12月31日は
シスター テレシア海野 の命日。
その19回目の シスターを偲ぶ集いが アボン会館で開かれました。
これが そのアボン(小さな家)。
その入り口に掲げられた銘文には このように記されています。
(翻訳はJANL・ho)
この会館は 比日友好協会(1972)及び 北ルソン比日基金(1987)の創始者/オーガナイザーであるシスター テレシア海野 の記念に 心をこめて捧げます。
日本の静岡で退職した教師であったシスター テレシア海野は、
「何か私に出来ること」を探してフィリピンにやって来ました。 人を助けるという燃えるような情熱に染め抜かれ、シスターの最後の18年間は、バギオ市と北ルソンの日系フィリピン人を探し出し、皆を集め、そして支援することに捧げられました。
最初の熱心な日系人グループと共に、シスターは1972年に友好協会を、1987年には基金を創設することを促しました。 今日、その日系人達は、四半世紀前にシスターが始めた使徒としての役割とその使命を継続するために定期的にABONG(小さな家)に集っています。
この記念会館は、 シスター テレシア海野 の無私で忍耐強い人道的な仕事の遺産及び輝ける証として建てられました。
―以下省略―
フィリピン・バギオ市
1998年11月15日
シスター海野を偲んで 朝のミサが執り行われました。
この朝 この会館に集まり、祈りを捧げる日系人やその奨学生たち。
その最前列には、フィリピン日系人会連合会・会長であり、北ルソン比日基金の理事長、そして日本国名誉総領事でもある カルロス寺岡氏の姿がありました。
二つの祖国の間で、戦中・戦後の長きに渡って苦しんで来た日系フィリピン人。
北ルソンの山々に隠れ住んできた その日系人の歴史を辿るとき、シスター海野が果たされた
「何か私に出来ること」の大きさが ひしひしと伝わってくるのです。