日本・フィリピン文化交流情報ネットワーク「あじさい」の御案内

日本・フィリピン文化交流情報ネットワーク
「あじさい」 の御案内

拝啓、
日本とフィリピンの文化、伝統工芸、芸能、芸術などの交流に日頃から精進なさっている皆様、興味を持ってそれらの交流に参画なさっている皆様に御案内申し上げます。

この度、8月26日に、バギオを拠点とする「北ルソン日本人会(JANL)」が21名のメンバーで発足することが出来ました。
この新しい日本人の会のひとつの企画として、バギオを中心とした北ルソンに於ける日本とフィリピンの文化交流を相互に応援し、促進する目的をもって、「日本・フィリピン文化交流情報ネットワーク」(愛称:あじさい)を メーリング・リストとして構築したいと考えております。

このメーリング・ネットワークに是非ともご参加いただきたいのは、北ルソンの大学、高校、語学学校、各種団体、マスコミなどで日本とフィリピンの文化交流・友好親善に積極的に貢献されているキーパースンの方がた、及び、日本文化・芸能・芸術などに興味を持つ個人の方々です。

メーリング・リストにご参加いただいたメンバーの方々には、それぞれの組織で企画された日比交流イベント情報をネットワークを通じて自由に発信していただき、それに興味を持つ他のメンバーの方々がさらに情報源となって大きな輪を作っていただきたいと思っております。 それによって、それぞれの交流活動がより多くの方々から関心をもっていただき、日比友好親善の裾野を広げることを期待しております。

このネットワークの愛称を「あじさい」と名付けましたのには、次のような想い・理由がございます。
― 紫陽花は日本原産の花であること。 学名はHydrangea(ハイドランジア)。
   シーボルトが日本女性にちなんで「オタクサ」という名前を付けています。
― 紫陽花は、微妙に色彩が異なる小さな花が集まって、大きなひとつの花として
   大輪を咲かせていること。
― 紫陽花は、至極庶民的な花であり、バギオでも多々見られる花であること。
― フランスの花言葉では、紫陽花は「忍耐強い愛情」「元気な女性」と言われています。

この情報ネットワークの趣旨を御理解いただき、一人でも多くの方々をお誘いいただき、メーリング・リストにご参加いただきますよう 御願い申し上げます。

ご参加いただける組織・個人の方は、 団体名称、氏名、連絡先および emailアドレスを
こちらへお知らせください。  
janl-baguio@mbe.nifty.com (北ルソン日本人会 http://janl.exblog.jp/ )


詳しくは 下記に御問合せいただきますよう 御願い致します。
                                  敬具

北ルソン日本人会(JANL)
janl-baguio@mbe.nifty.com 


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# by janlbaguio | 2007-11-09 05:03 | AJISAI 文化交流 network

Japan-Philippines Cultural-Exchange Information Network



Invitation to
Japan-Philippines Cultural-Exchange Information Network
Ajisai


Seasonal greetings,

This is an invitation to all of you who are interested in, or even with devotion to, cultures, traditional handicrafts, performing and general arts of Japan and the Philippines, and who belong to various fellowships and join events related to them.

We are glad to announce that the Japanese Association in Northern Luzon (JANL), based in Baguio City, was inaugurated with 21 members in August 26th this year.

As one of the projects of this new Japanese fellowship, we would like to build up an e-mail network called “Japan-Philippines Cultural-Exchange Information Network” (nicknamed Ajisai) in order to support and promote cultural exchange between Japan and the Philippines, in northern Luzon, particularly in Baguio City.

We would thus like to call for participation in this e-mail network, leading people who contribute to cultural exchange and friendship programs between the two countries, in universities, high schools, language schools, various organizations, mass media, etc. in northern Luzon, and individuals interested in Japanese culture, performing and general arts, and so forth.

We expect the members of this e-mail network Ajisai to freely provide information through it on events to promote communication between Japan and the Philippines which are planned by represented bodies so that other interested members may pass it to wider circulation of information. We also expect that each event will gather wider interests and will result in promoting more active fellowship between concerned Japanese and Filipinos in this area.

Behind giving this network a nickname Ajisai are several thoughts and reasons as follow:

- Ajisai is a flower which originally comes from Japan. Its botanical name
  is “hydrangea.” A 19th-century German medical doctor and naturalist,
  Philipp Franz von Siebold (1796-1866), who served in Japan, named it
  otakusa after a Japanese woman called Otaki (otakusa < Otaki +
  kusa ‘plant, weed’).
- Ajisai, blooming in a large flower-complex, consists of countless small
  flowers with subtly different colors, which reflexes how we as JANL
  would like to appear.
- Ajisai is a very popular flower among ordinary people, and a lot of them
  can be seen in Baguio as well.
- Ajisai denotes “patient love” or “healthy woman” in the language of
  flowers in France.

We would like you to understand the aims of this information network and to join it together with as many concerned people around you as possible.

If you are interested in joining the network, please relate your name, the name of your organization (if applicable), your contact information and e-mail address to janl-baguio@mbe.nifty.com (Japanese Association of Northern Luzon).

For more detail information, kindly inquire the following.
janl-baguio@mbe.nifty.com

Sincerely yours,

Japanese Association of Northern Luzon (JANL)
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# by janlbaguio | 2007-11-09 04:53 | AJISAI 文化交流 network

バギオのサッカー・チームBFCが マニラのトーナメントに参戦!


JANLメンバーの家族、子供達が 毎週週末に楽しんでいるサッカー。
そのサッカー・チーム、 BAGUIO FOOTBALL CLUB (バギオ・フットボール・クラブ)の子供達が マニラでの試合に参戦しようと練習中です。

その試合、フィリピン中のサッカー・チーム およそ250チーム、3,500名が集う 大きな大会です。
その名も 「アラスカ・カップ」 !!  (なんで アラスカなのか?)

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その開催日や内容は 以下の通り。
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開催日は 11月10日(土)と11日(日)、開催場所は マニラの AYALA ALABANGです。

そこで、このバギオ・フットボール・クラブ(BFC)からの お願いが届きました。
会社、団体、個人からの スポンサーの募集です。
スポンサーになることによって、いくつかの宣伝広告のパッケージを利用することが出来るそうです。 年間スポンサー・シップは 8万ペソから4万ペソ。 個別イベントでのスポンサーは 2万と1万ペソ。  資金的に困難な子供へのサポートは 5千ペソ。 その他 個人の寄付としては 5千ペソ以下でいくらでも 受け付けています。

遠征費などの経済的支援が必要な子供達も この大きな大会に参加できますよう、皆様のサポートをよろしくお願い致します。

詳しくは BFCのアドミニストレーターである Valeree N. Belo (バレリーさん)へ 直接ご連絡下さい。  (御問合せいただければ、連絡先をお知らせします。)
JANLメンバーの MSさん あるいは STさんでも結構です。

もし、マニラにお出かけのチャンスがありましたら、応援もよろしく。
マニラの日本人チームもいくつか参加するらしいですよ。

アラスカ・カップと BFC の関連新聞記事が こちらです


さて、その BAGUIO FOOTBALL CLUB

日頃の練習風景は こんな雰囲気です。
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バーンハム公園に隣接するメルビン・ジョーンズのサッカー場で 毎週土曜日と日曜日の午前中に練習しています。
雨天の時などは たまに BRENT SCHOOL のジムを利用しているようです。

そして、上記の ALASKAカップ に出場したときのユニフォームがこれ。

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ビクトリーライナーのバス会社が メインスポンサー。
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バギオ市や バギオ・カントリー・クラブも スポンサーのようです。

皆さんも たまには サッカー場の片隅にある レストラン ソリバオにいらっしゃいませんか?
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# by janlbaguio | 2007-10-28 16:45 | Neighbers ご近所情報

JANLファミリーの ご近所情報のコーナー


この「ご近所情報」コーナーでは、 JANL自身の活動ではありませんが、なんらかの形で、メンバーの家族や 関連・友好団体などに関わって、 JANLのメンバーやその家族が活躍している情報を お届けします。

メンバーの皆様からの 情報の提供をお待ちしております。

お子様の学校での様子や、関係するグループなどでの活動など、写真にコメントをつけて お寄せいただければ 嬉しく思います。


ML管理人
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# by janlbaguio | 2007-10-28 16:36 | Neighbers ご近所情報

バギオの歴史を学ぶコーナー (3ページ目)

CITY OF PINES 「松の都市」
著者: Robert R. Reed

バギオのイメージ



p45
第一に、そして彼らの報告書の前文という形で、その三人の行政長官らは、次のような言葉で高原保養地に対する公共の要求を認め、これを支持したのです。

フィリピンに於いて長い間必要と感じられていたものは保養地の建設であります。 その保養地では、病状を回復させるイベリア半島の気候、叉は日本の気候、そして中国の海岸などを求めて、国を去ることを余儀なくされた数え切れない患者が、彼らの病気を癒し安心することを得られるかもしれないのです。 提案されているフィリピンの保養地は、医療・病院のサービスを補完することになるでしょう。 それは叉、病気の兵士、元気づかせるような気候の特性を必要とする病気の兵士、が完全に回復するでしょうし、長く深刻な病気で弱った者たちが回復期にあって、身体に滋養が必要な者たちが、徐々に蝕まれた力を取り戻すための適切な保護施設を設けることにもなるでしょう。


p47
<第二に・・・・・>
これらの<病気療養などの理由で海外に行かねばならない外貨の損失を減らすことが出来ると言う>高原保養地プロジェクトの予測される利益のほかに、スペイン人行政長官らは、もっと広範囲にわたる重要性から開発を考えていました ― つまり、山の住民のすみやかな近代化です。 ベンゲットと低地の間にしっかりした道路を建設することを通して、スペイン化されたフィリピン人の流入を促し、イゴロットを文化的、社会的、政治的、そして経済的に変えていく効果を期待したのです。  山岳地帯中心部に大規模な保養地兼リクレーション・センターを作ることによって、スペイン人は同時に、忠実な軍人に道徳的負債を返すこと、フィリピンからペソが流出するのを少なくすること、そして、ルソンの高地民族の近代化に資する事を提案したわけです。


第三に、これが一番重要なのですが、ベンゲット委員会が考慮していた問題は、フィリピンの高原避暑地をどこに置くかという選択の問題でした。 ラ・トリニダッドの多くの快適さは認めてはいましたが、その行政長官らは最終的に、究極の開発の可能性という点から、隣接するバギオの村の方がもっと優れた立地であることが証明されたと結論づけたのでした。 大規模な高原保養地の開発可能性にとって重要と考えられるあらゆる観点 - 健康によい気候、充分な水の供給、農業の将来性、燃料の入手可能性、リクレーションの可能性、そして低地との通信の繋がり - から、バギオが第一位にランクされそうでした。 このベンゲットの村の健康によい環境に関する長々とした解説と、多湿な熱帯地方における他の成功を収めた高原保養地との類似性にしたがって、スペイン人の行政長官らは、現在のバギオの立地場所に大規模な政府の病院を早急に建設するよう強く支持しました。



第三章  バギオの起源
      フィリピンの環境についてのアメリカの認識



p57
フィリピンの大多数のアメリカ人が、熱帯地方での帝国の冒険的試みには健康障害は付き物だと充分理解していたことは、ほとんど疑いありません。 実際、初期の植民地の記録 - 公的なものであれ、私的なものであれ - 何度となく、フィリピン群島の自然や病気の分布に関する長々とした解説が、強調されたのです。 
米国の陸軍がマニラの拠点から突然進出し、フィリピン群島の全域を征服しようと軍事作戦を開始して ほんの4ヶ月ほどすると、アーサー・マッカーサー司令官(ダグラス・マッカーサーの父)は、 「私の軍は 体調が崩壊に向っている。」としぶしぶ認めたのでした。  アメリカの兵隊は、赤痢、腸チフス、マラリア、そして他の多くの病気に襲われていたのです。  植民地全域における遠隔地のアメリカ人の病気や死亡率を大幅に減少させた公衆衛生の手法を医師団が開発し始めてから およそ二年後に、米国フィリピン委員会は、次の言葉で島国の健康状況について表明しました。

これらの島々において、整備された公衆衛生部門が出来れば、衛生条件の総合的な改善が図れることは自信をもって予測出来るかもしれないが、 湿地の低地で作戦を強いられる部隊や、あるいは 駐屯地を作るべきではない状況の中で出来た駐屯地の部隊は、 多かれ少なかれ、下痢、赤痢そしてマラリアにひどく悩まされるのは、疑いのない事実として残るだろう。



p63
残念なことに、頻繁に休暇を取るというのは、大抵は、裕福なビジネスマン、陸軍や海軍の仕官、そして地位の高い植民地官僚に限られていました; ほとんどの熱帯地域の西欧人はただ単に、ヨーロッパやアメリカに長期帰省する膨大な費用を払えなかったのです。
それに、植民地政府も、定期的に家族連れで西欧に帰省したいと願っている何千人もいる平均的公務員や軍人に、交通費や給料を支払うだけの財源を持ってはいなかったわけです。
有給休暇は、実際にほとんどのビジネスマンや政府職員に認められてはいたのですが、これらの休暇の頻度や報酬の形態は、常に、その地位、雇用年数、そしてもちろん、個々人の健康状態によって決まっていたのです。 しかしながら、植民地政府がいかに良く取り扱おうとしても、戦争中や伝染病が蔓延している間は、本土での休暇を取ることが認められる病人であっても、その膨大な人数を支援する充分な財源を確保することは出来ないことがしばしばあったのです。
アメリカがマニラを占領してほんの2年後に、米国フィリピン委員会は、この長引く苦境に関して、次のような論評をしたのです:

熱帯地域では、ひどい負傷や衰弱する疾病からの回復というのは、ゆっくり起こります。
これまでに、膨大な数の傷病兵を日本叉はアメリカへ療養のために送り出さなくてはならないと判明しました。 これには、極めて多くの費用と生命が頻繁に失われることも含まれます。 なぜなら、最も完璧な輸送船と病院船であったとしても、荒波の中での航海では、陸上では可能な病人への看護は 不可能だからです。

結果的にアメリカ人は、熱帯アジアのどこにでも居る西欧人と同じように、健康のための第五番目の処方 - 高原保養地 - を採用したのです。
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# by janlbaguio | 2007-10-08 00:19 | History バギオの歴史