カテゴリ:History バギオの歴史( 83 )

フィリピン・バギオ -日本人・日系人の歴史: 佐々木靖著

「コルディリエラの日系人」という非常に貴重な資料を
インターネットで見つけましたので、バギオに関心をお持ちの
皆様にご案内いたします。

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tandai32-02.pdf

丁寧に日系2世の皆さんのインタビューをされていて、
バギオの日系人団体である 北ルソン比日基金及び友交協会の
関係者の皆さんの歴史についても詳しく書いてあります。

著者である佐々木靖氏に敬意を表したいと思います。

== 以下 サイトより引用 ==

コルディリェラの日系人
佐々木  靖
目次
はじめに
第1 章 フィリピン日系人の戦後
 ジャーナリストたちの報告
 ミンダナオとビサヤの日系人
  アルツーロ・ハギオ(萩尾行利)のケース
  サルバシオン・モレノ(川上美保子)のケース
 北ルソンの日系人
  ジャニー・ダビット(長岡良男)のケース
  ジュリエッタ・ロカノ(東地初子)のケース
  シスター海野
  カタリナ・プーカイ(大久保さだえ)のケース
  ハマダ兄弟のケース
 まとめ
第2 章 ルソン戦
 ルソン戦まで
 山下司令官着任
 台湾沖航空戦
 レイテ決戦
 捷1 号作戦
 ルソン戦
 リンガエン湾、バギオ、バレテ峠
 キアンガン
コルディリェラの日系人
− 10 −
 降伏
 ルソン戦と在留日本人
 ルソン戦と日系人
  尾辻ヨシのケース
  マリエ・エスカーニョのケース
 まとめ
第3 章 マウンテン州の日系人
 ヒル・ステーション
 ベンゲット・ロード
 戦前のバギオ
 マウンテン州へ
 ボントック
  アポロニア A.オルプレシオのケース
 サガダ
  ドクター・レオンシオ・カルリンのケース
  ヘンリー・ヤマシタのケース
 まとめ
むすび



   
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by janlbaguio | 2013-01-12 14:51 | History バギオの歴史

書籍 「日の丸が島々を席巻した日々 フィリピン人の記憶と査察」

"Under Japanese Rule - Memories & Reflections " (of Filipinos)
Edited & with Introduction by : Renato Constantino
Translated by : Makita Suito
Published by : Daily Manila Shimbun


書籍のご案内です。

本日12月8日は、日本とフィリピンとの間での太平洋戦争が始まった日です。
フィリピン・バギオ市の キャンプ・ジョンヘイに 日本軍の飛行機によって
最初の爆撃が始まりました。

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この書籍は マニラ新聞が発行したものです。

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日本語版の目次は この通りです。
レナト・コンスタンティーノ編、水藤眞樹太訳

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元々は英語版があって、今回日本語訳とともに 一冊の本として出版されています。
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マニラ新聞にてお求めください。
詳しくはこちらのサイトでご確認ください。
http://www13.ocn.ne.jp/~tip/manila-paper-2.pdf
 
 
 
 
 
   
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by janlbaguio | 2012-12-08 09:09 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ (11) 市役所周辺

1903年に ケノン道路建設の為に日本から移民してきた第一陣
中に、三重県出身と思われる加藤さんがいて、子どもに伝えた話という
のがあります。

その話によれば、バギオ市の建設が始まった当初に、加藤さんは
大工のグループの一人として、バギオ・シアターや バーンハム公園から
市役所へ向かう道路沿いのいくつかの建物を作ったとされています。

そのひとつが プロテスタント教会だとされていましたので、
当時をご存じの写真家の古屋さんにお尋ねしたところ、この教会に
案内いただきました。
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これは、バーンハム公園からバギオ市役所を写したものですが、
この右側を見ますと。
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このような教会が建っています。

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この教会の現在の建物は建て替えられたもので、当時の教会の
建物には、大きなステンドグラスの窓があったのだそうです。

さて、上記の加藤さんですが、
その後1930年代に マンカヤンにあるスヨク鉱山やレパント鉱山
の周辺で、鉱山関係の建物や製材所などの建築に、大工グループの
一員として働いたそうです。

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また、同じ加藤さんかどうかは不明ですが、
こちらのサイトに掲載されている サウス・ドライブの道沿いにある小さな鳥居も
加藤さんが作ったものだという話です。
http://baguiotour.exblog.jp/10111008/


ところで、北ルソン比日基金(アボン)が発行した
Japanese Pioneers in the Nothern Philippine Highlands という
写真集の巻末にある日系人リストによれば、
英文でのリストの一世の頁に6名の「Kato」の名前があって、
和文でのリストの「加藤」には4名の名前があるのですが、
和文のリストの出身県欄には この4名が福島県と神奈川県とありますし、
職業欄には 養蚕や農業となっていますので、 大工である加藤さんは
あとの2名のうちの 加藤エイキチ あるいは 加藤ワイチ の
いずれかの話ではないかと思われます。
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by janlbaguio | 2012-09-27 18:01 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ (10)  市役所周辺

このお話は、戦前のバギオ日本人学校で、当時小学生であった写真家の古屋様から
の情報を元にしております。

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この写真は、右側の建物がバギオ市役所で、左は歩道橋です。
この青空・・・戦時中の古屋様のお話です。

1941年12月8日、バギオ市のジョン・ヘイに 日本軍の爆弾が投下されました。
その時、バギオ日本人学校で授業中だった子供たちは、先生たちから何も
知らされず、ただ親が学校に来るのを待つように指示されたのだそうです。

その当時 日本人会の会計担当であった郡司忠勝氏の著書「思い出はマニラの海に」
には次のように描写されています:

「西の空から爆音が聞こえた。 近ごろになってバギオの空に時おり訓練機が飛来
したが、今朝は音も様子もなんとなく違っていた。 ・・・ジョン・ヘイ米軍基地の方角へ
一直線に丘をかすめて飛んで行く数機の黒い影を見た。 ・・・・
遠くで数回の爆発音がして、分厚い大きなウインドのガラスがびりびりと波を打った。
・・・二十分ほど経ったころ、街中が騒然となって・・・・」

しかし、当時ロクバン地区にあった日本人学校に居た古屋さんには、その爆撃
の音は聞こえなかったそうです。

そして、その時から、日本人学校は「日本人収容所」となります。
その日の夕方、日本人が溢れた小学校から、男たちは、ジョン・ヘイの中に作られた
別の収容所へ移されます。


1941年12月25日午後、日本軍がバギオに入城します。
収容所から解放された日本人家族は、当面の居住のためにホテルなどに入った
のだそうです。

その時、古屋さんの家族が泊まった場所かここだったのだそうです。
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バギオ市役所のすぐ前にある この保険会社の建物。
ここに 古屋さんの家族が一時的に入ったホテルがありました。

そんなある日、古屋少年がホテルから外に出て、市役所の方角の青空を眺めて
いると、そこに一機の日本軍の戦闘機が 低空飛行で現れます。

古屋少年の目に 戦闘機の日本人パイロットの顔が はっきりと見えたと言います。
そして、思わず 古屋少年は ペコリとお辞儀をしたそうです。

すると、そのパイロットは、古屋少年に戦闘機の中から 敬礼を返してくれた
とのことです。

・・・・

1944年9月21日、アメリカ軍機およそ500機による マニラ大空襲。

1945年1月、 古屋少年の家族は、バギオを抜けだし、ラ・トリニダッド、ハルセマ道路の
21キロ地点を過ぎる辺りまでバスで避難。 
その後は徒歩で、 山下道路 - ソラノ - キャンガン まで、おおよそ1ヶ月かかって
移動したそうです。

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その ラ・トリニダッドでは、今のベンゲット州の州庁舎のすぐ斜め前に川があって
橋が架かっているのですが、この橋が米軍の集中的な砲撃、爆撃を浴びて
破壊され、避難する日本人がばたばたと倒れ、死体が累々としていたそうです。
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その後は、キャンガンからアシン河沿いに上流へ向かい、北西の「バクダン」と呼ばれる
村の辺りから、さらに北西の方面で、アメリカ軍による爆撃からの逃避行を繰り返す
毎日となったのだそうです。
この周辺には、マニラから逃げてきた日本人が多く、 バギオからの避難組は
キャンガンから南西方面の「ホヨ」という名前の村周辺に多かったそうです。











 


   
    
   
    
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by janlbaguio | 2012-09-27 15:52 | History バギオの歴史

バギオ歴史探訪シリーズ (9) 追加情報  市役所周辺

バギオ歴史探訪シリーズは (8)までで一旦終了しておりましたが、
戦前にバギオの日本人学校に在籍していた古屋様と同校の同窓会のご提供で
さらに情報が寄せられましたので、少しずつご紹介していきたいと
思います。

今回は、バギオ市役所の周辺を散策します。

まずは前回のシリーズ2 をご覧ください。
http://janl.exblog.jp/13538369/


この HERITAGE MANSION に関する情報です。

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現在はホテルとなった建物のホテルの受付に、このような写真が
飾られています。
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この写真の下の説明書きには、以下のようにあります。
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「ミュラー邸は 建築家アルセニオ・ヤンドックによって設計され、
熟練した日本人の大工達によって1930年代に建築されました。
第二次世界大戦中は日本人によって軍司令部として使用され、
後には戦後のアメリカによって司令センターとなりました。
1940年代末にミュラー・ホテルとして開業し、1960年代初頭には
D'Marksイタリアン・ピザが短い期間ですが入っていたことがあります。」

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尚、この説明には書いてありませんが、当時を知る古屋氏によれば、
この邸宅は日本領事館として利用されていたとのことです。

又、別の書籍の記録では、現在のバギオ市役所の中に日本領事館が
あったとの話もあります。

上記に軍司令部という言葉が出てきていますが、
日本の「軍政監部」は 現在の Baguio Central School にあったとのことです。
(軍政監部は、軍政部とも呼ばれ、軍事組織の下に行政をおこなう機関だったそうです。)

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現在のバギオ市役所の向かって左側にある この学校です。

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 この写真は、バギオ日本人学校同窓会のご提供によるもので、
「軍政監部北部ルソン支部」とあります。

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「Baguio Central School 日本軍はこの建物を押収、 軍政監部呂宋支部
として使用した。  徴用された多くの邦人がここで働いていた。」

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「昭和18年 
軍政監部は11月末解散、現地徴用軍属、現地除隊軍属は解雇されたので 
その直前撮影された写真? 」

注: 上記の古い写真の説明文「・・・」は、バギオ日本人学校同窓会の方による
   コメントです。


このシリーズの中の古い写真につきましては、「バギオ日本人学校同窓会」の
提供によるものですので、転載などは固くお断りいたします

 
 
 
 
 
 
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
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by janlbaguio | 2012-09-27 14:41 | History バギオの歴史

戦前のバギオに こんな鳥居が : UPバギオ図書館

ある展示会を見学するために、フィリピン大学バギオ校の図書館に行きましたところ、
図書館の壁に このような写真を見つけました:

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日本の鳥居です。
写真に記入された説明を読みますと、バギオ・カントリー・クラブと書いてあります。

この写真は、図書館の壁に展示された バギオの戦前の様子と、現在の様子を
並べた写真展で、これは戦前の写真の中の一枚です。
アメリカから提供された写真であると記載があります。

バギオの戦前、戦中の様子を書いたある本によれば、
バギオが日本軍に占領されていた頃に、今のバギオ・コンベンション・センターの
裏側あたりの小高いところに、神社が建てられたという話もありますが、
この写真の鳥居は、カントリー・クラブの敷地内の庭園の一部であるようです。

(注: 昭和19年に建てられたバギオの「神明神社」については、こちらのページに
    「続 イフガオの墓標」からの抜き書きがございます。
    http://janl.exblog.jp/10965319/   )



============

ところで、フィリピン大学バギオ校の図書館に行った そもそもの理由ですが、

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この大学の卒業生二人による 作品展です。

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この「二人展」のお二人は、昨年のJANL主催の七夕祭りで バギオ博物館での七夕の森の制作に尽力をいただいたUP-SVA(フィリピン大学ビジュアル・アート同好会)のメンバーです。
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図書館の建物に入るとすぐ右側にその展示会場があります。
9月15日まで展示しているそうですので、 上記の戦前の写真の見学も合わせて 立ち寄られてはいかがでしょうか。

尚、戦前の写真は、図書館の読書室の右側の壁に展示してありますので、
読書中の学生の皆さんの邪魔にならないようにご注意をお願いいたします。

以上、ご案内まで。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    
   
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by janlbaguio | 2012-08-17 02:11 | History バギオの歴史

カー・マガジンに バギオと日本人の関わりが



去る3月にトヨタ・プリウスのテスト走行をするチームが
バギオを訪問。
フィリピンの自動車専門誌「トップ・ギア」のスタッフが
バギオ在住の日本人や日系人に戦前のバギオと日本人の関係、
そしてその歴史を聞き取りました。

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「JAPAN IS BACK!」というタイトルの5月号は
日本車復活を特集した内容。

その中に、バギオと日本人の関わりが掲載されたのです。
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(写真の上でクリックすれば拡大できます。)


ベンゲット道路の建設は1900年に始まり、その責任者
はアメリカ人のライマン・ケノンでした。 彼は様々な国籍の
2,000人以上の労働者を雇い・・・・
フィリピン人がその多くをしめていましたが、その次には
日本人のグループがいたのです。 彼らの多くはマラリアや
事故で死亡しました。 しかし、生き残った日本人たちは
結局バギオに定着したのです。 セッション・ロードの
初期の写真は多くの店が日本人の経営であったことを
物語っています。」


ブレント・インターナショナル・スクールのキャンパスでは、
「この場所は、日本占領時代には日本帝国陸軍の主たる病院
だったのです。・・・ルソン島の中だけではなく、アジア
太平洋地域の全域の中での中心的病院だったのです。
歴史の本には、負傷した日本兵たちは日本へは送られず
バギオへ移送されたと書いてあります。それは、日本国民に
負傷兵の数を知られないようにするためだったのです。」


そして、カーサ・バリエホという歴史的ホテルでは、
「カーサ・バリエホも戦時中に日本陸軍によって利用されました。」

このチームは、日系人団体のアボン会館も訪問し、
北ルソン比日基金事務局長から 日本人、日系人の歴史を
聞き取っていました。
「アボンのエスカニオ事務局長から鮮明な戦争の話を聞いた後、
我々は戦争の恐ろしさを今に伝える70年代に建立された
日本平和公園を訪れた。我々にとって、胸の痛む、感動的な、
そして驚くべき午後となった。」
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(この写真の左下に 日本平和公園(日本庭園)の慰霊碑が写っています。)


このトヨタ・プリウスのチームがバギオを訪れることに
なったのは「山下財宝」の話が冗談で出てきたことが
発端だったようです。

しかし、この文章の最後には このようにありました:

「それで、山下財宝はどこにあるのだ? この言葉の響きが
安っぽいものであるように、本当の宝物は我々の過去に関して
我々が持っていた様々な物語にこそあるのです。
もし幸運であれば、その当時にその場所に居た人たちから
このような話を聴くことが出来るのです。
歴史の意味というものはどんな財宝の値打ちよりももっと
貴重なものなのです。」

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(当時のベンゲット道路は 今はケノン・ロードと呼ばれています。)


 
 
 
     
     
     
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by janlbaguio | 2012-06-01 03:07 | History バギオの歴史

北ルソン日系人の母、シスター海野メモリアル in Abong

フィリピン・北ルソン・バギオの歴史の中で、特に日系人にとって、シスター海野を抜きに歴史を語ることは出来ません。

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12月31日は 北ルソンの日系人の母とも言えるシスター海野の命日です。

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バギオ市にシスター海野の尽力によって、日系人が集う場所として建設されたアボン(ABONG)会館に、北ルソンの日系人や奨学生たちが集まり、シスター海野を偲びます。

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戦中・戦後の苦しい日々を乗り越えてきた日系二世から五世・六世にいたる皆さんが敬虔な祈りを毎年この日に捧げています。

そして、シスター海野の今に引き継がれている業績を振り返ります。
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戦後の日系人排斥の中、山奥に隠れ住んでいた日系人を捜し出す。
戦没者の遺骨を探し出し、慰霊を行うこと。
そして、日系人の生活向上に資すること。
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1972年に初めての会合が開かれ、それから2年後に戦後初めてのクリスマス会が日系人の皆さんによって開かれました。

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これは、ハルセマ道21キロでの戦没者慰霊の十字架です。

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そして、これは、シスター海野の数々の支援事業。
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慰霊碑。
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日本庭園。
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水道事業。
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農業共同組合。

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ありし日のシスター海野。


シスター海野については、こちらのサイトでどうぞ:

http://ginzanokaze.music.coocan.jp/unno/unnoke.html

http://www.tokyo-shiba-rc.org/service/service03.html

シスター海野に関する書籍 :  バギオの虹
 
 
 
 
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by janlbaguio | 2011-12-31 16:12 | History バギオの歴史

Japanese Trail という名の エコ・トレール in バギオ


<バギオの歴史>

バギオ市のキャンプ・ジョン・ヘイの中に、Eco Trailというハイキング・コースがありますが、その延長上に Japanese Trailと呼ばれているコースがあることが分かりました。

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こちらのサイトの情報によれば、以下のようなことが書かれています。
このサイトは、バギオ市内での乗馬コースについての紹介サイトです。
http://www.gobaguio.com/baguio-horse-trails.html

Japanese Trail

This follows the route taken by the Japanese as they left Baguio City towards Nueva Vizcaya at the end of the Japanese Occupation of the Philippines during World War II.
If I remember correctly, we still headed up towards Beckel to Ambuklao Road, turned somewhere and ended up at Ambiong Road. We passed through some crowded residential areas on the way down.

ジャパニーズ・トレール
このルートは、第二次世界大戦中のフィリピン占領が終わった時に、日本人がバギオ市から
ヌエバ・ヴィスカヤへ下りていった時に辿った道です。

・・と説明があります。

ただ、これには、もうひとつの説明も聞いています。

バギオで開催された 第二回アジア太平洋国際平和慰霊祭の折に、主催者からの説明として、日本人がキャンプ・ジョンヘイに出入りする秘密のルートだった、という話がありました。
もしかしたら、いくつかの Japanese Trailと呼ばれる道があるのかもしれません。


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(写真の上でクリックすれば拡大できます。)
この見取り図は、Camp John Hay内の エコ・トレールとJapanese Trailを大雑把に示したものです。

全行程をゆっくりハイキングすると、おおよそ3時間くらいになります。
早足でしたら、その半分くらいでも歩ける距離です。

この「日本人の小道」に関しては、こちらのサイトに慰霊祭の時の写真入りの紹介がありますので、ご参考になさってください。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/12/japanese-trail-.html


今後も Japanese Trail 関連の情報があれば、追加していきたいと考えています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by janlbaguio | 2011-12-21 10:49 | History バギオの歴史

観光スポットのご案内: アギナルド博物館 in Baguio

2011年6月に「アギナルド博物館」がバギオ市に出来ました。
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このような銅像があって、以前からアギナルド・パークとして知られていたようです。

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そのパークの中に、このような博物館が全面改装オープンしていました。

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このアギナルドという名前は フィリピンの初代大統領の名前です。

博物館の係員の方に「なぜアギナルド初代大統領の博物館がバギオ市にあるのか」と伺いましたところ、大統領の娘さんがバギオ市にお住まいだから、とのことでした。

たいへん小さな博物館ですが、一度見学する価値のある博物館です。

お時間のある時に 是非お出かけください。

詳しくは、こちらのサイトをご参照ください。
http://baguiotour.exblog.jp/16476804/

ところで、この博物館で展示されている「フィリピン国旗」と「サーベル」ですが、もしかしたら 
こちらの マニラ新聞・NAVIマニラ に掲載された 古屋正之助氏の物語に出てきている写真の国旗とサーベルかもしれません。

なお、古屋正之助氏は 戦前のバギオ・セッション通りにあったジャパニーズ・バザーで写真部長をされていた方で、JANLの賛助会員である古屋英之助氏のお父上でいらっしゃいます。

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この博物館に関わる もっと詳しいいきさつはインクワイアラー新聞のサイトにございます。



以上、ご案内いたします。




     



  



      
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by janlbaguio | 2011-10-22 00:41 | History バギオの歴史