2008年8月3日 ライオン道戦跡慰霊訪問団 34回目のバギオ訪問
バギオへの戦没者慰霊を昭和50年から毎年続けている
「ライオン道戦跡慰霊訪問団」の皆さんに同行しました。今年は34回目のバギオ訪問だと伺いました。
この訪問団の名称は、今は亡きバギオの修道女
シスター海野が名付けてくださったのだそうです。(ライオン道とは、ライオンの頭部の石像があるケノン・ロードのことです。)
8月2日には ラ・トリニダッドの北にある戦跡
21Kとアトックを訪問されたそうです。
訪問団の団長は愛知の鈴木さんと静岡の川崎さんで、山下大将直轄の偵察と護衛を勤めた
捜索16連隊で終戦までバギオ近郊で戦った方でした。 訪問団の他の参加者は、将兵だった親の面影を偲ぶ次の世代の方々でした。

ナギリアン・ロード、激戦地だったイリサンの道と雨に霞む山。
一ヵ月後の
9月3日は奇しくも、バギオのジョン・ヘイで
「山下奉文大将が降伏文書に署名をした日」
としてフィリピンの記念日 となっています。
ナギリアン道路はあいにくの雨でしたが、その雨の中で線香を点して道路脇での慰霊が行われました。ナギリアン道路での
激戦地イリサンでは、慰霊碑も無い道路脇での合掌となりました。
北サンフェルナンド(ラ・ウニオン州のサン・フェルナンド市)のポロ・ポイントと呼ばれる岸壁は、日本からの兵員・物資が命からがら揚陸されたところです。

今は静かな波音だけが聞こえるサン・フェルナンドの港。日本からこの港に無事に辿り着けなかった船舶・将兵も多いと聞きます。 そして、やっと陸揚げされた戦略物資はバギオへ運ばれる前に大部分がここで破壊されたのだそうです。

サン・フェルナンドから30分ほどのところにある
アゴオ(Agoo)の町役場。
その町役場の前庭には立派な
「日比友好平和之塔」がありました。

そして、その記念碑の裏には
「独立混成第五十八旅団(盟兵団)隷下各部隊戦没将兵11,445柱の英霊此処に眠る。・・・1993年3月30日」と書いてあります。
リンガエン湾を埋め尽くした米国の艦船からの一週間にもわたる艦砲射撃で海岸線の防衛にあたった日本軍陣地はことごとく粉砕されたのだそうです。

蝋燭と線香に火を点し、慰霊をする皆さん。
そして、8月3日の夜は アボン(北ルソン比日基金の会館)で訪問団の皆さんとアボンの皆さん、そして今回の慰霊に協力・同行された方々が集いました。
訪問団の方がたからフィリピンの子供達への奨学金が贈呈され、その後は皆さんの余興が披露されました。

今年もお元気な福田さんは、「バギオで眠る兄に会うと、元気が出ます。」とおっしゃり、
「木曽路の女」の名調子。

アボンの若い人たちは 日本語で一所懸命にゴタイゴの「ビューティフル・ネーム」などを・・・

飛び入り参加は、訪問団のお一人 静岡の川崎さんの個人的戦跡を辿ってイトゴン方面の山々を道案内をなさった山岳州出身のミュージシャン ブライアンさん。 カンカナイ語で
「美しい女の人」という歌を披露されました。
「その美しい顔を見ているだけで、なにも食べなくても何日も生きていられるというくらい幸せ」だとか。

そして、アボンの役員さんたちも過去34年にも渡る訪問団を歓迎し、奨学金のお礼にと歌をうたわれました。
もうすぐ90歳に手が届くとおっしゃる鈴木さんと川崎さん。
来年も是非お元気でバギオへお越し下さい。
慰霊訪問35回記念とバギオ市制100年祭を祝い、戦争で亡くなった方々の霊を慰める為、そして今からの新しい平和な100年の為に一緒に日本の桜を植えましょう。
捜索第16連隊については
こちらのサイトをご参照下さい。
(2008年8月3日の同行記録です)