後を過ごした。 .. 父大久保登は1894年、広島県に生まれた。三十二歳の時に来比。 ・・・七人の子をもうけた。全員が戦前に生まれたが、幸い誰も 戦争で亡くなることはなかった。父が家の近くに造った防空壕が、 彼らの命を守った。バギオ日本人学校の三年生まで通っていた さだえには、バギオに残っている日系人だけで約三十人ほどの見当 はついていた。 .. ・・・さだえが最初にシスターに引き合わせたのが、オセオ浜田 だった。オセオ浜田もまた戦後、日系人であることを隠さずに生 きていた例外的な存在だった。 戦後すぐに印刷所を経営し、 週刊の新聞も発行していた。彼が迫害を受けなかった一つの要因は、 結婚した女性が地元で影響力のある家系であったということが大きい。 ![]()
シスター海野のもとに集まった日系人は二十八人。 ・・・二か月後の会合には百二十五家族が参加。 五年後には 約一千人の日系人がシスターの手で探し出されたのであった。
翌1973年6月2日、再び日系人がバラバラにならないよう にと組織化されたのが、「北ルソン比日友交協会」である。 初代会長にオセオが就任した。 ..
二世は口々に、自分は父親から「正直でありなさい」とよく 言われましたと答えた。 そして、父がしばしば口にした言葉 が「誠実」「勤勉」だったという。 ..
「・・・どういう援助をしてほしいですか」 二世らの発言はシスターの予想を見事に裏切った。 「シスター、私たちは貧しさには慣れています。私たちのこと は心配しないでください。 しかし、私たちはたくさんの子ども を持っております。貧しさから抜け出すために子どもたちに教育 を授けてください」 ..
シスター海野が、バギオの日系人たちに約束した奨学金制度は、 その後見事に開花し、今日なお多くの善意が日本から送られて 継続されているが、その発端はシスター海野の遺骨収集にある。 ..
「この方々の生活状態、戦前、戦後、戦時中に起こった事等 云い知れぬ苦しみ貧しさを知り強く生き抜いてきた事、日系 たるがゆえに不利な立場に置かれた事、各家庭の悲しい歴史等を 聞いて歩いて私の感じたのは、終戦を迎えたが、戦後の片付けは 終わっていない」 ..
「本当に道のないところではシスターを引っ張ったり、高い所 へはシスターのお尻を押して上りました。・・・」・・・一緒に 遺骨収集に同行した東地初子は・・・・懐かしそうに当時を語った。 ..
「骨がバラバラに散乱しているのを見るのが辛かったですね。 これを日本に戻してやりたい、その一心でした。好きで兵隊 さんになったわけでもない人もいれば、この地で餓死したり、 病死された方も多いことでしょう。それをそのまま、野ざらしに して置いたのではあまりにも亡くなられた方が惨めです」 ![]()
病院の跡地と思われる場所では、たくさんの遺骨がびっしりと 重ね合わさって発見された。 そこが、遺体の安置された場所 だったのだろう。時には靴やボタン、メダルの着いた軍服が発見 された。名前の刻まれた服が日本の遺族の手に届けられたこともある。 ..
元軍人たちにとって、亡き戦友の遺骨を探し、弔ってくれることほど ありがたいことはないのだ。 そのお礼に何かをしたい、と申し出があれば、シスター海野は 日系人たちの戦後の窮状を語り、その子らへの教育支援を要望した。 こうして1974年、4人の大学生が初めて奨学金を受けること ができた。 ...
農協づくりの目的を「貧しい農民を援助するには、彼らに組織が必要であり、 彼らに助け合うことの大切さ、自立心を植え付けたい」との考え からだと説明している。 ..
時を同じくして進められたのが、農業の基盤整備だった。つまり 農作物を運ぶ農道の整備、灌漑用のため池の設置、飲料水用井戸、 洪水対策などである。 ..
正式調印の話を病床のシスターに報告すると、シスターは 「早く工事が完成し、皆が喜ぶ顔が見たいです。これが完成する まで私はしねません」と話した。 だが、シスター海野は工事の完成を見ることなく1989年の12月31日、 永遠の眠りにつく。 .. ..
1983年2月20日。 ベンゲット道路建設のために日本人が出稼ぎに来て から80周年を祝う式典が行われた。
![]() 同じくこの日はバギオの日本人墓地の一角に建てられた納骨堂の 落成式が行われた。 納骨堂には、戦前戦中にバギオで亡くなった 日本人の名前が刻まれている。 ..
1986年11月には、日比親善友交会館・アボンが開設した。 ・・・かつて修道院だったこの施設はその後増築し、日本から 訪問した人たちが宿泊できる施設も備えている。
1989年11月18日。 シスター海野がオセオ浜田らと日本の関係者の 支援を得て強力に推し進めてきたベンゲット道路展望台 (ビューポイント)の落成式が行われた。 ![]()
「これが最後の仕事になるかもしれない」と周囲にもらして いたベンゲット道路ビューポイントの完成を見届けてから40日 後、1989年12月31日午後10時50分頃、シスター海野 は永遠の眠りにつく。 ...
生前、「第二の人生を喜びに満ちたものにしてくれたフィリピン が大好きです。フィリピンの土になりたい」と語っていたシスター 海野のお墓は、日本人墓地の納骨堂の向かいにひっそりと立っている。
=========== ![]() ![]() ![]() filipino japanese foundation of northern luzon inc. baguio city, philippines filipino japanese friendship association of northern luzon a book about sister Unno abong
by janlbaguio
| 2018-03-21 23:41
| History バギオの歴史
|
カテゴリ
全体 Link お役立ちリンク集 生活便利帳inバギオ 会の目的・方針 Activity 活動内容 Org 会の組織 JAPITAC 日比平和演劇祭 Blog 会員のサイト紹介 会員 エッセイ・コーナー History バギオの歴史 Neighbers ご近所情報 AJISAI 文化交流 network Contact 御問合せ連絡先 未分類 タグ
国際交流(464)
ニュース(386) フィリピン事情(330) バギオ(316) 海外生活(294) 北ルソン日本人会(210) 国際ボランティア(195) 歴史(152) 日系人(109) 北ルソン(80) 生活情報(72) 分科会(44) フィリピン(44) 食べ物(14) 日本語(12) 生活リンク集(9) 組織(5) 目的方針(5) メンバー募集(4) サヨテ(2) フォロー中のブログ
メンバー・その他リンク集
老舗のフィリピン専門旅行代理店、フレンドシップ 麗しの外国暮らし 看護師みささびさんのブログ ジャトロファに燃える 饅頭カトーCCさんのブログ イッシンさんのブログ リボーン・ライフ・イン・バギオ編 イッシンさんのブログ マニラ編 佐世さんのブログ 環境NGO CGNさん りけるけさんのブログ CGNスタッフさんブログ 味と憩いの日本料理 CHAYA バギオ留学.com 小島さん@耶馬溪のブログ フィリピン留学BECI .....日本オフィス 英語教師・日本語教師のトレーニングなら The Blue Files Learning & Training Center 親子で安心ステイ、新感覚のゲスト・ハウス TALA 台風情報 フィリピン安全情報 JAPITAC日本支部 日比国際平和演劇祭実行委員会のサイト NHKラジオニュース 日本インターネット・ラジオ あなたの故郷はどちら? みてみてジャパン 世界の中の日本人 「バギオ物語」by マニラ新聞 以前の記事
2024年 04月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 01月 2021年 12月 2021年 07月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||